ある日、自室のテーブルの上に暮しの手帖がのせてあった。
私は初めて見るこの雑誌がとても新鮮に思えた。
そして専用のカバーをかけてあった。
うわぁ、綺麗な雑誌だとても珍しく眺めた。
私が知っている婦人誌は母が毎月買っていた「主婦の友」だった。私も時々読んでいた。ある時キューリー夫人伝が載っていたのを読み子供心に女でもこんなすばらしい科学者がいるんだ、私もこういう人になりたいなぁーと夢を見たこともあった。私の生まれた香川県(サヌキの国)という土地柄は戦前、戦中絶対的な男尊女卑だった。私は長子として生まれたので祖父母にとっては初孫という事で大事に大事に育てられたが二番目も女が生まれ三番目も女が生まれたときには父はともかく祖父は「又オナゴの子が」と云ったっきり見にも来てくれなかったと後年ずーっと母はあの娘は可哀想だったと云い続けていた。その三女が一番優しくて三人の中で一番美人に育ったのに。
そんな中で私にとって暮しの手帖はとても素晴らしい雑誌に思えた。新聞記者の奥さんでこんなにアカ抜けた女性はしゃれた雑誌を読んでるなと思った。特製のカバー付の雑誌。雑誌を大事に扱おうという出版社の意思を感じた。私の心の中に暮らしの手帖は素敵な思い出を残してくれた。
以来、私の人生にも様々な事が起こりキューリー夫人のようになる道は歩む事が叶わず暮らしの手帖ともいつしか遠くに離れていった。
私が再度暮しの手帳に会ったのはそれから7年たった1956年イセザキ書房を開店した時だった。二ヶ月に一度発売される暮らしの手帖は私の頭の中では別格の存在だった。そして広告頁が一頁もないという事を知りそれがどんなに立派な困難な事かその時には私の考えが及ぶところだはなかった。
「主婦の友」「婦人生活」「主婦と生活」「婦人クラブ」この4誌が長い間婦人誌(当時は女性誌という呼び名はなかった)の代表格だった。主婦が家事をこなし女の常識向上に役立った。季節に応じた記事が掲載され主婦のテキストみたいな存在だった。結婚したら「主婦の友」と云いながら既婚女性の雑誌としてバッチリみとめられていた。
私は専業主婦にはなれずに終りそうだけど暇な時パラパラとめくる程度だったけど。
今は四誌共廃刊されてしまった。
暮しの手帖は広告を全くとっていないので広告主に気をつかうという事が全くなく、次々出てくる新しい商品のテストはとてもシビアだった。それだけに大変参考になった。「暮らしの手帖の評価が高かったのでこれ買った」という読者も多かった。私も時間のある時は楽しみにして開いてみた。特に大橋鎮子さんの頁(本の真中あたりの黄色い紙の頁)「すてきなあなたに」というタイトルの頁は魅力的だった。年令は私より上だろうか、下ではなさそうだが・・・・などと考えながら分かり易い筆運びとその内容に魅かれた。パリへ出かけるのもつい一寸そこまでという感じの旅行記。羨ましかった。
花森安治と名コンビで始まりずーっと一緒に歩いてきた。そして花森氏亡きあともその編集方針は変えることなく私達に生活の便利さ、知恵と生き方の合理性を教えてくれた。
私は書店をやりながら収益の事も考えながら、生活という人間の基本的な幸も求めてやまなかった。読書時間もなかなかとれなかったけどいつかきっとゆっくり読む時が出来るまで・・・・と考えて毎号一冊づつ店から買ってためておいた。一冊、一冊居間の棚に並べるだけで満腹感を味わっていた。
料理の頁、俳句の頁、短歌の頁、染めものの頁、花の育て方、生け方、飾り方の頁、子供の遊び道具の頁、ニーチキンの積み木の作り方の頁、おしゃれの頁(とっても役立つ実用的且つ美しい)カヌーの作り方という頁もあった。
フリープランという賃貸住宅の頁ではせまい公団住宅をワンルームにして広さを感じさせる術もあった。演劇類の話もあった。佃の渡しのお咲の役の二代目水谷八重子の若さと美しさ。島田正吾のうつりの良さ。書けば切がない。私が若返った気分になってゆく。
そして時は流れて私は高令になった。世の中は新自由主義とかいう時代になった。共産主義、社会主義、民主主義あたりまではほぼ理解できるが新自由主義なんていうものは私にはいいのか悪いのか人間を幸にするのかどうか全くよく分からない。私も美容院に行けば待ち時間があるので雑誌を手に取る。ある日、たまたま目の前にあったオレンジページを手にして大して期待もせずパラリパラリと開いた。週刊誌のような300円足らずのこの雑誌は売ることばかりはして来たが読んでみようと思った事がなかった。週刊新潮や週刊文春は手にとっても。
出版社名 オレンジページ
税込価格 310円
税込価格 310円
私が60年前に暮しの手帖をはじめて見た時に似た感動が走った、驚いた。素晴らしい雑誌ではないか。本屋をやっていながらこんな素晴らしい本を見落としていたなんて恥ずかしい。毎日毎日、必要な手料理の頁の出来の良さ、嬉しかった。
私は出来るだけ自分の食べるものは自分で作りたいと考えるように又なった。魚場で育った私は魚料理は自分でさばき煮たり焼いたりしたい。亡夫が食べ物にとてもうるさかった人なので(食通ではないが)子供の頃から食べて来た食べ物が美味しいと思う男であった。5品位はおかずがないと機嫌が悪かったので何とか夫に喜んでもらいたい一心で食材を選びお手伝いさんの手を借りながら亡夫の好物を一生懸命準備した。でも独りになってからは気が抜けてしまって誰も喜んでくれないし私一人のために労力を使う気になれなかった。もう十何年荒っぽい食生活になっていた。
入院したおかげで自分の体の事を考えるようになり美味しいものを食べたい、作りたいという気持ちになった。何十年もためていた高価な美しい食器も棚の奥で眼むらせてないでケーキを食べる時はこの皿で吸い物を食する時はこの椀で食べよう。お茶碗も好きで買ったこの茶碗に御飯を盛ろう。刺身を作ったときはこの大皿で並べようと思い出し棚の奥から客用にと考えて格納してあった高価な皿、小鉢を引っぱり出し手に届くところに置き直した。綺麗な皿に盛った煮物はいつもより美しくそして美味しい。
これはどの皿に盛ろうかと考えるのも嬉しくなった。オレンジページを発見したおかげでシンプルな料理も豊かな心で食べる術を覚えた。暮しの手帖の時代とは大きく異なる。雑誌の進化だと思う。
そして暮らしの手帖は今もずーっと続いている。
素晴らしいではないか。
雑誌の種類は何十倍も増えた。料理の事はオンパレード。男のためのものもある。男の人もきっと上手に作るだろうと思う。男子厨房に入るべしの時代になった。私はこういう時代だからこそ女性は謙虚になれと強く云いたい。私の生まれたふるさとの男尊女卑の時代には女性はもっと頭を使って強く美しくならねばならないと思っていた。今この時代だからこそ、女性よ謙虚になれ。そして男はもっと強くなって女性をしっかりリードすべしと叫びたい。
最近号の「すてきなあなたに」に書かれている大橋さんの一文を記しておきたい。時代は理解出来るかと思う。
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「ある日、通りかかった道で引き売りの魚屋さんを見つけました。長年なじみだった魚屋さんが店を閉めてしまって困っていたところでした。「家にも寄ってもらえませんか」「いいですよ火曜と金曜の夕方だけど・・・」場所を教えて来てもらいました。「ブリ、厚めに切って頂ける?」「オーケーこのくらい?」目の前で包丁を取り出して切ってくれます。「今度大きいカキ頼めるかしら」「いくつくらい」「15個くらいかな」コンビニには置いていない鮮魚がこうして買えるようになりました。今まで話しながら買い物できるのは個人商店だけと思っていました。でもそうでもありません。言ってみるものです。嬉しい発見でした。
(暮しの手帖39春107~106頁から文章抜粋)
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時代は止まる事なく動いている。
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