2012年6月23日土曜日

神戸駅 19時30分

 神戸に住んでいた千賀恒一、智恵子夫妻の家へ
電報が届いた。
____________________

ホンジツ ゴゴ七ジ三〇プンニ
コウベエキ ツーカシマス
スミマセンガ ナンデモヨイカラ
タベモノモッテキテイタダケマセンカ
ナワ ヨシミツ
____________________

名和吉光とは、智恵子の妹 日出子の夫である。
33才で召集兵にとられ、佐世保へ入隊したはずだが
19時30分の列車は下りである。
智恵子も恒一も、よく分からないけれど
おなかをすかしているらしい吉光の事がピンと来た。

夕飯用のご飯を全部梅干を入れておにぎりにした。
食事用に作ってあったおかずも全部弁当箱に詰め、
魔法瓶にみそ汁を入れ、
二人でさげて神戸駅に急いだ。
時間がない、間に合うかどうか。

ホームはすぐ分かった。
ギリギリについた所へ、窓を全部黒い幕で
見えなくしてある列車が、入って来た。
5両と6両の間に、吉光の手を振っている姿が
智恵子の目に入った。
「姉さんすんません。
木更津を出てから何も食べてなくて
ペコペコなんです。有難うございました。
この恩は生きて帰っていお返しします。
このハガキを投函して下さい。
こうしないと書けないので。」
と云って、一枚のハガキが吉光の手から
智恵子の手に渡された。
妻 日出子宛てのハガキであった。

停車の5分はすぐに過ぎて
汽車は、ホームから動き出した。
「ありがとうござんした。姉さん、兄さーん。」
という声が聞こえなくなっても
吉光が手を振っているのだけはうっすら分った。

吉光は、周囲の者に少し分け与えながら
涙をこぼした。
電話をかける事も出来ない。電報しかなかった。

投函する前に、智恵子はハガキを読んだ。

「神戸を通る事が分かったので、千賀へ電報を打って
食べ物を神戸駅まで 持ってきてもらった。
礼を云っておいてくれ。
熱海で温泉に入った。湯はたっぷりあって
とても気持ちが良かった。
帰ったら、日出子と子供5人を連れて
熱海の温泉に行こうと決めた。
何も食べ物がないんだ。腹がすいてどうにもならん・
年老いた両親と仲良くしてくれ。
子供達には、しっかり勉強させてやってくれ。
大学に行かせてやってくれ。
千賀の姉さんのおかげで、やっと腹の虫がおさまった。」

と書かれていた。
智恵子は、涙を流しながらこのハガキを
駅の中のポストへ 投函した。

恒一が云った。
「木更津からどこへ行くのか分からないが、
食べ物もないなんて、ヒドイゾー。
お上は、こんな事ご存知なんだろうか?
智恵子、この戦争は負けるぞ。
お前と美鈴(娘)は津田へでも疎開した方がいい。
神戸も空襲を受けるぞ。」
と云いながら、漬物とお茶で夕食を済ませた。

吉光は、どこへやられるのか、送られるのか全く知らない。
窓は、全部黒いカーテンがおりて外は何も見えない。
唯、陽の具合で西へ向かっている事だけは確かだ。
どこへ行くのだろうか?すべて軍事機密。

0歳から10歳までの5人の子供、60才を過ぎた老夫母、
そして、かけがえのない妻、日出子を残して
召集令に応じて自宅を出たのは、昭和18年11月。
吉光は、出征するその日の朝早く、
沖の魚の具合を 見に船を出した、一人で。

魚の具合よりも、生まれて33年毎日見て来たこの蟹甲湾。
そして、職場であった 仕事で毎日見つずけた雨瀧山と火山。
この姿を自分の目の中に焼き付け、
身体の中にこの潮風をたっぷりと入れておきたかったのだ。
自分は生きて帰る、必ず、必ず、と願いつつ
出征して行ったが、家を出たきり愛する家族のもとへは
終に帰れなかった。
フィリピンルソン島で、戦病死という報告があった。
戦病死、それは野たれ死に。

役場の担当者が、
「気の毒な家の人が戦死した。私は、よう伝えられない。」
と云って、夜になるまでもめていた。
そして、日出子の懇意にしている人が、
「私が行って、名和さんに話します。」
と云って、9時過ぎてやって来た。

思いもかけない訃報。
妻 日出子は、転げるように何時間も泣きに泣いた。
その時、すでに疎開して津田に来ていた姉 智恵子が
何時間も日出子の背中をなでながら泣いていた。

吉光にとって、母 ナカは一滴の涙もこぼさず
仏壇におひかりさんをあげ、
「ヨシミツ、ヨシミツ」と名前を呼び 続けていた。
父 延太郎は、腕組みをしたまま、吉光が帰って来たら
一緒に飲むんだと一流の銘酒を2本置いてあったのを
坪の内の庭の石にぶちつけて割ってしまった。
長女 智子は、母が死ぬかと思った。泣きすぎて。
父と最後に別れた時、「智子、しっかり勉強しろよ。」
と云われた言葉が聞こえて来た。

戦争は、悲劇以外の何者でもない。
智子は、このカタキはとってやると心に誓った。







-----------------------------------
イセザキ書房
〒231-0055
神奈川県横浜市中区末吉町1-23
TEL: 045-261-3308
FAX: 045-261-3309
www.isezaki-book.com
 お問い合わせ・ご注文フォーム
にほんブログ村 本ブログ 出版社・書店へ イセザキ書房オンラインショップ

0 件のコメント: