著者は私の下の妹と同年代で私の家では私を頭に四人の妹と弟があって一番下の弟は父が召集令を受け出征する時は0才だった。
その弟も60才の定年時代を過ぎている事を考えると50才以下の人にはピンと来ない言葉かも分からない。著者の父上はビルマ(現ミャンマー)。私の父はフィリピンルソン島と場所は異なる。
しかし戦地で父を死なせた息子や娘は日本全国に数えきれない程居たはずである。
戦地への手紙やハガキを出しても100%届く保障はなかった。又、父から妻や子供、家族達に出した便りも全部は届いていなかった。
灯火管制下で電灯の周りに黒い布のおおいがかけてあるのとそっとよけて一生懸命私は父に便りを送った。
著者、北原亞以子さんのお父さんは絵を描いて送っていたらしくその絵から色々家族の者は想像したらしいがそうでもしなくては我が父がどこに居るか全く分からなかった。
この本の嬉しい所、それが又悲しい所でもあるのだが”絵”が物語っているのがとてもユニークである。
著者は父上が出征する時の事はよく覚えて無いようだが私の経験から考えて当然だと思う。私の下の妹、今丁度70才だけどきっとそんな感じであったように思う。
私の父は絵は書いてこなかったけど周囲の景色とか気候の様子をよく書いてきた。
所在は書けないので察っしてくれと云う事だったと思う。
子供達には字のお手本のように分かり易い読み易い字で「お母さんの云う事をよく聞いて、おじいさんとおばあさんを大切にしてあげてください。しっかり勉強して下さい」と書いてあった。
又、祖父母に対するハガキには「H子と仲良くして下さい。それが一番気がかりですから」と必ず書いてあった。自分の妻は父母にとっては嫁である。嫁姑が仲良くしてくれと心からの願いであったと思う。
”戦争が終ったら皆で一緒に旅行に行こう”と書いてあったハガキは一年位かかって届いた。
この文章が検閲に引っかかったのだと思う。
「父の戦地」この本の一番の特徴は”絵”である。
絵の上手な人であったと察するがそこに一緒に写っている「軍事郵便」と書いてある写真を見ると私はほろほろと涙がわいてくる。
この著者は東京っ子。私は四国瀬戸内の海辺の子。住んだ所の違いはあるけれど父から子へ、そして子から父への唯一の愛のより所であった戦地への手紙の往復の心情は全く同じだったと思う。
第13回の中に
『だが戦争は賑やかだった私の家から父を取り上げてしまった。父があの世へ旅立ったのは病におかされたからではない。まして死にたいという意思があったからではなかった。父はもっと生きたかった筈なのである。”死んで国を守れ”と云われてもこの世に未練も執着もあったのである』
この文章は私の心情と全く同じである。難しい理論は分からない。ただ戦争というものは極く一部の人間の利害を考えて始まり犠牲者は多くは名もない庶民ばかりである。血を流す戦争は”悪”以外の何物でもない。
「父の戦地」
北原亞衣子/著
新潮社
1400円+税
北原亞衣子/著
新潮社
1400円+税
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