そしてかくも楽しいものだろうか。
80年生きてみて何人の人に会うと別れを
繰り返した事だろうか。
どの人もどの人も私の心の中には
永遠に生きている。
子供の頃は家族が中心。
私は、父・母・祖父母にも恵まれ
一緒に寝ていた祖母からは
沢山の昔話を聞かせてもらった。
そして、第2次世界大戦が始まり、
日本は負け戦であるのに
真実を国民は知らず
唯々うろたえるばかりだった。
そして私は、小学校3年の時
父(33才になり子供が5人もいる)を
召集兵として高松のサンバシで見送り
終に父は2度と再び我が家へ
帰る事はなかった。
女学校1年の夏の夜中に
役場の人が知らせに来た。
我が家はそれから津波が来たような
大騒ぎになった。
戦病死となっていたが
それらは皆野垂れ死にだと
多くの人から教わった。
私は、とにかく学力をつけ
日本の国内でナンバーワンの
活躍をする事に目標をおいた。
しかし、重い通りに進まないのが事の常
なんとかして自力で京大へ入学するべく
計画を立て実践に移しつつある時
亡き夫を紹介され
素晴らしく立派な家の三男だし
私の好きなタイプであったこと
その上話が実に明快で
「東京へ来ればいくらでもある。
大学に行かせるから結婚しよう。」
と云われ、私もそれを真にとって
結婚に踏み切った。
失敗だったと気が付いた時にも
私の優柔不断の性格から
もう少し頑張ろう、もう少し頑張ろうと
思いつつ30年余年が過ぎ
3年目に男の子供を一人産んだ。
子供は無性にかわいい。
「これママが作ってくれた服だから
汚しちゃいかん。」と
周りの者に云い張っているのを聞くと
母性本能はフルにいっぱい。
この子がいる限り私は幸せだと思った。
大学を卒業すると次は結婚。
私の周りにも50才前後で独身の男は
沢山いるが、それはやはり不安定。
息子は結婚を帝国ホテルで式を挙げ
披露宴も行った。
そして、もう25年余。
確かに申し分なき条件である。
その中でなにが私を苦しめるのか。
自分でもよく分からない。
唯一つ云える事は、
息子は私の息子であり
結婚した女性の夫である。
それが真実であることを忘れては
いけなかった。
つまり、私は夫を亡くした時
完全孤独になったんだ。
それを充分に頭に叩き込んでなかった事が
今、私の苦しみとなって私の体全体に
浸み渡った。
しかし、私も未だ残された仕事がある。
私の生き様を書く事である。
どうか、どうか、私の心に安らぎと安心が
訪れますように、神様守って下さい。
お願い申し上げます。
人間はその年になってみないと
その時の気力、体力は想像できない。
私も80才代に入って体力の低下、
気力の衰えを初めて知った。
こうして次から次へと
人間の心は成長したり
枯れ落ちるようになってゆくのだと
しみじみよく分かりました。
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