時は昭和10年代の初めの頃だった。
亜紀は一度だけのお見合いでお互いに目も合わせずに手が労働の一生懸命さを表しているなと思っただけで、優しそうな人だからいいだろうと考えて結婚を承諾した。
二十歳だった。
茂光もあまり女を知らない。
21才・恥ずかしいような、もっと見たいような気持のまま「この女は悪くないな」と思ったので結婚を決めた。
そんな見合結婚をした二人の間に10年間で5人の子供が生まれた。
茂光の母が細面の鼻の高い美形の女だったので茂光もその母親の血を引いて中々良い男前だった。
しかし地方とは云え、その町の金持ちの順位に入る位の力量の持ち主だった父親の
繁太郎は高等科を卒業する前から自分の仕事の助手として茂光は働かされていた。
女遊びをする暇もなければ、そういう事にほとんど手を出さない性格であった。
結婚する前に父親と一緒に金毘羅宮へお参りした。
結婚生活の準備だった為の父親の計らいであったようだ。
いざ、結婚してみると舅・姑はやかましくうるさく叱るけどそれだけだった。
苦しめられたのは夫の妹二人の小姑だった。
浴衣を縫わされて「こんな縫い方では着られない、ほどいてしまえ」と怒鳴られ、味噌汁を作ったら味が薄い、水か湯みたいだと云って流しに全部捨てられてしまった。
亜紀と小姑は二つ違いでその下の妹とは三つ違い。
朝から日が暮れるまで何か文句がないかと探しているような女性だつた。
美人で背カッコウも良く、それが自慢で朝から夕方までいる日は怒鳴り散らしていた。
亜紀は何度も何度も、里へ帰ろうと考えた。
でも子供が一人二人と生まれてくると、そう簡単には実行出来なかった。
半年に一度位、里帰りをさせてくれる。
「亜紀よ、一ぺんT村のお母さんに会って来ては」と夫の母から云われた時の嬉しさ。
「有難うございます。いかせて頂きます」と浮き浮きしながら。
「母さんへ○○月○○日から6日伺います、よろしく」とハガキを書いて投函する嬉しさ。
もうあと何日と近づいて来る日を楽しみにしてていると義妹もそんなにこわくない。
六日間というのは云わなくても決まっていた。
どこへ行っても7日目に帰るのはいけない事、6日目か、さもなくば8日目にするものだと茂光の母は仏教の教えからかそう決めていた。
朝夕のお経はよく通る声で必ずあげていた。
仏壇をとても大切にする人であったから。
実家へ行く日は長女が生まれた時に実家から贈ってもらった、しつかりした大き目の乳母車に姑が準備してくれたみやげ類と下着など下に入れてその上に一人の小さい子供をのせ、大きい方は乳母車の横に手をつけて歩いて行った。
A峠を越えるのは、ほぼ一時間半(今なら車で20分)かかったけど亜紀は実家に行ける喜びで足取りも軽く嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
もう着く時間だと見計らって実家の母もすぐ側にある橋のたもとで出て待ってくれていた。
孫の方が先に「おばあちゃん、こんにちわ」と声をかけるとすぐに抱き上げて「よう来た、よう来た、大きくなった」と云って頬ずりをしながら実家の門をくぐった。
ごちそうが山ほど作られていた。
父が畠から帰ってくると孫二人(一人は赤ちゃん)気兼ねない夕食を久しぶりに食べる事が出来た。
裏の畠と云っても自分の家で食べるだけ作り、柿やみかんや桃の木もあり、イチジクの頃には土産で沢山持って帰る事にしている。
おいしいか、おいしいかと母は何度も念を押すように云うけれど云わなくても亜紀の好きなものばかり。
「妹さん達はやはりキツイか?」と一番気がかりな事を聞いてきた。
「どうしても居られなかったら一番下の乳のみ子とこの小さいの連れて帰って来ていいんだよ」と必ずいうけれど、亜紀は茂光の優しさを考えると実家へ帰る事は出来ないと思っている。
まるで、決まったように三日目には茂光は海のとれたての生きのいい魚を届けにやってくる。
必ず三日目に。
姑の差し金か茂光の心か?
そして食事をして茂光は帰って行くのだが必ず「6日目に帰ってこいよ」と真っすぐ目を見て必ず念を押す。
「はい、6日目に帰ります」と亜紀は答えながらこの人が居る限り義妹にいじめられようと離婚はしないとはっきり思う。
亜紀にとって茂光はもう愛する世界一の夫になってしまった。
六日目の朝、実家の母はあまり重くならない程度に乳母車の底にみやげを並べ準備する。
「もう、六日経ったんだ早いなぁ・・・」とか云いながら、そして上の子に「又、すぐ来いよ、おばあちゃん待ってるからね」と云ってギュッと抱きしめる。
帰りは峠のてっぺんまで母は送ってくれる。
亜紀は来る時と違い、足は重く、乳母車を押すのがとてもしんどい感じ。
行きと帰りでは大違い。
「又、来いよ」と何度もくり返しながら、やがて峠のてっぺんまで来ると乳母車を亜紀が引き取り「じゃ、サヨナラ又来ます。母さん体に気をつけてね」と云って下り坂を歩いて降り始める。
ふと、ふり帰ると母は未だ峠の上でじっと見ている。
手を振る。お互いに。声は届かない。
もう少し歩き、もうほとんど豆つぶ位に小さくなった母が未だ立っている。
亜紀は涙がホロホロとこぼれた。
又、これからあの義妹達と嫌な思いが待っているのだと腹をくくりながら町に入る。
何度こうした会うと別れが続いた事か。
でも亜紀が28才の時、実家の母はガンが出来て長い間、赤十字病院へ入院して亡くなった。
亜紀は倒れそうになった。
末っ子だったので母親との縁も短かっただけに、100才の今となっても、あの峠の別れのシーンは亜紀の胸の中でくっきりと残っている。
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1 件のコメント:
「峠の別れ」読ませていただきました。
これは、フィクション、ノンフィクションなのでしょうか
なにかの一説か、ミステリアスです。
亜紀さんは、母に支えられ、力強く生きていらっしゃったのですね。
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