2012年12月15日土曜日

戦病死ではなく野垂れ死に

もう70年以上も前のこと。
太平洋戦争のことはほとんどの人が知らない。
又、歴史の本にもあまり詳しい事は出ていない。
戦争など全く無縁の人が大部分だろう。
私一人がどんなに怒り狂っても耳をかす人も
少ないだろう。

しかし、わたしは年月を追う毎に
私を頭に9才、7才、4才、2才、0才の子供、
65才以上の老父母と31才の妻を残して
召集兵として引っ張り出され、消耗品扱いにされた
父(吉光)の事は忘れようにも忘れられない。

どんなに楽しいこと、どんなに嬉しいことがあっても
父はこんな経験もせずに、苦しみ抜いて
誰にもみとられず、死んで行ったと思うと
この仇は、どうしても討たねばならない。
しかし、仇を討つにも誰がどこにいるか分からない。

結局、この戦争を始めた人、
そして、負け戦になっても、尚続行し、
兵士を人間として扱わず、物扱いにして
殺してしまった人。

東京裁判が正しかったのかどうか、
私には分からないけれど、戦争犯罪人と考えぜるを得ない。
そして、その人達も靖国神社に神として祀られている。
これも、国家のために尊い命を捧げた人として
考えるべきなのか。

冗談じゃない!
戦没者の6割強は、
餓死と飢え死に、野垂れ死にであったという事は
本にも書かれている。

私の父は、フィリピンルソン島の負け戦の時に
戦病死として昭和20年6月になっている。
野垂れ死にした後、2カ月で戦争は終わったのに。
そして、白木の箱が返って来たが、
開けてみると、細長い木札に名和吉光の霊として
書かれたものがポロンと一枚入っていただけ。
開けてみて、母、祖父母、私とすぐ下の妹は
オンオン泣いた。
下の3人は何かよく分からなかったらしい。
父と0才で別れた下の弟は、
「又、あの箱開けてみんなで泣こうよ。」といって
白木の箱を下げて来たりした。

木更津から南方へ向かう国鉄の汽車に
乗せられた時も、食べる物一切なし。
身を守る道具も何もなし。
父は、神戸を通る事を知って、
神戸の母の妹の家へ電報を打って
[ ナンデモイイカラ タベモノヲ トドケテクダサイ ]
と頼んだ。
神戸のおば夫婦は、おにぎりを作って、ある物全部
弁当箱に詰めて持って行ってくれた。

よくも生身の兵隊を移動させるのに
食べ物を何も与えないでやったものだと思う。
上の上の指示だと思うが、その又上の人が
私の仇打ちの相手だと思う。
そういう連中も皆、靖国神社に祀られている。
はずして下さい!戦犯の霊は!
純粋に国家のために犠牲になった
人間の魂だけにして下さい。

一旦、捧げたものは、おろせないという
神社の意見らしいが、私は、靖国神社へ行って、
その人達の位牌をぶち壊してやりたい。
年を重ねるにつれ、思いは強くなる。
私は戦勝国が、為政者の靖国参りを云々いうのは
当たり前だと思う。

もう、私の力では父の仇討ちもおぼつかない。
「靖国で会おうよ。」と本当に純粋な気持ちで
散っていった若者も大勢知っている。
そういう人達は、本当に神様として手を合わせたい。

しかし、戦争を指導した人物の霊は、靖国神社から
ぜひはずして下さい。
手を合わせる相手ではない人がいると思うと
靖国神社が穢れます。
純粋に国家のために犠牲になった人達には
私は、いつもいつも感謝の念で両手を合わせて
拝んでいる。
戦争犯罪者の霊は、靖国神社からはずして下さい。
お願いします。
ぜひ、お願いします。






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