2010年8月14日土曜日

八月は涙月  

今年の夏は異常に暑い。この暑さの中で涙をこぼさねばならない日が続く。
先ず 広島原爆投下の日、続いて長崎原爆投下の日、『この子を残して)原子病の永井医師が2人の
子供に残した本を感動して読んだのは中学生の時だった。
そして、『東京発大阪行き日航123便がレーダーから消えた) という歴史に残るファックスが全国の
報導機関に流された、日航ジャンボ機墜落事故から丸25年。御巣鷹山の涙。

忘れもしないその日 三光汽船が倒れた。本来ならトップ記事になるような事件だが、524人も乗っていた日航機の事故には及ばず三光汽船の記事は小さな記事で終わった。当店も少々売掛金があったので部長さんが来店され(ご和算にしてほしい)と云われた。その時私は夫の食道がんが発見し
慶友病院へ入院したばかり。三光汽船に(全部無しにして下さい)と言いきった。
イセザキ書房の奥さんは度胸者だと云われたらしいが私はそれどころではない状況下にあったのだ。

そして8月15日敗戦の日(私は終戦記念日なんてやさしい言葉では表したくない)
戦争に敗れた日として、年追うごとに様々な本を読んでゆけばゆくほど、負けるべくしてまけた日をきれいごとでは言いたくないと云うのが本心である。
私は毎年8月15日は店を休みにして神社にお参りする。
緑の木々の中で手をあわせ 今生かされている事に心から感謝する。

私は妹2人弟2人の5人の戦争遺児である。雑誌も テレビも 生き残って帰国した人の話 戦争の時のフイルムがこれでもかと云わぬばかりに目に入ってくる。
今まで語れなかったことも。
それが8月と云う月なんだ。

私には広島という土地は原爆問題だけでなく個人的にも大きな意味をもっている。
父は召集兵として佐世保に入隊し最後に外地に出される前に広島にはいった。
そのとき今から思えば最後の面会に行った。弁当を沢山持って 母 祖母 妹 弟 達と。
翌日父の乗る列車と反対側のホームでわかれをすることになった。
父は手を振りながら涙をぬぐっていた。私達も 泣きながら見送った。

そしてそれが今生の別れとなり、20年6月にルソン島で戦病死 つまり 野垂れ死に。
なぜも少し早く終わらせてくれなかったのか、悔しい 悔しい。
なぜこんな戦争をはじめたのか。幾たび思った事か。

1冊1冊 本を読めば読むほど色々な事が分かって来た。
でも私はここには書けない。一生大きな 恨み を抱えたまま終えるだろう。

        そう  まさしく 8月 は 涙月

政治家 他 トップの皆様にお願い致します。
文藝春秋 中央公論 その他の8月号を読んで下さい。
違った形で 過ちを繰り返さないために。
日本国を動かす力のある方は しっかり 本を読んで下さい。



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