2012年6月30日土曜日

総理大臣ってその程度で務まるの?

 消費税に明け、消費税に暮れそうなた半年。
消費税は、一度税率を変えると流通業界は大混乱する。
値札を付け変えたら良いものではない。
入荷した時の税率を適用しなければならないのと
レジスターの数字も変更するだけに止まらず、
一品一品考えながら、チェックしながら売らねばならない。

購買者も疑心暗鬼を抱からずを得ない。
これから二度もそんな事があると、
また、零細企業は力が失われる。
そういうことを増税のステップに命をかけると云うお方は、
御存知なんだろうか?
一度私の店で一日見学して下さい。
その事は、ずーっと私の頭から、というより
流通業者・小売業者(特に零細)は
思いあぐねていると思う。

私は、日が経つにつれて、
野田総理の顔つきが変わってきたのを観た。
勿論、テレビの中だけれど、
テレビは如実に感情を映し出すものである。
これは誰かに押されて苦しい思いをしているなと
思いつつ、私は観ていた。
もう、55年以上も人間相手の商売をしていると
私 のような人間でもそういう事がはっきり分かる。
財務省に押されているんだなと、
私は単純に思っていた。
そして、今週の週刊現代に、勝次官の事が
詳しく出ていて、やっぱりそうだったのかと
合点がいった。

一国の総理が、一省庁の次官の命令に
従っているんだ。自民・公明との取引も
すべて、すべて勝次官の命令?とは。
私は、なるほどと思うと同時に唖然とした。
そうだったんだ。財務省の次官の命令で
野田総理は苦しんだのかも分からない。

総理大臣と云えば、一代代議士になっても
なれる人は数える程しかいない。
政治家になれば、みんなそれが目標であり
その為にやっている人ばかりだと思う。
今、戦後の総理のシリーズ本が出ているが、
年中、年中、当番みたいに変わる日本の総理も
未だ100冊にも達していない。

夢かない総理大臣の椅子に座ったけど
上から命令する人がいる事は
予想していたのだろうか?
国民のため、国家のため、老いた時の
年令にとか、色々説明しているけれど、
そんな事、みんなデタラメ。
財務省に金が欲しいから、次官は総理に
命じて消費税アップを計ったものと思う。

この調子で行くと、
様々な税金が上がってくるだろう。
年金も、私は50年間以上、それなりの率で
支払って来た。支払っていない人は、
もらう権利は当然ないと思う。
そして更に、困っている人にと云って
手当を出しているが、
「働けば引かれるから、働かない方が良い。」
と云って、フラリフラリした人間が多すぎる。

税金にしろ、何にしろ出来るだけ
シンプルにして欲しい。
ついでに云えば、年寄りの一人身が
どんどん増えて来たが、
これはもう自然のなりゆき。
昔、私の母の世代は、結婚するというより
”嫁に行く”という表現をしていた。
そして、その家の一員としてその中で
子供を産み育てて来た。
夫の両親・祖母・父母もいる。大家族である。
その中で、嫁に来た他人の女性は、
夫の両親に仕込まれて来た。
キツイ人もいた。苦労した嫁もいた。
しかし、その嫁も又、息子が嫁をもらうと立場は逆転。
その繰り返しができるのは、農業とか漁業とか個人商店
 とか親の職業を
 をそのまま引き継ぐ場合でないと出来ない。

現代は世界中が舞台。
どこで仕事 するか分からない職 業の時代では
するにも出来ない。
夫婦単位、しかも現状は妻の方が
力を持っている家庭が多い。
もうこうなったら、年取った老人は
どうする事も出来ず 問題になってしまった。
私は、本当は(姥捨て山)が、必要になったなと
つくづく思う。

話を元に戻して、日本は消費税だけでなく
他にも生きている間、沢山の税金がある。
財務省も勝氏のように力のあるという事は
器量もあるはずだから、
目線を財務省から国民に移してほしい。
今は、権力 を持っているのかも分からないけど
老後は、神様が決めて下さいます。

どんなに勝氏が優秀で、力があっても、
人生はどうなるか分からないものです。
”終わりよければすべて良し” となるかどうか。
総理は、総理らしく、
先ず国家国民の事に愛を傾けて下さい。
お願いします。






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2012年6月23日土曜日

神戸駅 19時30分

 神戸に住んでいた千賀恒一、智恵子夫妻の家へ
電報が届いた。
____________________

ホンジツ ゴゴ七ジ三〇プンニ
コウベエキ ツーカシマス
スミマセンガ ナンデモヨイカラ
タベモノモッテキテイタダケマセンカ
ナワ ヨシミツ
____________________

名和吉光とは、智恵子の妹 日出子の夫である。
33才で召集兵にとられ、佐世保へ入隊したはずだが
19時30分の列車は下りである。
智恵子も恒一も、よく分からないけれど
おなかをすかしているらしい吉光の事がピンと来た。

夕飯用のご飯を全部梅干を入れておにぎりにした。
食事用に作ってあったおかずも全部弁当箱に詰め、
魔法瓶にみそ汁を入れ、
二人でさげて神戸駅に急いだ。
時間がない、間に合うかどうか。

ホームはすぐ分かった。
ギリギリについた所へ、窓を全部黒い幕で
見えなくしてある列車が、入って来た。
5両と6両の間に、吉光の手を振っている姿が
智恵子の目に入った。
「姉さんすんません。
木更津を出てから何も食べてなくて
ペコペコなんです。有難うございました。
この恩は生きて帰っていお返しします。
このハガキを投函して下さい。
こうしないと書けないので。」
と云って、一枚のハガキが吉光の手から
智恵子の手に渡された。
妻 日出子宛てのハガキであった。

停車の5分はすぐに過ぎて
汽車は、ホームから動き出した。
「ありがとうござんした。姉さん、兄さーん。」
という声が聞こえなくなっても
吉光が手を振っているのだけはうっすら分った。

吉光は、周囲の者に少し分け与えながら
涙をこぼした。
電話をかける事も出来ない。電報しかなかった。

投函する前に、智恵子はハガキを読んだ。

「神戸を通る事が分かったので、千賀へ電報を打って
食べ物を神戸駅まで 持ってきてもらった。
礼を云っておいてくれ。
熱海で温泉に入った。湯はたっぷりあって
とても気持ちが良かった。
帰ったら、日出子と子供5人を連れて
熱海の温泉に行こうと決めた。
何も食べ物がないんだ。腹がすいてどうにもならん・
年老いた両親と仲良くしてくれ。
子供達には、しっかり勉強させてやってくれ。
大学に行かせてやってくれ。
千賀の姉さんのおかげで、やっと腹の虫がおさまった。」

と書かれていた。
智恵子は、涙を流しながらこのハガキを
駅の中のポストへ 投函した。

恒一が云った。
「木更津からどこへ行くのか分からないが、
食べ物もないなんて、ヒドイゾー。
お上は、こんな事ご存知なんだろうか?
智恵子、この戦争は負けるぞ。
お前と美鈴(娘)は津田へでも疎開した方がいい。
神戸も空襲を受けるぞ。」
と云いながら、漬物とお茶で夕食を済ませた。

吉光は、どこへやられるのか、送られるのか全く知らない。
窓は、全部黒いカーテンがおりて外は何も見えない。
唯、陽の具合で西へ向かっている事だけは確かだ。
どこへ行くのだろうか?すべて軍事機密。

0歳から10歳までの5人の子供、60才を過ぎた老夫母、
そして、かけがえのない妻、日出子を残して
召集令に応じて自宅を出たのは、昭和18年11月。
吉光は、出征するその日の朝早く、
沖の魚の具合を 見に船を出した、一人で。

魚の具合よりも、生まれて33年毎日見て来たこの蟹甲湾。
そして、職場であった 仕事で毎日見つずけた雨瀧山と火山。
この姿を自分の目の中に焼き付け、
身体の中にこの潮風をたっぷりと入れておきたかったのだ。
自分は生きて帰る、必ず、必ず、と願いつつ
出征して行ったが、家を出たきり愛する家族のもとへは
終に帰れなかった。
フィリピンルソン島で、戦病死という報告があった。
戦病死、それは野たれ死に。

役場の担当者が、
「気の毒な家の人が戦死した。私は、よう伝えられない。」
と云って、夜になるまでもめていた。
そして、日出子の懇意にしている人が、
「私が行って、名和さんに話します。」
と云って、9時過ぎてやって来た。

思いもかけない訃報。
妻 日出子は、転げるように何時間も泣きに泣いた。
その時、すでに疎開して津田に来ていた姉 智恵子が
何時間も日出子の背中をなでながら泣いていた。

吉光にとって、母 ナカは一滴の涙もこぼさず
仏壇におひかりさんをあげ、
「ヨシミツ、ヨシミツ」と名前を呼び 続けていた。
父 延太郎は、腕組みをしたまま、吉光が帰って来たら
一緒に飲むんだと一流の銘酒を2本置いてあったのを
坪の内の庭の石にぶちつけて割ってしまった。
長女 智子は、母が死ぬかと思った。泣きすぎて。
父と最後に別れた時、「智子、しっかり勉強しろよ。」
と云われた言葉が聞こえて来た。

戦争は、悲劇以外の何者でもない。
智子は、このカタキはとってやると心に誓った。







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2012年6月16日土曜日

時は流れる 休みなく

私は、下駄と草履と精一杯、運動靴 で育った世代。
大人になって靴をはくのが難しかった。

いいと思っても、暫く履いているうちに、
小指や親指の先が、痛くなる。
アメリカへいった時、履いて行った靴が
足になじまなくて困ってしまい、
靴屋へ飛び込んで一足買った。

どちらかと云えば、ウォーキングシューズで
カッコウはよくなかったけれど、
足の指が伸ばせて、ほっとして一週間を過ごした。

アメリカで買った靴と自分では思っていたが、
実際は ”メイド イン コーリア”。
それでもウォーキングの時は、今でもそれを
履いている。10年間も。

元町へ行った時、「ドイツ靴店」というのを
裏通りで見つけて、入ってみたら、
私の足の形をとり、採寸も縦・横・高さ、と
非常に詳しく計ってくれて、
「右足が5mm短いので、靴底で調整しましょう。」と云われ、
3万円くらいだったか、足にピタッとくるようにしてくれて
履いているか、履いていないか分からない程、
私の足にフィットしている靴を出してくれた。

革靴だけど、実に軽い。疲れない。
私は1日10時間間位は履いているので、普通の靴だと
途中で一度脱いで、足を伸ばしたいという
気分になるのだが、そういう事の全くない靴に
出会って本当に嬉しかった。

季節が秋になる頃、再び、その靴屋へ行き、
次は黒を買った。
「お客さんが、今履いている方、
大分傷んでいるようですから修理しましょうか?」
と云われ、私は驚いた。
「直していただけるんですか?ぜひ、お願いいたします。」
と同時に「この靴、私の足に合っているので、
もう一足欲しいです。」と云ったら、
「一寸待って下さい。ドイツのメーカーが、この型は
もう作っていないのですが、うちの在庫を見てきましょう。」
と云って、奥へ引っ込み30分位経ってから、
「申し訳ないです。うちにも、もうないですね。
いや、似たタイプの靴を探しておきましょう。
それに、修理はいつまでも致しますから
心配しないで下さい。」と云った。
残念と思いつつ、その日は、新しい黒い靴を履いて帰った。

一週間くらい経った頃、「修理ができました。」という
電話があった。そして、私が取りに行ったのは
春の終わりの頃だった。
元町と云っても、そんなに遠くないけれど
その時間がとれず、月日が流れてしまった。

春の終わり頃、電話したら「はい、出来ております。どうぞ。」
という何のひっかかりもない、すんなりとした返事でほっとした。
そして、黒を又、修理に預け、白い靴を履いて帰った。
でも、修理だけの3か月前の支払いだけでは
申し訳ない気がして、新しいのを一足買おうと思って、
眺めていると、
「お客様、一寸計ってみましょう。」と云いながら、
物指しみたいな物、分度器みたいな物、定規  みたいな物で
あちこち計り、
「お客様、右の膝を悪くしていますね。
今買うと、今の体型に合わせると
直った時、合いませんから、右の膝をもう少し伸ばしてから
買っていただきます。」という返事。

今、不景気の中で、大型の小売店はともかくとして、
中小零細小売店は、必死・必死の時代。
そんな中で私は、この店の店員さんの態度に
実に、すがすがしいものを感じた。

一昔前ならともかく、この20年少々、平成になってからは
非常にどの小売店も苦しい。
極端な表現をすれば、ペテンに引っかけても、
売った者勝ちという時代になっている。
更に更に、値段を下げても ”売る” 事が至上命令。
客の事など、口先では色々言ってるけど、
本心は違う事かどうか、私の年令になれば分かってしまう。

この店の、この元町裏側の通りの中の
ドイツ靴店の素晴らしさを、
私は誰かに、否、みんなに話をしたい。

親の家業を継ぐのが当然みたいだった時代ではない。
親は親、そして、子は子の生き方と、
時の流れの速さに押し流されていきそうなこの時代に、
この靴屋の存在は、見事だと思った。

私も、商人。
そして、時の流れは、決して意のままにはならない。
そんな時代に、すごーくすがすがしい喜びを
私は、与えられた。





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2012年6月9日土曜日

厳しい夫に仕込まれた私

私は、55年間、本屋一筋の人生であった。
これからも、知力・気力・体力の許す限り
この小さな書店(40坪)を続けて行くつもりだ。

半世紀以上やった中で、未だ私が20歳代の、
開店して間もない頃だったと思う、
当時、あちこちにあった洋裁学校のなかのある学校へ
教材に使うからと云って、その学校の女の先生
(当時の私よりもずっと年上)が、
1冊¥3000の本を50冊買ってくれた。
「¥150,000-の代金は、生徒から集めて揃えて
お届けします。」という約束で、
私は、50冊の洋裁の本をスクーターに乗せて届けた。
「1週間位で集金出来ると思います。」と云われたので
10日間位経った頃、電話したら、
「未だ金額に達していないので、もう少し待って下さい。」
という返事だった。
そして、1ヶ月経っても音沙汰がないので
学校へ行って、生徒さんに聞いてみると
「全員、もうみんな支払っていますよ。」
という事なので、先生にお支払いをお願いしたら
「一寸待って下さい。」
という言葉のまま更に1ヶ月経っても支払いがない。

納品してから、3ヶ月以上経った頃、
夫が「これはおかしい。簡易裁判所へ提訴しよう。」
と云った。そして、私にその手続きの方法を
裁判所へ行って聞いて来いと、命じた。

夫は、中央大学の法学部卒のバリバリの法律屋なのに
知識のない私がなぜ?と思い、夫に聞いた。
「貴方は専門家。私のように知識も経験もない者が
法廷に出たら負けるかも分からない。」と私は云った。

すると、明日出廷という前夜、
「一寸来い。俺が今から云うからメモして頭に入れろ。」
という前段階があって、
1、 こう云われたら、こう返事をしろ。
2、 こう云われたら、返事をせずに黙っていろ。
3、 又、こういう質問が来たら、こう答えろ。
以下、15項目位を私にメモをとらせて
「それで、大きい声でしっかりと答えるように。」 

私は、胸がドキドキしてきた。
上手く答えられるだろうか?
20歳代後半の若い未経験の女に出来るだろうか?
とても とても 心配だった。
しかし、当たって砕けろだ!やってみよう!
と自分に云い聞かせ、決められた時間に法廷に出た。

左に判事?向う側に洋裁学校の先生。そして、相対して私。
私は、その頃には、もう度胸が据わって来た。
具体的な言葉は、ほとんど忘れたが、
私は、必死で大きくゆっくりとした声で全部答えた。
最後に判事の方から、
「この法廷にかかった費用は、どちらが持ちますか?
折半ですか?」と云われたので、私はすぐに立ち上がった。
「問題を作ったのはそちらです。
勿論、費用はそちら側で全額負担すべきです!」
と私は、これは主人のメモの中には含まれていなかったが
はっきりと答えた。
「分かりました。それでは、○○洋裁学校は、
品代金と費用を支払って下さい。」

これで終わり、無事代金は返って来た。
さて、帰宅の準備をして法廷を出て来たら
「君は、なかなか声は通るし、意味も明瞭だし、よく出来た。」
という夫の声がする。
見れば、夫は傍聴席で一部始終、全部見ていたらしい。

私の夫は、手も早いし、口論は絶対に負ける。

私の父親は、(昭和20年6月、フィリピンのルソン島で野たれ死に)
召集兵だったのに戦病死とされ、白木の箱の中には、
『○○○○の霊』と書いた紙切れが一枚、入っていただけ。

5人の私達妹弟が無事育ったのはひとえに、祖父母のおかげだった 。
その祖父が亡くなった時も、
初孫で可愛がってもらった祖母が亡くなった時も、
「お葬式に行かなくてよい、行くな。」
という事で、私は参列出来なかった。

年をとる毎に、祖父・祖母の事 が思い出されて
何度、私は離婚しようかと思ったか分からない。
しかし、なぜか理由ははっきりと分からないが、
私は、36年間頑張った。
夫亡き後、私は、夫の意志 として、商売の道を歩み続けた。


そして今回、ある船食会社が、船から預かってきた代金を
当方へ送金せず、もう4カ月目に入った。
相手の住所が名古屋なので、私は、準備をして
名古屋の裁判所へ控訴しようと考えた。
実行に移る直前、船会社が間に立って入って下さって、
代替払を親切にやっていただけたので、
私は、名古屋へ行かずに済んだが。

今回、厳しかった夫に従って来たのは、
私を伸ばすためだったんだと、はっきり自覚した。
夫もそのつもりだったのだろう。
愛情の示し方が変わっているし不器用なので
私は、非常に苦しんだ。
しかし、今、亡き夫のお仏壇の前に座って、
お線香のたちのぼる煙を眺めながら、
「貴方、ありがとう。これからも助けて下さい。」
と祈った。

でも、事はこれだけではない。
これは、ほんの一例。 






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2012年6月5日火曜日

『特集号』野田総理、貴方は消費税を上げる為に総理になったのですか?

 シンガポール元首相リーク・アンユー氏が来日して
云われた言葉の
「日本の政治に関しては、首相が頻繁に交代するのが
理解できない。指導者が実績を築き、
国民から信頼を獲得するには1~2年かかる。
本当に仕事を実行できるのはその次だ。
経済や社会の変化は、急いで出来るものではない。
政治指導者に必要な条件とは、
第1に、強いカリスマ性。
第2にそのカリスマ性を示す時間。
そして、第3に、国民の信頼だ。」と云って帰った。

私は、野田総理に合わせてみた。
全部ない。残念ながら。

野田総理は、財務省のエライ方の云われる通り
消費税アップに明けくれ、
消費税アップに消えてゆくだろう。
日本は、消費税だけでなく、
社会保険とかその他にもとられるものが多すぎる。
北欧とは訳が違う。

そして、零細企業は、死んでしまえと云わぬばかりのやり方だ。
野田総理、それでも貴方は国民を愛していると云えますか?
私から見れば、国民の事より、何より自分がかわいいんです。
その為になら、国民の事は頭の中にない。
景気は、ますます悪化しているのに、
この時期に何故、国民、特に零細企業に冷たく当たるのですか?

消費税を上げたら、国民生活がどうなるか
1分でも考えた事がありますか?
消費税以外の事を考えた事がありますか?
貴方の給料、全部投げますか?

零細企業の経営者は、先ずそれに近い状況です。
 ”昔、野田総理というのがいたけど、
  消費税アップに全総力を打ち込んで終わったなー。”
と云われる為にやっているのですか?
ツギハギ政治は止めて下さい!
シンガポールの元首相の言葉、
一国のリーダーには、カリスマ性が必要です。
こんなに毎日毎日、死んだ・殺したの事件がいっぱいで
景気は下がる一方・・・。

野田総理、財務省の事より、国民に愛を注いで下さい!







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2012年6月2日土曜日

景気雇用は休みが増える事ではない!

政府は、春のゴールデンウィークのような形を
秋にも作ると云う事があるらしい。
「私は、ゴールデンウィークが大嫌い 」 と
3~4週間前に書いた。
現在、祝日は16日もあるので
”海の日” ”敬老の日” ”体育の日”を秋に持ってきて
間に挟んで一週間 丸丸休日に 持って行くとか。

○○の日という意味は、全く無く、何でもよいから
連休を作って遊びに行き易いようにするという。
遊ぶ事、それは結構です。
しかし、この恩恵にあずかれるのは
サラリーマン、特に大企業の月給取りのみ。

世の中には、土・日だって休めない仕事の人が大勢いる。
なぜか?零細自営業の人達は、どんな連休があっても
休む事は出来ない。休めば売上がなくなる。
かといって、開店しても人は旅行に出てしまって
常連さんすらやって来てくれないのが現状である。
そして、旅行でお金を使ってしまって、
ゴールデンウィークの後は、グンと売上が落ちるのが
毎年の事である。

大体、考えてみて下さい!
お彼岸にしろ、お盆にしろ、ちゃんと意味があって
それなりの行事をする。
新しく出来た休日は、意味もなく、
唯 休み!
祝日と云っても国旗ひとつ立てるでなし、何もしない。
唯 休むだけ!

こんな事で国は栄えますか?

遊んでお金を全部使って、景気をよくする。実に虚しい。
景気をよくする方法は、他にも沢山ある。しないだけ。 


大学生は、3年生くらいになると就活を始める。
パソコンを駆使して、会社を調べ、
パソコンを使って申し込む。
それはそれで結構な事だけど、
自分で企業を起こすという人間は非常に少ない。
お金も無し、自信もない。親も許さない。
大企業にオンブにダッコしていれば先は安泰。
それで、必死に企業をあさりまくる。

でも、一寸考えてみて下さい。
国が、栄える基盤を作った。
明治維新、そして、太平洋戦争後の昭和維新。
いずれの時もみんな必死で業を立ち上げた。
企業とまでは行かなくとも、町工場なり、農業、
漁業とありとあらゆる業界が、
競って業を立ち上げた。


皆様もご存じのように、三代目・四代目なると
半分サラリーマンになってしまうのか、
血が薄くなるのか、初代のような意気込みは
失せてくる。
 売家と唐用で稼ぐ三代目 になってしまう!
企業家精神が希薄になってしまって、
頭も体も、強さを失っている。

私は、本当に日本の景気をよくしようと思うのなら
日本方式で生きる人間を増やす事だと思います。
今は、世界戦争時代です。
日本の円が、動くのも、ヨーロッパ・ 米国という
果てしなく遠い所に各国がある。
私は、いつも直径50cmくらいの地球儀を眺めている。
全く名前すら知らない国の騒動が、日本の円を上げ下げする。
一体どこだろうと思って地球儀で探す。
世界地図では、平面なので、あまり実感がわかないから。

でも今は、個人企業の大変難しい時代。
チェーン展開してゆくから、
 店員の真心がない。 
 お隣同士の親しみがない。
唯、出来るだけ売上を上げる事しか考えてない。


今は、国全体に心情というものが消え失せている。
総理からして、吉田茂のようなガムシャラな力量がない。
自分の時代に、これをやったという 実績を残したいだけ。
丸見えです。
何が生命をかけてやっているんですか!
国民は見抜いています。知らないのは本人のみ。
企業を立ち上げる難しさは分かります。
しかし、いつだってその困難は
多かれ少なかれ あったはず。
それでも飛び込んでやってみようと思う人が非常に少ない。 

零細企業だって、それなりの存在価値があります。
店でも大きい店ばかりではダメ。
 情が薄い。
 心がない。
そうでしょう。経営者 とか云って、店頭ではなく、
奥の社長室で仕事をしているんですもの。
おなじみさんなんて出来るはずもない。
企画にはまった人間ばかりに
遊びの時間をいくら作っても景気はよくなりません。

景気を悪くしているのは、他にも理由もあるけど
月給取り(国・大企業の)が多すぎるからなんです。
この上、消費税を上げてみなさい。
混乱するばかりで、景気は悪化します。
○○手当もよいけれど、もっと国民に
    愛を授けて下さい。



 



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