私には妹2人、弟2人、5人の妹弟がいる。
女、女、女、男、男と両親は10年余の間に5人の子供を作った。
父と母は結婚生活そのものが10年余しかなかったけど子供はたくさん産んでくれた。
一番下の弟が2月に生まれ、父が召集されて家を出たのが11月。
9ヶ月しか父と一緒に生きていない。
そして、常に母の背中に背負われて母の頭の後からチョコット顔を出していた。
これが父との最後の別れという広島の駅でもキョトキョトしているばかりだった。
その上の弟も別れたのが3歳足らずだったからよく覚えていないと思う。
下の妹(75歳)は温泉旅館を山鹿で経営している。
一番きれいで小柄で着物の良く似合う。
そして、風邪ひとつ引かない妹だった。
私は甥の結婚式で大阪まで行き、大阪から実家まで淡路島をバスで通り、さぬき市津田へ入った。
その日は遅かったので、弟の手配していた津田の松原の中にあるホテルとまではいかないが、海の見える新しい旅館で下の妹2人で寝た。
姉妹2人で並んで寝るなんて何十年ぶりだろう。
翌日は実家で101歳の母、上の弟やその妻や娘達と会って懐かしい魚類の御馳走でとても楽しかった。
私は結婚して55年以上も経ったけど、実家で2日以上泊る事がない。
一晩泊って、翌日帰る。
その繰り返しを10回少々。
なぜか、私の夫は私を実家へ行かすのを嫌った。
私を大事に大事に育ててくれた祖父・祖母が亡くなった時も、
「行く必要がない」という一言で私も逆らえず、心の中で泣く泣く行かなかった。
そんな時いちばんやさしい妹と並んで寝るなんて相当感激物だった。
朝目が覚めた時、何時だかわからないけど(もうすみ代、起きようよ)
と云って、起きたのだった。
私は帰ってきてから1ヶ月間位(もうすみ代、起きようよ)と云っている。
ずーっとすみ代が隣に寝ている気分が続いた。
その妹が脳腫瘍が見つかり、今は2ミリぐらいだけど、
今後、これが5ミリ以上になると爆発して大変な事になる。
すぐに香川県立中央病院へ行って診察してもらえと、下の弟の妻の兄が整形外科医なので
レントゲンをとり、すぐに中央病院へ連絡をとってくれたらしい。
診断の結果、手術するしかないという結論になり、体の丈夫な事が自慢だった妹も決心したらしい。
私は行ってやれないけど、娘2人息子も交替に来ているらしいので一安心。
手術もうまくいってほっとした。
だが、あまり病院食が食べられず食欲が出ないと云ったら上の弟が
「すみ代姉ちゃん、何が食べたいんだ」と問うと
「子供の時食べた津田の魚の焼いたのがほしい」と云う。
弟は一番年齢の近い相手なのですぐに準備した。
サンマを焼いて大根と大根おろし金を一緒に持参してすみ代の前で大根おろしをかけて出してやった。
喜んで食べてくれたらしい。
この話を聞いた時、私は何十年前の一コマの風景を思い出した。
私が女学校に出かけようとした時、
「基延ちゃん、早く行こうよ。遅れるよ」と急かしている。
基延は「こんなおとなの長靴なんか恥ずかしくて履いて行かれないよ」
そう云いつつ、すみ代がなだめすかして一緒に登校したと思う。
物不足時代の事、何もかも配給だった頃、大人の長靴を履いていったかどうか分からないが、すみ代はいつも上の弟に一番年齢が近いので面倒をよくみてやっていたと思う。
“すみ代ちゃん、絶対良くなる、治ると心から信じて充分な養生をしてね”
80歳になっても忘れ得ない様々な思い出。
でも、みんな年をとってしまったけど。
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