2010年3月6日土曜日

最敬礼の男

宮本明 が生まれたのは大正初期。ぼつぼつ戦争色が濃くなりつつあった頃だ。宮本家は一町歩そこそこの田んぼを持っている農家だあった。
長男の 登 は2才上だったが、元気が良いを通り越して年中近所から苦情が来る悪戯っ子であった。
夜中に近くの畠のスイカを割って一人で食べたり隣の家の柿の木に登って木の枝の所でパクパク柿の実を食べたり・・・・。手に負えないような男の子だった。
それに引きかえ弟の 明 は一度も口答えすらした事のないような、両親の云いつけもよく守り農作業の手伝いも2才上の兄よりずっとよく仕事をした。
近所の評判も良く小学校へあがってからも特別優秀ではなかったが宿題などはきちんとする子供だった。両親も弟の方がずっといい人間に育つと思っていた。

徴兵検査で兄は目が悪くて落された。弟の 明 は平均的に先ず先ずで合格してなぜか海軍の佐世保へ入隊した。
今までは何でも我がもの顔にふるまっていた兄、登はこの件ではかなりショックを受けたようだった。

弟が入隊する日「では行ってくるよ」と兄に云った。両親にはきちんと挨拶して出発した。
その時 母は「明の顔色が悪かった。何か怯えている」と云って心配して汽車の窓から首を突っ込んで「明よ。心配せんでええよ、着いたらすぐハガキ出すんだよ」と云って明 の両手をしっかり握り締めてやった。冷たい手であったと心配した。そして明 の両眼から涙がポロリと落ちた。
母はその姿が忘れられなかった。
待っていたハガキは来なかった。役所から無事入隊したという報せが届いて安心した。
兄のイタズラも成長するにつれおさまって来たものの両親の心配は絶えなかった。
日中戦争も長く続き物不足の時代に入りかかった。
農家であったので家族が食べる物には困らず表立った事もなく2年の時間が流れ去った。

そんなある日、軍の人から連絡があって「明君が体調を崩したので人をつけて帰宅させる」という知らせが入った。
両親は詳しい事は分からず、どこが悪いのか分からないけど好きだったバラずしを作って待っていた。
昼過ぎの汽車で軍服姿の 明がうなだれた様子で上司と共に帰ってきた。
上司の話によれば「軍令に従わず夜も昼もベットに入ったまま何を聞いても返事をしない」軍医の話では精神的に異常があるので実家で静養せよと云う事だ」と云ったまますぐ帰ってしまった。母は行きつけの医院へ連れて行ったが「これは神経科だから紹介状を書くから持って行くように」と云われハラハラしながら県庁所在地の総合病院へすぐ連れて行った。
何も言葉を交わさず、ただ黙ってついて来るだけの 明が母は不憫でたまらなかった。

神経科の医者の前に立って 明は最敬礼をして「まことにすみません」と小さな声で云う。医者は色々調べていたが、「一晩病院で泊まりましょう、お母さんもできれば一緒に」と云われ近所の 電話のある知り合いへ頼んで、その旨を夫に告げた。
その夜、何度も何度も起き上がり眠れない様子だった。医者が入ってくると最敬礼をして「すみません」と小声でいう。医者は首をひねっていた。

ほとんど眠らず夜が明けた。翌日医者は「何か余程大きな精神的ショックを受けているようだから暫く家族で優しくしてあげて下さい、それでも未だ心配だったら又来てください」母子は何も云わず又汽車に乗って帰って来た。
母が気づいた事は途中で大人の男性に会うと 最敬礼をして「すみません」と小声で云う事だった。

家に帰っても前のように畠仕事を手伝ってくれと云ってもまったく返事もしないし動こうともしない。そして何処へともなく外へ出てあちこち歩き回っている。
その時も大人の男性に会うと必ず最敬礼をしてすみませんと小声でいう。
村の人達も「やあ明君帰って来たの」と声をかけても返事をせず敬礼をして「すみません」と繰り返すばかり。そのうち村中の人の口から口へ明は頭が狂って帰って来たんだと云う様になった。

それから何ヶ月か経った時一通の封書が届いた。
住所も名前も知らない人だけど宛名は間違いなく 宮本明様 になっている。
母は恐る恐る手紙を読み始めた。

「宮本君、宮本君のご両親様 私は明君と同隊で2年近く生活を共にした友人です。明君はとてもいい同僚でした。優しくて思いやりもあって本当に立派な軍人になる人だと思っていました。 ところがある時靴のひもを無くしてしまい上官からこっ酷く叱られました。 何回も何回もぶん殴られて明君は座りこんで動かなくなってしまったのです。 天皇陛下から頂いた物を無くすとは何事だと側にいる者も怖くて見ていられませんでした。 この件があってから明君は人が変わった様に無口になり、食事もあまりとらなくなり、何をするのも動作が鈍くなりました。だから又失敗すると又殴られる、最敬礼をして詫び言を云わされる・・・・・・・・・・こんな事がとてもひどくなり僕達も明君が可哀想で何とか庇おうとしたんですが、そうすると又明君がぶん殴られるんです。そのうち僕達にも顔を合わせると最敬礼をして「すみません」と云う様になりました。これはおかしいと思って上司に報告いたしました。 その後の事についてはどうなったのか分かりません。明君が居なくなったのです。明君は実家におられますか?構わなければ伺わせて下さい。私も期間満了で帰宅しましたので、この手紙が書けたのです。遅れた事お許し下さい」と書いてあった。

母はすぐに、この手紙を神経科科の医者の所へ持って行った、
医者は「分かりました、暫く入院させましょう。すぐにでも連れて来て下さい」
この医者の言葉に母は本心ホッとした。
村中の噂になっている 明を病院へ入れてやった方が良いと心から思った。
明が病院に入って間もなく母は風邪がもとで肺炎にかかり3日後に亡くなった。
妻に死なれ、明の病気は治る気配もなく父も落ちこんでしまった。
その時、長男が父さん田んぼの土地へ借家を建て農業を始めようよと云いそれを具体化した。新しい家に入って間もなく父も病名不明のまま亡くなってしまった。
それから何日か経った頃、明の病院から連絡があり亡くなったと云って来た。
病院へ行って兄はひっくり返るほどビックリした。

明はベットの横で最敬礼の姿で亡くなったのだ。
医師が心の弱かった弟を抱き上げて背をのばしてベットにのせてくれた。
弟は何年間最敬礼をさせられていた事か。そしてその間両親はどれほど心を乱した事か。
こんな悲しい最敬礼を誰がさせたのか。
悲しい悲しい時代でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今週のおすすめ本













「ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ」
面高直子/著

出版社名 講談社
税込価格 1,680円












「英雄なき島 硫黄島戦生き残り元海軍中尉の証言」
〔大曲覚/述〕 久山忍/著

出版社名 産経新聞出版
税込価格 1,680円













「未帰還兵(かえらざるひと) 
六十二年目の証言
産経新聞社の本」
将口泰浩/著

出版社名 産経新聞出版
税込価格 1,575円

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
twitterしています
お気軽にフォロー・リプどうぞ。
https://twitter.com/isezaki_shobo

イセザキ書房オンラインショップ
こちらもぜひ御利用下さい

-----------------------------------
イセザキ書房
〒231-0055 神奈川県横浜市中区末吉町1-23
TEL: 045-261-3308 FAX: 045-261-3309
http://www.isezaki-book.com/
お問い合わせ・ご注文フォーム
にほんブログ村 本ブログ 出版社・書店へ
イセザキ書房オンラインショップ

0 件のコメント: