2009年1月31日土曜日

今、私達に必要な事は何でしょうか

輸出依存で経済を大きくして来た我が国が、アメリカ発金融危機に大きく被害を受けるのは当然と云えば云えるが、それにしても切なく続く大企業の事業縮小と人員カットはいずれ間接的に私の店にも影響してくるであろうし、又毎日毎日このニュースで精神的にまいりそう。
今日も国会中継をちらりと見たが総理は声ばかり大きくして同じ事を繰り返し云い続けていた。声が大きくなったのはオバマ影響かな?
4~5日前有名な九州出身の代議士さんが「こんなに人員縮小が社会問題になっている時、我々国会議員も人を減らし給与を下げる事も考えなくてはならない」と云うのを聞いた。
従来のイメージからすると「何と不釣合いな言葉だろうか。この人がこんな事を云うとは」と思いながら聞いた。
そして「選挙目的だな」とすぐピンと来た。
国会議員だって人間だから片腹痛いところがなかったらおかしい。
でも、その事について手を打とうとも何ともしない。本当はやる気はないように思う。

自分達の内部抗争に明け暮れて根本的な国民の為の事を考える暇などないような様子ですもの。オバマは金融関係の連中の給料の高い事に苦言を呈したらしいが、うちの総理には出来るだろうか。

又、テレビをよくする為にという大義名分で、地デジに二年後は全面変えるという事らしいが、単に画面が綺麗になるとか情報が得られるとか色々良さそうに宣伝しているが画面を綺麗にする事より、もっと内容のレベルアップを考えるべきではないだろうか。
地上波でもどちらでもよいというのなら良いが全面変更は少しやりすぎだ。買いかえられない人、扱いきれない人が沢山いると思う。今テレビの主な視聴者は中年以上の年寄りなのに、デジタルは年寄りには無理。
しかもそれに伴うインフラにも金がかかっているだろう。
どこかの誰かが良い思いをしているだけのように思う。
繰り返し云いたいのはテレビの内容をもっと充実してもらいたい。
昔、映画全盛期の頃の俳優・女優と今テレビドラマで出ている出演者では練度の差がありすぎる。
ドラマだけに限らずアナウンサーも、もっとしっかり日本語を話せるようになってから画面に出させるべきだと思う。姿形が美しいだけではアナウンサーではなくアイドルかと思ってしまう。
又、特別な深い知識もなくほとんど普通のおばさんみたいな出演者が意見らしく発言する人を出演させているけれどテレビ会社の見識を疑ってしまう。外国のデジタル化云々と云うけれど外国は外国。
日本は日本としてどうするべきが最適かと考えるようにするべきだと思う。
日本独自のものを失ってしまう程何かと云えば他国を引き合いに出すのも私はあまり賛成できない。

リーダーも庶民もみんなが夫々よく勉強してよく考えて国の歩みを進めてゆかねば、素晴らしい日本国にはなり得ません。勉強する事です。教材は沢山あります。
本を沢山読んで下さい。そうすれば年令を重ねていても遅れをとる事はありません。
勉強しましょう。
本を読みましょう。




「地デジにしたいなんて
誰が言った!?」

著/荒川顕一
普遊社
本体720円+税






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2009年1月24日土曜日

みんな誠実に生きていこうではありませんか

聞くところによれば自民党内でも国会改革の声が出ているようだが私はとても良い事だと思います。今、チェンジしなくてはならないのは国会です。普通の国民としては官僚の問題でも大いに気になる所ですが、でも先ず国会が率先して改革をやってほしい。若くて能力のある人が出やすい仕組みにしなければ国会は2,3,4世議員ばかりで実質的に老化現象を起こしています。参議員はなんの為にあるのか国民にはよく理解されてないと思う。又、普通の国民として政治に直接参加出来るのは選挙の時だけですが、決められた人間の中から選ばれるのがとても苦しい事も度々あると感ずるのは私ばかりではないと思う。

先ず国会議員の数を半分に減らして欲しい。時々テレビの中で居眠りしている人を見るとガッカリを越えて腹が立ちます。
又、テレビを意識して下手な質問とくだらない答弁が繰り返されると情けない思いになってしまいます。
総理大臣の施政方針演説にしてもペーパーをテーブルの上に拡げ、下を向くばかりの演説は嫌になってしまいます。

総理大臣としての見識を持ち心底から国家国民への奉仕の気持ちがあれば(オバマを例に出すのは陳腐だが)
自分の言葉で目は議員全体を見渡しながら、どの程度聞いてもらえているか目と肌で感じながらスピーチすべきではないでしょうか。

本当の演説は原稿を見るなどもっての他。
間を取りながら聴衆の胸の中を感じとりながら話すのが普通だとずーっと思っていました。
結論は議員数を減らして欲しい。自分で自分の事をするのは難しいと思うけど毎日毎日大企業が何千人も人員カットを発表していますがその後には下請けの中小企業もそれ以上の苦境におち入っているはずです。
こんな時に国会議員の減数は当然だし一人当たりの歳費も率先して減らすべきではないでしょうか。それをやらずして何が国会議員かと申し上げたい気持ちです。
何だかんだ云いながら普通の国民の本当の苦しみを知ってもらえないと思います。中に入って一緒に働いてみてほしいと思います。
いかに国会議員は恵まれすぎているかお分かりになると思います。
オバマだってこの先どうなるか大変だと思いますが、でもはっきり云える事は彼は全身全霊をかけて誠実に大統領としての職務に当たりたいという決意は充分に国民に訴えていると思います。

金が足りなくなればすぐに消費税とおっしゃいますが、その前に税法の抜本改革と云うならば打つべき手はあるのではないでしょうか。簡単に云えば高額所得者には高い税金を低所得者には税をギリギリまで落してください。私の頭の中に高額所得者と云えばふっと浮かんできました。
オリックスの社長さん。又、又うまい汁をおすいになりそうですね。
鳩山総務大臣が「待った」をかけなかったら かんぽ の宿を一括売却してもらうはずでしたね。
鳩山大臣、よく云ってくれました。小泉時代に規則改革民間開放会議(首相の諮問機関)の議長を務め自分が作った法律でどんどん自分の新しい事業の会社を作り利益をあげたお方です。
小泉総理と一緒に楽しいダンスを踊った人だと雑誌に書いてあったのを読みました。
こんな事が過去にも現在もこれからも起るのかと思うと普通の事しかできない国民は泣けてしまいます。少なくとも正義感の強い人に議員になってほしいです。政商を作らないでほしいです。国民に消費税を問う前にやるべき事はいっぱいあるのではないせしょうか。
我々国民もそして為政者も誠実に生きていこうではありませんか。



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2009年1月20日火曜日

ふぐが青春の思い出を送って来た

下関の友人から大きなクール宅急便が届いた。
800×500×400位あっただろうか。ふぐセットと書いてあった。開けてみると綺麗なふぐ料理が出来上がっていた。大きな陶器の皿に薄く料理されたふぐのすき通るような白い身が半重ねになって丸く並べられ細い細いネギが一本絵のようにのせられ、ふぐの荒と骨は別の器に収められチリ用から揚用等にすぐ使えるように配慮されていた。あまりの見事さに暫くじっと眺めていた。
赤黒いマンジュウのような物、これは何だろうと思いつつお礼の電話を入れた時尋ねてみると「貴方、何にも知らないのね。モミジオロシよ。それを付けてネギで丸めて食べて。」
あぁ、そうだったのか。私もふぐは何度も食べているけれど、こんなに立派な芸術作品のようなのには初めて出会った。このふぐセットを眺めながら私の脳裏に次から次へと思い出が流れ始めた。

小学校6年生半ばから高校卒業するまで6年余(家も近かったので)学校の生き帰り、校内での行事、その他帰ってからはもう一人の友人と3人で誰かの家に集まり一緒に宿題、予習、復習等をした。
そして夜が更けても話題はつきず、時には泊まってしまう事も度々あった。

下関の友は卓球部、ダンス部でもう一人はダンス部でそして私は弁論部や生徒会長をしたりして思う存分活躍した。楽しかった。学校が私達を中心にして動いているような気分であった。
下関の友人が創作ダンス発表会で女郎蜘蛛を踊った時の未成熟ながら妖艶だった姿も思い出した。

時あたかも戦後すぐの事、外地から引き揚げて来た子、戦災を除けたり焼け出されたりして都会の子が沢山入っていた。私のこの二人の友も戦災組。又、教師も普通なら田舎の高校になど来ないような、かなりレベルの高い優秀な先生から学ぶことが出来た。
私は戦争のために父を比島で野垂れ死に(正式には戦病死)させてしまった事を悲しむ時にいつも自分に云っている。
こんな大きな犠牲を出したけど私の青春時代そのものはおかげで優秀な師や友に出会えさせたんだと自分の気持ちを引き立てている。
時代は未だアメリカの占領下だった。教科書も充分ではなく文房具や衣類も不足がちだったけど私達の六年間は人間成長の上で大きな収穫をもらったと思っている。

そして今は下関、名古屋、横浜と別れてしまったが何か事があると必ず連絡を取り合って60年前と同じように若やいだ気分をいただける。

私はこの立派なふぐを三日間かけて昼も夜も食べた。
すごーく美味しかった。こんなに細いネギは横浜では買えないがその香りと味の良さ、モミジオロシをつけてネギで巻きつけ特製の醤油を口へ運ぶとこの食材のマッチングの良さに驚いた。
又、ふぐの尾ヒレの日本酒との合性の良さもびっくり。
酒の味がぐーんと良くなるではないか。不思議だなぁ・・・・・・・・・・・。
下関の友は云う。
「3人一緒に食べたいね」と。

そのうち私も温泉行きを計画しているので近いうちに3人で一緒に会えると信じて75才になった今、10代の希望いっぱい楽しさいっぱいだった日を再現しようと考えている。

笑って笑って笑い転げたあの頃、何があんなに面白く楽しかったのだろう。老は淋しいけれど、こんな素晴らしい思い出を持っていることを幸と思いたい。

有難う、友よ、師よ、そして青春時代よ。


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2009年1月17日土曜日

田山花袋の少女病

私が田山花袋の「蒲団」を読んだのはたしか17才の時だったと思う。
ある種の衝撃を受け忘れられない小説の一冊となった。

以後、この作家のものはなぜかあまり読んでいない。
そして今回「少女病」に出会い えっ と思いつつ何十年振りかでこの作家の作品を手にとった。
田山花袋は明治の初め(1871年)に生まれ昭和5年に亡くなった。
私が生まれた時にはもう居ない作家だった。
しかし、今「蒲団」を思い出してもそんなに昔の作品には感じない。
それはこの「少女病」を読んで分かった。


文庫で119頁にあるもの、三分の一は写真の頁だし、且つ一頁の文章の量も非常に少ない。
普通の文庫なら短編。
一気に終了してしまう量だけど東京山手線。代々木、千駄ヶ谷、新宿付近が未だ新開地で田んぼがあり、藁葺の家があり、柴垣、樫垣、要垣のある家がガス燈と共に出てくる風景の文章。
雑誌社に勤めている主人公の男が住んでいるのも千駄ヶ谷の田んぼを越してクヌギの並木の向こうを通って新建ちの立派な邸宅の連ねている門を抜けて牛の鳴き声の聞こえる牧場、樫の大樹の連なっている小径を・・・・・。

今の東京の山の手の景色ではない。
こういう時代にかかる「少女病」(若くて美しい女性への憧れ)と現代の東京にある「少女病」(とは云えないかも分からない)とは全く異なる。
当時の35才前後は現代なら50才~60才に匹敵するだろうか。
そういう自分の老に対する醜さへの嫌悪や敗北感に共感しそれが若く美しい女性へのピュアな心情が未だ開ききってない東京の郊外の景色と相まって詩を読んでいるような感覚の小説だと感じた。

写真が多く入っているので尚その思いが強くなる。
願わくば写真の少女が当時の衣装を纏っていたなら、もっと感動は大きかったかも分からない。
「少女病」というのは100年昔も今もある。
今は美しい対象を殺してしまう。だから余韻も何も残らず唯唯事件になってしまう。
詩にはなりようがない時代背景。


もう今では見られない東京の田園都市風景。
武蔵野の自然の未だ残る東京郊外で現代では考えられない若い女性への純粋な憧れ、人間の永遠のテーマである老に対する敗北感と対極にある若く美しい女性への憧れ。
「少女病」この小説は絵本を見ながら詩を読むような気分で読んでみてほしいなと思った。
そう考えてるうちに代表作「蒲団」のテーマもこの「少女病」も底を流れる田山花袋の感情は相通じるものがあって、ああやっぱりこの小説は田山花袋の作品だと納得出来た。





「少女病」
田山花袋/著 藤牧徹也/写真

出版社名 青山出版社
出版年月 2008年11月
税込価格 1,260円







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2009年1月13日火曜日

マイウォ-キング

海が好き。海辺で育ち、嫁としては横須賀でアメリカ海軍セーラーに本を売る商売につき横浜に移ってからも港町ヨコハマへ入港する外航船舶に厚生費としての本を売る事になった。
今は世界の海を航海する日本船乗組員の皆様に買っていただいた本を世界中の海の港へ毎日毎日発送しているイセザキ書房。
私は75年間海と共に生きて来た。
海と緑が切れた事は無かった。

海よ、海よ、おお海よ。


十年近くなるだろうか。
私は毎週日曜日に朝、開店前にうちから昔のセンターピア(今は新港一丁目)の海際まで往復するウォーキングを始めた。
今朝、私の店の時計が8時を指している。
今日はカメラマン(私の店のアルバイト大学生)と共にほとんど真っすぐ一本道の所々写真を撮りながら歩いてみた。



店を出てすぐに左折し伊勢佐木町4丁目に入る。
未だ商店は開店していない所が多い。
歩行者も少ない。それだけにとても空気がすがすがしい。




半年位前に出来たガスト。私も時々利用している。
美味しいというより便利だから。


未だシャッターの閉まっているスーパーユニーの前を通過する。
私は週1~2度お世話になる店。
望むべくはもっと鮮度の良い美味しい魚を置いてくれると嬉しいのだけど。



その斜め前はつい最近ビルが取り払われて空地になってしまった東映の封切館の映画館があった所。若い時、錦之介やひばりを観に行った事が今は懐かしいの一語。

そして日活会館。と云っても今は通じないだろう。ここも日活映画の封切館だった所。今は最新の娯楽を揃えたビルになってしまった。裕次郎や小林旭を思い出しやはり懐かしいの一語。今は私にはまったく用の無い場所になった。



右手にnewODEON。ここは松竹の封切館だった。私は一番回数多く通ったと思う。映画の放映時刻を調べ観たい映画一本だけ観てくるという時間の無かった時代にも何とかして映画館に通った。ここも今は私には全く無用の娯楽場になってしまった。



長者町通りとの交差点を渡り伊勢佐木町2丁目に入る。この時間店は未だ開いていない。人もほとんど通っていない。ウォーキングするにはとても好都合だけど。



一丁目に入る。去年十一月に閉店した松坂屋の跡の空ビル。
私がイセザキ書房を開店した昭和31年(1956年)には伊勢佐木町には4軒のデパートがあった。下から順番に無くなりの最後の砦だった松坂屋も消えてしまった。
悲しいとか淋しいとか云う感情を越えたものが胸の中いっぱいに拡がる。



これは、7~8年前の紅白に出たゆずのライブの時の写真を松坂屋跡の前面に貼ってある。あの頃は未だ伊勢崎町もそれなりに装い美しい街であったのにね・・・・。



吉田橋を渡る。関内駅はすぐ右手。根岸線の電車が見える。今思えば桜大線(桜木町⇔大船)が出来た頃、伊勢崎木町のたそがれは忍び寄っていたような気がする。
電車が通る。道路が出来る。橋が出来る。というように一面便利になった時必ずどこかに影が出来る事を私は長い経験で知っている。



ガードを潜ると右手にSHIDAX。ここも遊技場、私には全く縁のない場所だけど、その前を過ぎてゆく。



そして交差点を渡ると野村証券、尾上町支店。



その前を通り関内ホール前。今は工事中だったこの建物は何だかんだよく足を運ぶ場所である。



更に進むと老舗和食レストラン相生を右手に見る(私は和食派なので時々利用する)
左手、興和ビルの前を通過。
美しい建物だし最上階の店のステーキは美味しい。



神奈川の文化と歴史の博物館を左手に見る。
重厚な建物で私はとても好き。



国道ぞいに入り信号待ち。
横浜第二合同庁舎がそびえるように建っている。





そして萬国橋を渡る。思い出いっぱいの萬国橋。
私が未だうんと若かった頃はじめて本船へ本を車に積んで配達したのが、このセンターピアー(萬国橋埠頭)であった。「こんな若い娘がスクーターに乗って本を配達して来たよ」と本船の人にとても喜んでもらって私は有頂天になるほど嬉しかった。私にもあんな若い日があったんだ。
まるで夢のよう。



萬国橋の上から川を覗くと屋形船の群。
乗ってみたいなとふと思う。
そして、その向こうにみなとみらいの巨大なビルが美しい景色をかもし出している。横浜のこんな景色がとても嬉しい。


そしてやって来ましたNAVIOS YOKOHAMA。
この中のレストランで朝食バイキング。
これも楽しみの一つ。



カメラの写し方が悪くて夜みたいだけど今朝は客が多く賑わっていた。こんな画面になってしまったのも私の迷カメラマンのご愛嬌と思ってください。
余談ながらNOVISは宿泊も楽しい所。価格も安くみなとみらい側の部屋をとると美しい夜景が見られます。晴れていれば朝起きると富士山が見えてすごーく幸福感にひたれます。




ワールドポーターズ前を右に折れて、さあこれから私の大好きな場所へ向います。
途中、時節柄こんなポスターに出会った。





さぁ、来ました。私の一番好きな場所。
赤レンガ倉庫・・・・・・・。

100年近く前にレンガを積んで作られた建物らしいが今この建物のほどよい汚れ加減と全くピカピカした所の無い建物。
これが私の好きで好きでたまらない所以であろう。

ピカピカした建物は捨てるほどある中でこの建物の存在感は格別の風格です。
私はこんなに整理される前にも度々やってきて写真を写したのにその写真がどこかへ行ってしまって、とても残念。

空も海も美しい




ふり返れば逆光の中で落ち着いた趣き。



ベイブリッジも見えている。50年間に変化したこの海を私はいつも熱い感慨をもって眺めている。
そして大きな声で「好きだ!好きだ・・・!」と叫んでみる。
何が好きなの。
そう生きている事が好き。




小さな本屋がひとつ、又ひとつと消えてゆく中で私は決してグッドビジネスでは無いけれど世の中にまともな本屋が消えてしまってよいのだろか。といつもいつも自問自答しながら本好き、知的探究心のある人にとって遠くにある大書店とコンビニエンスストアの商品で気に入ってもらえるはずがない。
苦しみながら血も流しながら本屋らしい本屋を目指して私はひとつひとつ年令を重ねてゆくつもりだ。

さぁ、迷カメラマンと共に開店に間に合うように、歩を早めて帰路につく。
10時ちょっと過ぎ。

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2009年1月10日土曜日

祝日って何ですか

今日の休みは何の日なの・・・・?こんな言葉が出る程に日本の祝日は祝日らしくなくなっている。私が子供の頃は元旦には学校で式があり皆、綺麗な洋服を着て登校した。そして各戸に日の丸の旗がなびいていた。
2月11日は紀元節(当時はそう呼んだ)やはり式典があって登校した。4月29日は天長節(当時はそう呼んだ)勿論式典の為登校した。11月3日は明治節(当時はそう呼んだ)式典の為登校した。授業は休みなので早々に下校した。
いずれも第二次世界大戦前の話である。
敗戦という大きな変革により今まで良かったものが全部無くなりすべての生活様式に変化が生じた。これは致し方ない事だし当然だと思う。

さて現在の祝日と云われているものは下記の通り
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・元日 1月1日
祝日法制定時 かつての四方節

・成人の日 1月15日
祝日法制定時 1999年(平成11年)
ハッピーマンデー制度により、曜日固定に移行する形で廃止

・建国記念の日 2月11日
政令で定める日
(2月11日) 1967年(昭和42年)
現行 かつての紀元節

・春分の日 3月21日
春分日 祝日法制定時 現行 かつての春季皇霊祭。
国立天文台「暦象年表」に基づき閣議決定
前年2月1日頃に官報で暦要項として公告

・昭和の日 4月29日
2007年(平成19年)
4月29日は1989年~2006年まではみどりの日
1988年以前は天皇誕生日

・憲法記念日 5月3日
祝日法制定時
日本国憲法が施行された日

・みどりの日 5月4日
2007年(平成19年)
2006年までは4月29日。
5月4日は1988年~2006年の間は一部を除き「国民の休日」

・こどもの日 5月5日
祝日法制定時 端午の節句

・5月6日
振り替え休日

・海の日 7月の第3月曜日
2003年(平成15年)2002年までは7月20日。
2003年以降、期日固定から曜日固定に変更

・敬老の日 9月の第3月曜日
2003年(平成15年)
2002年までは9月15日。
2003年以降、期日固定から曜日固定に変更

・秋分の日 秋分日 祝日法制定時 9月23日
かつての秋季皇霊祭。
国立天文台「暦象年表」に基づき閣議決定
前年2月1日頃に官報で暦要項として公告

・体育の日 10月の第2月曜日
2000年(平成12年) 1999年までは10月10日。
2000年以降、期日固定から曜日固定に変更

・文化の日 11月3日
祝日法制定時
日本国憲法が公布された日。また、かつての明治節

・勤労感謝の日 11月23日
祝日法制定時 現行 新嘗祭が行なわれる日

・天皇誕生日 12月23日 1989年(平成元年)
1988年までは4月29日(昭和天皇誕生日)。
1989年、今上天皇即位につき期日変更

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ざっと並べてみると16日間あります。
一ヶ月1回半位ある計算です。
私はこれでも多すぎると思っています。
この先増える事はあっても減ることは無いでしょう。
こんなに祝日がある事をどれだけの人がしっかり認識しているでしょうか。
こんなに祝日が必要かどうかという前にその年その年曜日との関係で連休になるように決めてしまう事に問題ありです。日曜日に当たるとわざわざ振り替え休日というものを作ったり。
5月3日と5日の間の4日を無理に休日にした大臣。
名前は書きませんが。
又、「祝日が増える事についてどう思われますか?」というマスコミの質問に対して「そうねぇ、休みが増えていいわね」と答えた女の大臣もありました大臣の頭の中はこんなものかと私はとても寒心致しました。
連休になれば休めてよい・・・という反面、休みになってしまって大変困る事も沢山あります。役所、病院、大手企業、銀行等の業務が止まってしまいます。
これは普通の庶民にとっては、とても不便です。私がここへあえて病院を入れたのは大病院は大勢の患者を抱えたままドクター以下スタッフの数が減ってしまう事は重大です。
現状では土曜日休業は当然のようになっていますが、それでも私は不便な事に度々出会います。
○月○日は○○○の日と云っても曜日によって日が変わる事がある。
何の為の祝日なんでしょう。
4月末~5月初旬にかけてゴールデンウイークと呼ばれ遊びにくる人がぐんと増えます。
高度成長時代にはとても歓迎されたものです。そのフワフワした気分で育ち大人になってしまった人達は未だにやはり祝日とは休みになって遊ぶ日と考えたままだろうと思います。
祝日なら祝日らしく全国民がその意義を心して思い返してみるというような風習はまったく見られません。成人の日になれば大人としての覚悟をしっかりと身につけるべく教育を受けるとか、建国記念日ならば日本の民としてその成り立ちを思い返してみて日本国民としての自覚をするとか、夫々祝日の意義にあった身の処し方があるのではないでしょうか。現状の様ならば祝日なんて云わないで勿体ぶったお題目などつけず全部おし並べて国民の休日としてしまえばいいと私は思う。

日本人は日本人としての伝統があるこの国の心を深く学ぶべきです。日本の歴史の本は沢山あります。アメリカの後追いはもう止めて日本は日本としてしっかりした国のあり方を国民全員が深く深く知る事だと思います。
日本をよくする為に知恵をしぼる事だと思います。特に国会議員は大きな責任と権限を与えられているのですから国家国民の為にもっと英知を傾けてほしいと思います。いかにすれば議員の数を減らせるか考えて下さい。二世、三世、四世議員が4割以上というのにはもう私はガックリきました。議員を家業にするのは止めてください。
この現状では国民の為の政治なんて云っても無理だと思います。大阪府知事のように議会を丸裸にして府民に公開するというのはすばらしいと私は思いました。
とにもかくにも人間としての英知を養うべく本を読む事です。
勉強する事です。
勉強なくして成長なしと強く訴えたいと思います




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