あれから、何年経っただろうか。
昭和30年代、伊勢佐木町は横浜一番の商店街として市民の憧れの街でもあった。
その頃、4~5才位だった息子を伴い夫が当時あこがれのレストラン不二家へ食事に出掛けた。
ところが、小一時間たって夫は帰って来たのに息子は見えない。「あら?一郎は?」と問うと「おもちゃ屋の前で買ってくれと云って泣いて座り込んででしまったので放っておいて来た」
何よそれと私は思った。
子供が生まれる前男の子だったら俺が教育する、女の子だったら君の担当だ・・・・と云っていたが生まれてきたのが男の子だったので夫はなれぬ手つきながらも一生懸命教育(夫としてはそのつもり)をほどこした。
息子は父親に甘えながらも子供ながらにも畏敬の念を抱いて育った。
暫くして吉田町(伊勢佐木町1丁目近く)交番から電話が掛かってきた。
警察「お宅は本屋さんですか?」
「はいそうです」
警察「サトウイチロウというお子さんはおられますか?」
「ハイ、ウチの息子です」
警察「お父さんに置いて行かれて帰り道が分からないと云って今ここに来ています、店の名前も本人の氏名も住所も電話番号もこんなに小さいのにみんなよく知っていて、びっくりしました。いくら泣き止まないと云ってもこんな小さなお子さんを、街の真ん中に放って行くのはよくありませんよ。今から送っていきますから、これから注意して下さい」
私は驚くより夫らしいやり方だとホッと安心した。
ほどなく泣きべそ顔の息子はオマワリさんと一緒に帰って来た。
「パパ、もう云う事聞くからゴメンナサイ」と泣きながら、それでも父親に謝っていた。
初めての子供だからおもちゃを買い与えすぎて押入れ一杯になってしまって、これはよくないおもちゃはお正月と誕生日だけに買う事にすると決めたけど子供にはそんなの通用しなかった。
私だったら子供に負けてしまうけど夫は息子にも妻にもまことに厳しい男であった。
「男の子は独立心を養わねばならない」と云って小学校一年生の夏休みに私の実家、夫の生家のある現さぬき市へ一人で飛行機で行かせた。羽田までお手伝いさんに送ってもらい高松空港には私の弟が迎えに来てくれる手はずにしてあったが私としては不安でたまらなかった。
でも夫は「大丈夫、そんな事が出来ないようでは男になれん」と云って強行した。
それから小学校5年生の頃からユースホステルを予約して休み毎にあちこち一人旅を平気でするようになった。友達を誘って友達の父兄と学校の教師にたしなめられた。
けど、息子も夫もそんなこと意にも介さなかった。
1970年の大阪万博にもユースホステルを利用して一週間位かけて一人で観に行った。もうその頃には私も夫も慣れてしまってほとんど心配などしなくなっていった。
中学生の時、何かの折に受け持ちの先生に呼ばれて夫は中学校に初めて出掛けた事があった。教師から何を言われたのかはよく覚えてないが帰って来てから夫曰く。
「うちの息子は悪い時にはたたいてやって下さい。」
その時他はたたかず尻を殴ってください。
子供は痛みによって悪いという事の判断を身に感じるものなんです。
デューイの教育論を施して教育はどうあるべきかを先生によく話しておいたと云っていた。その後、当時の中学校の先生に会った時「佐藤君のお父さんからデューイの教育論が出てきた時には僕も驚きました」と云われて笑ったものでした。
大学生になってからは休み毎に外国旅行が始まった。
この頃になると手続きや何か面倒な事もあったので夫は息子と一緒に出かけるようになり、私はいつも留守番ばかり。
ある時日本卸船の船に麻雀のパイを積みそこなって困った時、丁度折よく息子がニューヨーク旅行を計画していたので日本郵船のニューヨーク支店へ持たせたりした事もあった。
「さすが郵船だよ、立派なオフィスだった」とか帰ってから云っていた。
アメリカ、オーストラリア、イギリス、フランス、ドイツ次々と計画して父、息子で出かけていた。
私が留守番ばかりで可哀想だと思ったのか香港、ソウル、台北、シンガポール等近い所へ行かせて貰った。
アメリカへ行ったのは夫が亡くなった後の事で、思えば私は外国旅行は夫と共にする事は叶わなかった。
その息子も今は大学生と大学院生の2人の娘の父親となり母である私は自分の仕事がなかったらきっと淋しい思いをしているかも分からない。
人生とは、人の命の流れとは振り返ってみると川の流れのように止まることなく成長し、そして老いてゆくものだと分かる年齢に届いてしまった。
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最後に一冊だけ私の好きな本を紹介したい。
「持たない暮らし」
下重暁子/著
出版社名 中経出版
出版年月 2008年2月
税込価格 520円
頁数・縦サイズ 221P 15cm
作品紹介
私はこの人を前から好きだった。早稲田を出てNHKの花形アナウンサーだったのにサッとやめて文筆活動という地味な生き方を選び書く事も人間の生き方について私は共鳴することが多い。
・生活のゼイ肉を落とす(これが凡人には難しい)
・流儀をもって生きる(個性を尊重すべきことかな)
・豊かな生活を手に入れるためのいくつかの知恵(お金ではない)
・日本人の美意識を取り戻す(拍手喝采したい)
・なぜシンプルに生きられないのか(自分で考え決断する事は難しい)
・シンプルを貫きスッキリ死にたい
こうして書けば、なるほどと思うだろが考えてみると今の時代にこれを実行する事は大変勇気が必要だ。
でも人生の川の流れは持たない暮らしほど贅沢な生き方はないと云う事がやっと分かる年齢に到達した。
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