私が結婚して30年余経っていた頃。
私の年令も50才過ぎていたが、
家庭に1台しかないテレビも自由に
観る事は出来なかった。
夫は、いつ寝て、いつ起きるか
分からないような生活をしていたし。
夫の好きな番組は、どんどん観られるが
私にはチャンネル権が全くなかった。
夫が眠っている間に長ーいイヤホンを
つけて、私の部屋まで引っ張ってきて
(画面は私の部屋で観られるので)
観ていた。
そんな時期のある正月の番組に
江副浩正リクルート社会長と内橋克人と
もう一人はテレビ局の人だったと思うが、
対談があった。
何の気もなく夫の留守を幸に
私はそのテレビを観た。
江副浩正と云っても、私はよく知らなかった。
内橋克人は、2・3位本を読んでいた。
観ているうちに、だんだん魅きつけられ
最後まで観た。
何が私を魅きつけたのか
今ではよく分からないが、江副浩正という
人物が人並み優れたつわものだという事に
珍しかったのかも分からない。
きっと、財界のスターになる人だろうなと
強烈な印象を受けた。
当時は、景気の良いバブル最中だった。
初めて観た江副浩正に魅せられた。
知人にもりクリート社へ勤めていた人もいた。
その人もなかなか立派な人だった。
又、住宅雑誌でも読売から出ていたものを
つぶしてしまう程、リクルート社のものが
よく売れた。
私の心の中には、江副浩正という人は、
理想の財界人の卵だと写っていた。
暫くして、リクルート事件と呼ばれる事件が
ニュースをどんどん華やかにするほど
有名になった。
各界の上層部の人に、リクルートコスモス社の
未公開株を、次から次へとばらまいた。
出世を急ぐというか、早く一流人になるための
一つの方法だったのだろう。
そしてその株が上場され、もらった人達は
大物ばかり。沢山の利益を得た。
詳しくは覚えてないが、世間を大騒ぎさせた事は
覚えている。その後、江副浩正という名前は、
ほとんど出なくなった。
2月9日のネットに、江副浩正の亡くなった事が
出ていた。翌2月10日の日経新聞では、
“春秋”というコラムの欄に出ていたのみ。
執行猶予付きの有罪が確定してから
ちょうど10年。
もし、こういう早業をやらずに
通常通りの道を歩んでいたら、
きっと、一流の経済界の大物になっていたと
思う。
リクルート出身の優れた経済人は何人もいる。
しかし、本人は汚名を残したまま亡くなった。
私の心の中には、あんなに優れた人を
むざむざ社会の悪人として死なせてしまった事が
とても心惜しい気持ちでいっぱい。
人間の人生は、真っすぐな道を道なりに
歩んでゆけば、どんな人でも何かが出来る。
急ぐ事はなかったのに。
普通にやっても充分出来た人だったのに。
私は、独りで日経新聞のコラムを何度も読んだ。
そして、江副浩正という才ある人が
道を急ぎ過ぎた事を、とても残念に思っている。
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