2013年5月25日土曜日

父上様と私 ~ No,2 ~


父上は、30才も過ぎた自分のところまで
召集が来るとは考えていなかったのね。
九州の母の姉の息子は、特攻隊で
死んでゆきました。
世相は、「日本は戦争に絶対に勝てる」と
未だ思っていたんですね。
大本営発表は、本当の事を発表しなかったから。

でも現実は、違っていました。
学生から中年の男性まで、もう片っ端から
戦争の場へ送りだしたのですね。
武器も持たさず、飲み物・食べ物も与えず。
父上が津田の駅頭で挨拶した時、
他の4人もみんな妻子のある人でした。
あぁ、あの挨拶。
父上最高ですよ。
素晴らしい挨拶でした。

私は、それでも小学校3年生だったから、
はっきりと覚えています。
しかし、妹2人、勿論、弟2人は、未だ赤ちゃんと
3才だったんですもの。
覚えているはずもありません。

父上がいなくなってから、弟2人は祖父を
父親代わりに思っていたようです。
祖父が亡くなった時、大学生であった下の弟が
ものすごく激しく泣いたと聞いています。

私は、祖父の時も、祖母の時も
大恩のある人だから、せめて別れには
行きたかったが、亡き夫には
「行く必要はない。」
「行くなら離婚して行け。」と云われました。
亡き夫は、厳しいとかきついというのではなく
情の薄い男でした。
これも私の運命。

私が小学校2年生の時、学芸会に出演した折、
父上はちらっと見に来ましたね。
「吉光さん。あんたのとこの娘、よう出来るというし、
先が楽しみだね。」と
云われて恥ずかしそうにして帰って行ったのを
私は知っていました。

父上様。
私は小学校の時も一番で卒業。
それから、高松高女へ行こうとしたが、
屋島の登おじさんから
「高女は焼けてしまって授業が出来んぞ。
津田女へ行った方がよい。」 という
アドバイスを得て
当時は未だ、大川女学校と呼ばれていた
学校へ入学しました。

合格発表の日。
母が18番という私の受験番号を探していたら
知り合いの教師に会い、
「18番ありますか。」と聞いたら、
「名前は。」「名和智子です。」
「あぁ、名和は一番で合格したから
入学式の日に誓いの書を読むはずです。」
との事。
嬉しいのか何か分からず家に帰り、
「おばあさん。智子は一番で入学していたよ。」
と声を弾ませて告げた。
「当たり前だよ、智子なら。」
と祖母は当然の事のように淡々と答えたらしい。

入学式当日。
誓いの言葉を読んだのが、
私が生まれて初めて、大勢の前で、
自分の声を披露した時であった。

父上が野垂れ死にしているとは未だ知らず
父上が帰って来たら、すぐに話して
「京大へ行きたい。」と頼もうと考えていた。
しかし、その年の夏のある夜。
夜9時過ぎた頃に役場の人が3人来て、
父の戦病死を知らせて来た。
思いがけぬ大仰天。
私は涙も出なかった。
唯、母がよろけるように何時間も泣いて泣いて。
私は母に云った。
「泣いても駄目。しっかりしてよ母さん。」
その泣き叫ぶ母の背中を
神戸から焼け出されて津田に来ていた
母の姉が、何時間も母の背中に
涙を落しながら、母の背中をなでていた。

その光景も昨日の事のように
私は覚えている。
一家の柱を失った名和家の悲痛の戦いが
ここから始まった。

安倍総理にも、
私が、これから書く文章を読んで
欲しいと思う。 
そして、憲法改正を考え直して欲しい。

つづく・・・。





































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2013年5月18日土曜日

父上様と私 ~ No,1 ~

私は、父 名和吉光と日出子の間に
長女として生まれた。
父23才、母22才。若い夫婦の子供だけど
祖父母にとって初孫だったので
とても大事に育てていただけた。
その後、1年半おきに妹・妹・弟・弟と
5人の子供が生まれた。
大きな飯台に周りに、祖母と母、
その降り角を越えて本延、敏延、
その降りを越えて父が真ん中にドンと座り
時々、赤ちゃんに近い敏延を抱き
口に食べ物を持っていきながら、
「うまいの~」と云いながら夕食をとっていた。

祖父は、別膳でおかずも一番良い所をつける。
そして、一合瓶で温めた日本酒を飲みながら、
「智子、飲んでみろ。」と云って、
時々杯を後ろからまわしてくる。
最初はちっとも美味しくないと思っていたが、
何年かするうちに日本酒の味が
分かるようになった。
今でも、私はどんなに暑い日でも
日本酒は熱燗にする。
近頃、もう80年近く前の事を思い、
独りで味わう。

あの暑かった日々の夕食、
9人寄り添って食べた日を思い出す。
私は年を重ねるに従い、思い出の景色が
鮮やかになり、私の一生のうちで
多分一番幸せ時期だったと思う。

一家の権限は、祖父にあったが、
実際は祖母の考え方で家庭はまわっていた。
その頃の父は、5人の子供に取り巻かれて
「子供は何人あってもよい。多いほどよい。」
なんて云いながら、足の裏にのせたり
肩車に
したり、子供を叱ったという事は覚えがない。
母は毎日毎日、風呂場の横で何時間もかかって
洗濯をしていた姿ばかり鮮やか。

母の実家は、商人だったので
充分な女の仕事や稽古もせず結婚したため、
何かにつけて出来が悪いと祖母に叱られていた。
私は、母が叱られるのが一番悲しかった。
私を叱って欲しいと何度思った事か。

そのうち、神戸の母の姉の家へ
縫い物や家事の練習のため、1ヶ月位行って
来たように思う。
私もこの神戸の叔母から、花、茶、習字、
時には琴も教えてもらった。
士族の家に養女にやられた叔母も、
若い時には相当仕込まれたらしい。

以来、私や妹、弟の着る物は母の手によって
作られた。母は、洋裁学校へも通っていた。
祖母はケチンボだけど、習い事にやるのは
とても積極的だった。
私にも琴を習えといって積極的に協力してくれた。

風通しの良い玄関で、隣のお兄さんと父が
話していた。
「お前、馬鹿な事を云うんじゃない。
靖国で会おうなんて、そんな事云って特攻に
行ってはいけない。
お前のうちはもう兄貴2人戦死しているんだぞ。
両親の事はどうするんだ。
飛行機はいいけど、突撃隊で死んだりするなよ。
生きて帰って来いよ。」

父の言葉が何年もしないうちに
我が身に降りかかろうとは誰も思わなかった。
「靖国で会おう、そんな事云ってどうするんだ。」
それは、父上様、貴方へのメッセージとなって
しまいました。

つづく・・・。




                           
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2013年5月11日土曜日

憲法をテーマにしたら、又、総理交替です

私達、庶民の知る情報は、テレビ・新聞・雑誌等が
大部分で、直接の真実の形は100%は分かっていない。
私も新聞・雑誌と読み、テレビをチラチラ観ながら
時の移り変わりを感じ取っているだけです。

それにしても、総理はなかなか頑張っておられるように
見受けられる。成果の程は別として、
努力は彼なりにやっているのではないだろうか
と思っているけれど、北方領土にしろ、
あちこちに出かけられている姿は見えるが、
結果は分からない。

80年間も日本という国のお世話になって来たので
大体色々な時代を一通り味わった。
私は商人ですから、のんびりとする時間は
全くありません。
実家も遠く(香川県)60年近くの結婚生活の間に
数えてみると8回位飛行機で行き、一泊して帰ってくる
という形ばかりだった。

そんな事はどうでもよい事。
安倍総理は、人気があると思っているようだけれど
自信も大分出てきたけれど、なぜ、今この時期に
憲法をテーマにしたのでしょう。
難しい問題を上手くやれると思っているのでしょうか。

今、憲法を出して来た事で、私はもう半分がっかりした。
憲法ですよ!憲法と云ってもみんなが分かっている事は
そんなに多くの事ではありません。
私は、憲法を出して来られた事で、安倍さんも自分で
運を捨てるような事になるかも分からないと思っている。
アメリカに押しつけられた憲法を
日本人がもう一度作り直すべきだと思っていらっしゃる
ようですが。
事は一大事。
法律の大本の憲法を改正するという事は、
日本が、又、大きく変化すると思います。

確かに近隣諸国から、問題は投げかけられては
いるけれど、安倍さん達の考えている憲法の部分を
直したら、日本は全く変化します。

私は第2次世界大戦で、
召集兵として引っ張って行かれた父を亡くしました。
これが、私の人生観の大部分を占めています。
食物も何も与えず、兵隊だけ送り込んで
どうなるのでしょう?
太平洋中いっぱいに日本兵の遺骨が
残っているでしょう。
充分に往生も出来ず。

私は、靖国神社から戦犯の霊をはずして欲しい
のです。
日本国の為だけに殺された人達のものにして
欲しいです。

さて、憲法をテーマにあげて、選挙に勝てると
思っているのでしょうか?
又、一年で総理が変わる。
世界中の笑い者。
いいかげんにして下さい。




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2013年5月4日土曜日

みんなみんな 明るく強く生きてゆきましょう

安倍総理大臣は、だいぶ様々な事が動きはじめたので
第三の矢と云われる憲法改正に手をつけようとしている。
総理大臣が毎年毎年変っていたのでは何も出来ない。

シンガポールの初代首相リー・クワンユー氏が云ったように
「首相になって観察するのに一年、
  二年目に入って何から手をつけるべきか具体的に考える。
  そして三年目にやっと事を動かす事が出来る。
  日本のように毎年変っていては何も具体化出来ない。」
と云い放って離日した言葉を、私は忘れる事が出来ない。

総理大臣は優秀な外交マンでなければならないと私は考えている。
マッカーサーが吉田茂が首相になったとき、
「こんな優秀な外交家を相手にするとは思わなかった。」
と云った事も覚えている。

その点、安倍総理は合格点なのだろう。
どこへ行ってもどちらを向いても実に堂々としている。
自信があるのか戦略があるのか、
写真うつりもとてもよいと私は思っている。

憲法記念日に憲法改正について
NHKは午前中論客を集めて討論していた。

私は仕事をしながら耳だけはテレビの方に向けていた。
そして分かった事は、
私はもうすぐ80歳になるというのに話が100%理解できない。
それは出演者がほとんど馴染みの薄い人が多く、
かつて朝まで生テレビを
亡夫の解説によって聞いていたようにはいかなかった。
きついきつい夫であったけど、
自分が私に何かを教える側に立った時には素晴らしい教師だった。
私はきっとそこに魅かれて36年間生きたんだと思う。

憲法改正の問題は、
いつかは出てくるテーマだと思う。
他の人の事は分からないが、
私は自衛隊を軍隊にする問題が第一に頭の中に入ってくる。
独立国ならば充分な軍隊を持つべきだろうと思う。
国家の安全の為に是非必要なものだと分かっている。

私は、80年近い人生の中で十代の時、
妹、弟合わせて5人の兄弟と祖父母と
そして未亡人になった母を残して父が33歳で召集兵として出征し、
昭和20年6月に比島の負け戦の中で野垂れ死にしてしまった経験は
一生忘れないというよりも、
私の一家の8人の人生を変えてしまった事は
一生忘れようにも忘れられない。

戦争だけはいや。絶対に。
戦争は人を殺すだけで何も利益がない。

軍隊というものが出来ると、
その長たる人物が権限を持ってくると誰も止められない。

昭和天皇もどんなにお悩みになった事かと想像する。
 原子爆弾を落とされて、やっと苦しみの境を抜け出せた。

今、色々国家の計画を立てていられる方は大体60歳代前後。
私の知っている苦しみを身をもって知っている人は
たぶんほとんどいないだろう。
私にとって憲法改正はそこのところがとても恐ろしい。
議員制度とか人数とかもあるけれど、
私はそれを考える心の余裕がない。

軍隊は戦う事が仕事。恐ろしい。

思い返してよかったなあ、楽しかったなあと思うのは
現天皇、皇后が結婚される頃から十年位。
あんなに何もかも足り揃った女性を
よくも見つけ出したものだと感心した。
美しかったです。何度観ても飽きないほど美しかったです。
現皇太子がお生まれになった直後の皇后さまは
この世の人とも思えぬほど美しく厳かだった。

今、雑誌に天皇家を特集したものが出ていますが、
ああ、あの美しかった皇后さまも白髪の老人になられた。
何か、「見たくない!こんな写真は。」と思うけど
現実に私も同世代ですから、
ああ人生とはかくも厳しいものかとため息ばかり出る。

「鮮やかに生きた昭和の100人」という本が出ました。
私は嬉しくなるほど、みんなみんな素敵です。
私はやっぱり昭和人。
そして昭和という年代は厳しい前半もあったけど
素晴らしい時代だったと思っている。
 みんなが前向きで頑張っていた、
私はそういう姿勢、姿が大好きだ。
平成の時代も、
みんなみんな明るい顔で生きてゆこうではありませんか。



一個人 6月号
















昭和36年の美智子様。


















鮮やかに生きた昭和の100人
文藝春秋
















これからすごいことになる日本経済


















 「ついていきたい」と思わるリーダーになる51の考え方















 
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