2008年12月30日火曜日

2008年は終った

世界史にも残るであろう波乱の1年であった。
私自身は2月に白内障の手術をして店の中の色彩の美しさに歓呼の声をあげ、読書のスピードアップが出来たのが、この上もなく嬉しかった。

ところが6月頃より腰痛が酷くなり真夏の暑さの疲れかと思う程、歩行速度が落ちて来た。秋ぐらいになるとお尻と右足の上部裏側に痛みを感じはじめた。行きつけの内科の主治医の診断で整形外科医へ行くことを勧められてE病院のIドクター宛に紹介状を書いてもらい検査を受けた。心の中で「手術だけは避けてください」と祈っていたが検査の結果は「腰部脊柱管狭窄症」だという事がはっきりした。
これは加齢による脊椎骨の変形で腰部への通り道である脊柱管が狭くなり足へ向う神経を圧迫する事によって起る病気であるが、思えば50年間書店に勤め休みは年5日、いままで大きな病気にならなかったのが不思議なくらいだ。
今、静かに働きすぎた事を深く反省させられている。

手術は名医であるIドクターの執刀による全身麻酔で痛みは全く感じることなく気がつけば終っていた。術後三日目位から実質リハビリテーションが始まった。私の内科の主治医のように優しい言葉など一言も無く「もっと早く歩け!」と背中をドーン!と押してくる。フラフラしながらとても怖かった。大病院のドクターは忙しいので事細かな質問はあまり歓迎されないという事が分かった。
その為に看護師さんやメイドさんと話すことが多くなるが、これも要領よくやらないとなかなか意が通じない事も多かった。一週間位経った頃から大体様子が呑み込めて私なりに入院生活をより有意義にする事に精を出した。今まで使われてなかった筋力を強めねばならない事だからそれはもう大変な痛みとの戦であった。
台に腰を置き手を膝の上に乗せて立ち上がるという動作は何でもない事なのにそれが立ちあがれない。どうしても立ちあがれない。私は「何としても、これをやらねば!」と自分自身に気合を入れた。大きな声で「エイー!」と掛声をかけると上手くいきそうだと思い「エイー!エイー!」と周囲構わず大声で気合をいれて頑張った。リハビリの先生、看護師さん達も私の声にビックリ。普通の声でもよく通る声質の私が大声を張りあげて汗を流しながら「エイー!エイー!」と百回近く叫ぶのだから周囲は迷惑だっただろう。それともこの光景は壮観だったかも分からない。
私は何が何でもこのリハビリに負けてはならないと必死の三週間を通した。
手押し車が外され何も持たずに歩き始めた時、嬉しいと思うと共に腹を押さえ胸を突き出し顎を引いて病室の廊下を毎日毎日、時間のある限り歩いた。ヨロヨロしながら。正しい姿勢ですいすい歩ける日を思い浮かべながら歩きに歩いた。

※ここから食事中の人注意

ある日私は大便が肛門の所まで出ているのに排便出来ず師長さんに話をしたら「トイレで待っていて、すぐ行くから」と云って何分もしないうちにゴム手袋をはめた師長さんが私のお尻に指を突っこんで便を引っ張り出し「さあ、きばって!出るから」と云って立ち去った。たまりにたまっていた大便が大量に出た。私はほっとすると共に師長さんの手際のよさ、患者に対する愛情や仕事への義務感に感動させられた。



一ヶ月間24時間一緒に過ごした同居の人達。
75才の私が一番若い人だからビックリした。
病室の一日は朝早く、そして夜も早い、私が今まで生活してきた時刻と比べると三時間位ずれている。私の戸惑いはそんな所にもあった。
更に驚いたのは70代・80代のおばあさんの所へやって来る家族は殆ど息子。娘や嫁はあんまり来ない。私の場合は息子、嫁、孫みんな来てくれたけど。
病人と云っても整形外科だから生死を彷徨うような人は一人も居ない。暇があれば病棟の中心にある広場へ集まり朝から夕方まで患者同士や家族、見舞い客で賑やかに会話が弾んでいた。私は全く参加しなかったけど通りすがりに聞く話は私には無関係の事ばかり。

三度の食事タイムは一寸したコミュニケーションのひとときになった。一日の食事で250円ではそんなに美味しい物は期待出来ないけど魚好きの私でも病院が出した魚はほとんど食せなかった。それでも一ヶ月間ちゃんと生きられたけど。
80代の母親の所へ毎日通ってくる同室にいる60近い息子。又、80代の母は横浜に住んでいるが長男は結婚して、妻の実家近くでマンションに住んでいるらしいが一度も来なかった。次男が60才の定年になったとか云いながら独身なので入院の時に荷物を運んでいた。この患者はリューマチが痛い痛いと云い続けていたが、この病院に居られるのは二十日間だけ。その先にどうするか近所の人がやって来て相談して磯子の方の病院に一ヶ月ベットが空くのでそこへ行く事にしたらしい。その後は又行く所がない。本人はとても心細げな様子だった。「老人ホームを手当たりしだいに申し込んでおけば?」と私が云ったけれど「どこも満員なのよね」と寂しげに答えた。
「今、満員だって空く時もあるんだから申し込みはしておかねばね」と云ってもそれをしてくれる人が居ないのよと答える。
息子が二人も居てなぜ?と思ったけど私もそれ以上云えなかった。とても辛い気持ちになった。
でもこれは、ほんの一例。世の中皆そうらしい。子供が独立してゆくのは嬉しいけど残された老人一人になったらどうする事も出来ない。国か県か市かと云うけれどそれには相当なコストがいる。思い返せば昔はたしかに労働生産性の低い農業や商業だったけど、そこで生まれ育ち結婚して子を産み老いてゆく両親を看取ってゆくという何事にも変えがたい人間らしい営みがあった。

今、親をかえりみず夫婦子供で暮らしている人達にもいつかは老いがやってくる。どちらかが死ねば一人になる。同じような事が繰り返されてゆくという事を彼や彼女達は自覚しているのだろうか。
スウェーデン初め東欧諸国のように高い税金を払って老後の保障があると云うのとどちらがいいのだろうか?
金では購えない人間らしさという事を考えると戦前の日本の家族制度はけっして悪くなかったと私はつくづく思った。

こんな難しい病気に会った時ドクターと話が出来るくらいの予備知識は必要だと思った。

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