3月30日の夜、
NHKのテレビのスイッチを入れると
もう無くなっていたと思われていた
この前の東京オリンピックのバレーの最終戦の
フィルムが見つかったといって放送していた。
私も手に汗を握って応援したというか
感動したというか、見た覚えがあった。
強いソ連に勝つために鬼の監督といわれた
大松監督の回転レシーブの様子が
何度も何度も繰り返された。
そしてその、間に出てきた当時の選手は
私よりも少し若いか、ほぼ同年令に近いと
思われるが、顔を出して
当時の苦しさ、きつさ、
それでも勝たねばならぬ思い出を
夫々語っていた。
それを観ながら私は、今のテレビ画面と
何か違うものを感じ取った。
今も強い競技もあれば、
無念の結果のものもある。
しかし、 私は、50年前の飛び出してきた
フィルムからは異様な心情がわいてきた。
単に、ソ連との戦いのもの、というよりも
日本人の選手の意気込みと表現すべきか
上手く言い表せないが、
私もその時まだ若くて、
オリンピックに、のまれていた人間の
一人だったけど、このフィルムの中から
当時の日本人の根性のたくましさ、気力の
旺盛さという非常に素晴らしいものを
感じ取った。
観終わって、57才で亡くなられたという
大松監督も一生をなげうって戦ったのかと
考えた。
非常に純粋な心情が、画面いっぱいに
拡がっていた。
半世紀経った今、ニュースの中に
手に汗を握るような力強いものは
私の世代ではもうありません。
そして、日本のどこかでだれかが殺された、
自殺した、というニュースが
毎日流される。
私は、戦争時代に生まれ、
招集兵としてついに帰らぬ父は
フィリピンのルソン島で野垂れ死にした。
別れたのは、小学校3年、妹2人、
弟2人の5人兄弟。
父の死を知ったのは、高校1年の時。
そして、高校3年の時、
サンフランシスコ条約で、
日本はやっと独立した。
吉田茂という名政治家というより
名外交家の力は大きかったと思う。
日本の総理もがん張っている事は分かる。
しかし、国民はどうだ。
あのソ連を相手にして戦ったような
気迫は本当に消え失せてしまったように
私は思う。
日本が東洋一の日本として
生きてゆく ためには、全員が国家のために
地球全体のために果たすべき役割が
あると思う。
若い者にだけ苦を背負わず、
老いも若きも大いなる夢と希望に向かって
歩んで行こうではありませんか。
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