ラベル 創作 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 創作 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2010年6月26日土曜日

生きがい

夢を見ていたのだろうか。
キセ子はうつらうつらしながら、ベットの上の60年前に、たった3年余の結婚生活で死別してしまった夫の写真を見上げてみた。
キセ子はその町一番の造り酒屋へ見合結婚をして嫁いで来た。
見合の時も、ただ俯いてばかりいたので労働で節くれだった両手を見るばかりで、顔はチラリと見ただけだった。
「男らしい人だな・・・・でも優しそうだな」と感じただけで。
あとは、造り酒屋の跡取り息子で、資産家の長男というだけしか分からなかった。
夫 浩太郎は大家の息子でどっしりとした感じは
したが、やさしそうなまなざしだった。
この結婚は一回の見合で成立した。
当時(70年前)は女は20才を過ぎると行き遅れと云われ両親は心忙しくなる時代だった。
浩太郎には二人の妹がいた。
いずれも未だ決まらず大きな家とはいえ同じ屋根の下で暮さねばならない。
次女はともかく長女はキツイ性格で結婚後も箸の上げ下ろしまで文句をつけられた。
サラリーマンの家庭でおっとり育ったキセ子はには驚く事ばかりだった。
更に義母は超ケンヤク家で不要な物は何一つ買わず嫁が何か買ってきても「いらないから返してこい」とよく云われた。
義父は一代を成した男だけに何かにつけて商売一筋キセ子の結婚にも必ず男の子を生んでくれ、男の子が生まれなかったら離婚すると云われた。
やがてキセ子は妊娠したが、男か女か分からない「女の子だったら、その赤ん坊を連れて帰って来い」と実家の両親は云うもののキセ子は何としても男の子を産みたかった。思いの他優しい浩太郎と夫婦として生きたいという愛情がだんだんにふくらんで来ていたのだ。
キセ子の願いかなって立派な男の子が生まれ義父は大喜び。
義母もヨカッタヨカッタと云っていた。
義妹二人はあちこちから縁談の話が出てきてやがて、親子三人で暮らせるようになる日をキセ子は夢に見ながら太一と名づけられた息子を一生懸命育てた。

時は流れて太一がやっと立ち上がれるようになった頃、思いがけぬ事が起きた。
浩太郎に招集令状が届いた。
「キセ子よ、太一を頼むぞ、必ず生きて帰ってくるから心配するな」とキセ子を大きな体で抱き寄せながら何度も何度も云ってくれた。
キセ子もその言葉を聞いているうちに暫くの間だから我慢しようと心に決めた。
当時は毎日のように召集兵を送る日の丸の小旗のかげで別離の悲しみの涙がとめどなく流された。
浩太郎は木更津へ入隊した。
木更津と云えば四国からは随分遠い所、途中高松まで送って行ったが別れの涙で前が見えなかった。
何も分からぬ太一をしっかり抱きしめて。
大きくなれよ、元気で待ってろよと何度も何度もくり返し、キセ子にも「心配するな、元気で帰ってくるよ」と自分も涙ぐみながら何度も云った

キセ子は毎日毎日色々な事を書いて手紙を出した。
浩太郎がいなくなると二人の妹も当たり方もキツく、太一、一人が生きがいだった。
「今日は太一はお乳を沢山飲んでくれました。配給の小麦粉でお菓子を作って食べさせたかったけど、義姉さん達が無駄な事するなと云われたので止めました。」
「太一はつかまり立ちが出来るようになりました。貴方に見せたいけど家には写真機もないし、お見せする事が出来なくて残念です。今度あなたと会う時には歩いているかも分かりません」
こういうハガキもすべて浩太郎が頼んでおいた木更津の旅館宛に発送した。
軍隊へは監察が厳しいのでこんな事、書けなかった。

ある日
電報が届いた。
二日間休みが出来たので面会に来てくれ

キセ子は飛び上がる程嬉しかった。
でもその旅費とか準備はどうすれば良いのだろうか。
実家の母に相談すると大阪にいるキセ子の兄が「俺がキセ子を木更津まで連れて行って商用を済ませてそれから連れて帰ってやる。」
という知らせが届きキセ子はほっとした。
義母は浩太郎の好物のアナゴのつけ焼きの入った巻きずし、魚の干物を甘辛く煮たもの等、沢山の食べ物を作ってくれた。
大阪の商人の兄のおかげでキセ子は安心して木更津まで無事行く事が出来た。
途中、東京で乗り換える時、ああこれが東京かとはじめてみる東京の空も珍しかった。
太一はキセ子の背中でどことなく喜々としていた。
分かるのだろうか、父親に会える事が。

でも太一には何も分からなかった。
母の背中でキョロキョロしたり眠ったり。

旅館へ着くなり大阪の兄は荷物をおくやいなや旅館へ心つげを渡し「宜しく頼む、明後日に迎えにくるから」と云って旅館を出た。
やっとやっと親子三人になった。
「太一よ、お父さんだよ」と云って、扇子をもった手を太一の方へ向けようすると、その扇子の先だけ一寸触り父の顔をただ不思議げに観ているだけだった。
太一が父とゆっくり会ったのはこの時が
最後であったのに。そんな事は父も母も本人も全く想像もしなかった。

浩太郎が「少し町を歩いてみるか、何も売ってる店もないけどあの田んぼの方へでも行ってみるか」と云って義母の手作りの巻きずしを少し持って太一を背中に背負いキセ子は旅館に「散歩にいってまいります。」と挨拶して出掛けた。
木更津は大きな町ではないので、あちこちに田畑が残り、空の色も澄んでいてとても奇麗だった。
キセ子は思った。
「私は誰にも干渉されず みられず夫とこうして肩を並べて歩いている、こんな事は結婚以来一度もなかった。いつも後ろから横から他人の目が光っていたのに。今のこれを幸というんだろうか」
その思い出はキセ子の90年間の歴史の中で唯一つの夫婦としての本当に心の通った美しい、そして悲しい思い出であった。

浩太郎はあんなに約束したけれど、ニューギニアの沖で海中のもくずとなって戦死した。
昭和20年6月のこと。、以後キセ子は再婚もせず、太一を心の頼りとして生きてきた。
90年という長い人生の中でたった一度だけの夫婦らしい光景はキセ子の心の中にしっかりと根付いていた。

ふと目が覚めると、この日の夢を何度見た事か。
女性として、幸ではなかったかも分からないがキセ子は太一という頭のよい息子が東大を卒業して大蔵省に入った時、仏の前でさめざめと泣いた。
「やっとやっと私の役目が終わりました浩太郎さん、これからは太一を助けてやって下さい」と。



○今週のおすすめ○
::::::::::::::::::::::::::::::














「JAL崩壊 ある客室乗務員の告白」
文春新書
日本航空・グループ2010/著

出版社名 文芸春秋
税込価格 777円
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・













「学問」
山田詠美/著

出版社名 新潮社
税込価格 1,575円
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・













「論戦 2010」
日本を愛すればこそ、警鐘を鳴らす
櫻井よしこ/著

出版社名 ダイヤモンド社
税込価格 1,500円
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・













「漢方養生術 “漢方”入門書の決定版!」
週刊朝日MOOK 漢方 2010

出版社名 朝日新聞出版
税込価格 780円


-----------------------------------
イセザキ書房
〒231-0055
神奈川県横浜市中区末吉町1-23
TEL: 045-261-3308 FAX: 045-261-3309
www.isezaki-book.com
お問い合わせ・ご注文フォーム
にほんブログ村 本ブログ 出版社・書店へ
イセザキ書房オンラインショップ

2010年3月6日土曜日

最敬礼の男

宮本明 が生まれたのは大正初期。ぼつぼつ戦争色が濃くなりつつあった頃だ。宮本家は一町歩そこそこの田んぼを持っている農家だあった。
長男の 登 は2才上だったが、元気が良いを通り越して年中近所から苦情が来る悪戯っ子であった。
夜中に近くの畠のスイカを割って一人で食べたり隣の家の柿の木に登って木の枝の所でパクパク柿の実を食べたり・・・・。手に負えないような男の子だった。
それに引きかえ弟の 明 は一度も口答えすらした事のないような、両親の云いつけもよく守り農作業の手伝いも2才上の兄よりずっとよく仕事をした。
近所の評判も良く小学校へあがってからも特別優秀ではなかったが宿題などはきちんとする子供だった。両親も弟の方がずっといい人間に育つと思っていた。

徴兵検査で兄は目が悪くて落された。弟の 明 は平均的に先ず先ずで合格してなぜか海軍の佐世保へ入隊した。
今までは何でも我がもの顔にふるまっていた兄、登はこの件ではかなりショックを受けたようだった。

弟が入隊する日「では行ってくるよ」と兄に云った。両親にはきちんと挨拶して出発した。
その時 母は「明の顔色が悪かった。何か怯えている」と云って心配して汽車の窓から首を突っ込んで「明よ。心配せんでええよ、着いたらすぐハガキ出すんだよ」と云って明 の両手をしっかり握り締めてやった。冷たい手であったと心配した。そして明 の両眼から涙がポロリと落ちた。
母はその姿が忘れられなかった。
待っていたハガキは来なかった。役所から無事入隊したという報せが届いて安心した。
兄のイタズラも成長するにつれおさまって来たものの両親の心配は絶えなかった。
日中戦争も長く続き物不足の時代に入りかかった。
農家であったので家族が食べる物には困らず表立った事もなく2年の時間が流れ去った。

そんなある日、軍の人から連絡があって「明君が体調を崩したので人をつけて帰宅させる」という知らせが入った。
両親は詳しい事は分からず、どこが悪いのか分からないけど好きだったバラずしを作って待っていた。
昼過ぎの汽車で軍服姿の 明がうなだれた様子で上司と共に帰ってきた。
上司の話によれば「軍令に従わず夜も昼もベットに入ったまま何を聞いても返事をしない」軍医の話では精神的に異常があるので実家で静養せよと云う事だ」と云ったまますぐ帰ってしまった。母は行きつけの医院へ連れて行ったが「これは神経科だから紹介状を書くから持って行くように」と云われハラハラしながら県庁所在地の総合病院へすぐ連れて行った。
何も言葉を交わさず、ただ黙ってついて来るだけの 明が母は不憫でたまらなかった。

神経科の医者の前に立って 明は最敬礼をして「まことにすみません」と小さな声で云う。医者は色々調べていたが、「一晩病院で泊まりましょう、お母さんもできれば一緒に」と云われ近所の 電話のある知り合いへ頼んで、その旨を夫に告げた。
その夜、何度も何度も起き上がり眠れない様子だった。医者が入ってくると最敬礼をして「すみません」と小声でいう。医者は首をひねっていた。

ほとんど眠らず夜が明けた。翌日医者は「何か余程大きな精神的ショックを受けているようだから暫く家族で優しくしてあげて下さい、それでも未だ心配だったら又来てください」母子は何も云わず又汽車に乗って帰って来た。
母が気づいた事は途中で大人の男性に会うと 最敬礼をして「すみません」と小声で云う事だった。

家に帰っても前のように畠仕事を手伝ってくれと云ってもまったく返事もしないし動こうともしない。そして何処へともなく外へ出てあちこち歩き回っている。
その時も大人の男性に会うと必ず最敬礼をしてすみませんと小声でいう。
村の人達も「やあ明君帰って来たの」と声をかけても返事をせず敬礼をして「すみません」と繰り返すばかり。そのうち村中の人の口から口へ明は頭が狂って帰って来たんだと云う様になった。

それから何ヶ月か経った時一通の封書が届いた。
住所も名前も知らない人だけど宛名は間違いなく 宮本明様 になっている。
母は恐る恐る手紙を読み始めた。

「宮本君、宮本君のご両親様 私は明君と同隊で2年近く生活を共にした友人です。明君はとてもいい同僚でした。優しくて思いやりもあって本当に立派な軍人になる人だと思っていました。 ところがある時靴のひもを無くしてしまい上官からこっ酷く叱られました。 何回も何回もぶん殴られて明君は座りこんで動かなくなってしまったのです。 天皇陛下から頂いた物を無くすとは何事だと側にいる者も怖くて見ていられませんでした。 この件があってから明君は人が変わった様に無口になり、食事もあまりとらなくなり、何をするのも動作が鈍くなりました。だから又失敗すると又殴られる、最敬礼をして詫び言を云わされる・・・・・・・・・・こんな事がとてもひどくなり僕達も明君が可哀想で何とか庇おうとしたんですが、そうすると又明君がぶん殴られるんです。そのうち僕達にも顔を合わせると最敬礼をして「すみません」と云う様になりました。これはおかしいと思って上司に報告いたしました。 その後の事についてはどうなったのか分かりません。明君が居なくなったのです。明君は実家におられますか?構わなければ伺わせて下さい。私も期間満了で帰宅しましたので、この手紙が書けたのです。遅れた事お許し下さい」と書いてあった。

母はすぐに、この手紙を神経科科の医者の所へ持って行った、
医者は「分かりました、暫く入院させましょう。すぐにでも連れて来て下さい」
この医者の言葉に母は本心ホッとした。
村中の噂になっている 明を病院へ入れてやった方が良いと心から思った。
明が病院に入って間もなく母は風邪がもとで肺炎にかかり3日後に亡くなった。
妻に死なれ、明の病気は治る気配もなく父も落ちこんでしまった。
その時、長男が父さん田んぼの土地へ借家を建て農業を始めようよと云いそれを具体化した。新しい家に入って間もなく父も病名不明のまま亡くなってしまった。
それから何日か経った頃、明の病院から連絡があり亡くなったと云って来た。
病院へ行って兄はひっくり返るほどビックリした。

明はベットの横で最敬礼の姿で亡くなったのだ。
医師が心の弱かった弟を抱き上げて背をのばしてベットにのせてくれた。
弟は何年間最敬礼をさせられていた事か。そしてその間両親はどれほど心を乱した事か。
こんな悲しい最敬礼を誰がさせたのか。
悲しい悲しい時代でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今週のおすすめ本













「ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ」
面高直子/著

出版社名 講談社
税込価格 1,680円












「英雄なき島 硫黄島戦生き残り元海軍中尉の証言」
〔大曲覚/述〕 久山忍/著

出版社名 産経新聞出版
税込価格 1,680円













「未帰還兵(かえらざるひと) 
六十二年目の証言
産経新聞社の本」
将口泰浩/著

出版社名 産経新聞出版
税込価格 1,575円

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
twitterしています
お気軽にフォロー・リプどうぞ。
→https://twitter.com/isezaki_shobo

イセザキ書房オンラインショップ
こちらもぜひ御利用下さい

-----------------------------------
イセザキ書房
〒231-0055 神奈川県横浜市中区末吉町1-23
TEL: 045-261-3308 FAX: 045-261-3309
http://www.isezaki-book.com/
お問い合わせ・ご注文フォーム
にほんブログ村 本ブログ 出版社・書店へ
イセザキ書房オンラインショップ

2009年9月5日土曜日

海外のお土産に英文折り紙の本をぜひ

半世紀前には海外旅行は夢だったが50年をすぎた今仕事で、又肉親が海外にいるので会いに行くとか、留学するとか様々な理由で海外旅行は日常の事になりました。そんなお出掛けの時、一寸した手土産として好評なのが日本の折り紙の本(英文)です。日本人は手先が器用なので(今は不器用な人が多いけど)折り紙という文化を造りました。これはとても奥深く且つ非常に楽しい想像力をかきたてる遊びですね。又日本へ訪れた外人のお土産にもとても喜ばれています。

イセザキ書房では種類を豊富にとり揃えておりますので是非御利用下さい。
折り紙紹介ページ←クリックでページ移動






クリックで画像拡大 

********************


お知らせ

☆★☆★☆紙芝居会を行います☆★☆★☆

来る9/22(火)イセザキ書房店内にて
紙芝居を演じさせて頂きます。

時刻:午後2時より4時まで

御覧頂いた方に昔懐かしいお菓子をプレゼントいたします。
ご来店お待ちしております





-----------------------------------
イセザキ書房
〒231-0055 神奈川県横浜市中区末吉町1-23
TEL: 045-261-3308 FAX: 045-261-3309
www.isezaki-book.com
お問い合わせ・ご注文フォーム
にほんブログ村 本ブログ 出版社・書店へ

2008年6月14日土曜日

家族って何だ?


美沙「もしもし美沙です。ねぇ、陽子、少し長電話してもいいかしら?」


陽子「いいわよ、今日は亭主は出張。明日の夕方まで帰ってこないわ。その間私は一人よ」

美沙「そう、よかった。実はねウチの亮に恋人ができたらしいのよ」

陽子「それは良かったじゃない。亮君いくつになったのかしら?」

美沙「38才よ。そろそろ身をかためてほしいんだけど何しろああの調子でしょ?研究室の虫みたいなんだもの。一人息子というのも困るわ」

陽子「38ならまだまだ大丈夫よ。今は40代の人ごろごろいるわよ」

美沙「そういえばそうだけどねぇ・・・でも何だか亮は本気らしいのよ」

陽子「どんなお相手なの?まさかウチの眞佐子のようなんじゃないだろうね?一人娘も困りものよ?私は女の子が一人でもいれば女同士の相談相手にもなると思って育てたんだけど、、まさか東大の医学部に入部してブラジルへ行ってしまうなんて夢にも思わなかったわ。せめてアメリカならまだ良かったのに。「飛行機ならすぐ帰れるわ」なんてニコニコしながらブラジルへ行ってしまったけど結局家に帰ってきたのは一度っきり。しかも「ブラジルで伴侶見つけるから」なんて云われて何の為に一生懸命子育てしてたんだろうって思っちゃったわよ。でも亮君のお相手ってどんな方かしら?どこで出会ったの?」

美沙「英会話教室で会ったらしいけど詳しくは教えてくれないのよ。でもね、「相手がどう思ってるか分からない」なんて言いながら心はウキウキしてるのが私には分かるの。主人もね「一度家に連れて来いよ」なんて云ってるけどそれはいつの事になるのかしらね・・・・」

陽子「美沙、大丈夫よ。もうすぐ実現すると思うわ。これは私の予感だけど。亮君がそんな話するという事はきっと何回かデートしてるのよ」

美沙「毎週土曜日の午後英会話教室に行くのが楽しみみたいに見えるのよね。だから私もどんな娘さんなのか会ってみたいんだけど」

陽子「その娘さん、なぜ英会話教室に通ってるのかしら?」

美沙「うん、それは云ったわ。どこかの小さな国の大使館へ勤めてるんだけどもっと英語が上手になりたいって云っていたわよ」

陽子「大使館に勤めているなら先ず大丈夫よ。早く会いたいでしょう。私も拝ませてほしいわ」

美沙「ねぇ、陽子。私がいつも夢に描いてるような娘さんだと思う?」

陽子「美沙、云っとくけどね今は私達とは時代が違うのよ?同居なんかしてくれないよ、絶対に。仮に二世帯住宅を建てたとしても入ってはくれないわよ」

美沙「ううん、そんな事は全く考えてないわよ。こっちも気兼ねしながら生きるのは嫌だからね」

陽子「じゃあ美沙の理想の娘さんの条件って何だったかしら?」

美沙「私はね、一人息子のお嫁さんはね・・・・ちゃんとした家庭の娘さんであってほしいの。そしてね、兄弟、姉妹がいてワイワイ言いながら育った娘さんでね、両親がちゃんと揃っていて出来ることならおじいちゃん、おばあちゃんが一緒に住んでいて家族に囲まれて育ったお嬢さんが理想なの」

陽子「へぇーそうだったの。知らなかったわ。もう40年以上も付き合ってたけど美沙そんな事云ったことなかったわよね。」

美沙「私は誰にも云ったことはないけど亮が小さい時はそれほど思わなかったけど亮に兄弟を作ってやりたかったの。でも出来なかったわ。亮が「お母さん僕弟が欲しいな・・・・」と言って私のお腹に顔をこすりつけて来た時はっとしたのよ。でも出来ないもの・・仕方なかったのよね。亮が大学時代に時々娘さんを連れてきたことも何度かあって私は女の子が珍しいから一生懸命ご馳走作ってもてなしたのよね。でもね「成績がいいんだよ彼女は」と亮がいう娘さんでも挨拶がきちんとできない子も何人かいたし、食事のあとも食べたらすぐ立ち上がる子、片付ける子と色々だった。あとでよく聞いてみると一人暮らしとか母一人、子一人とかいう環境の娘さんはどこか何か淋しいのよね。私の友達を見回しても陽子だって四人姉妹、おばあさんと一緒に住んでたし、大家族で育った人間は皆大らかなのよね。おじいさん、あばあさんと一緒に生活して来た娘は情があるのよね。」

陽子「美沙、分かった。あなたの言いたいことよーく分かった。その通りよ。私も娘を夫の両親と育てていたらよかったんだ。人間は日本の戦前のような大家族の方がいいんだわ。美沙、きっとその英語を習いに来てる娘さんはあなたの思い通りの娘さんよ、きっと。私はそう思う。亮君が連れてきたら会わせてね。大丈夫、きっとうまくいくと思う。美沙の祈りは神に届くと思う!」

美沙「陽子にそう言われると私も気が晴れ晴れしたわ。やっぱり陽子に聞いてもらって良かった。ありがとう。長電話に付き合わせてごめんなさいね。」








終わり



-----------------------------------
イセザキ書房
〒231-0055 神奈川県横浜市中区末吉町1-23
TEL: 045-261-3308 FAX: 045-261-3309
www.isezaki-book.com
お問い合わせ・ご注文フォーム
にほんブログ村 本ブログ 出版社・書店へ

2008年3月4日火曜日

ダンボールの旅


僕は愛媛の美味しいみかんを入れるためのダンボールとして生まれました。
みかんは選別機にかけられて大きさ別に大・中・小・その他に分けられていきます。
僕は普通の大きさのみかんを体いっぱいに詰め込まれガムテープでピシッと止められた。
休む暇も無く僕はトラックに詰め込まれ他のダンボール仲間と共にその日のうちに出発した。
故郷にさよならをする暇もなくトラックはドンドン進んでいった
気がついたらしまなみ海道を通り、尾道へと出ていた。


トラックは東に向かって走っていた。
どこに僕は連れていかれるのだろうと考えながら外に目を向けると外には大きな海が広がっていた。

トラックは瀬戸内海を通り大阪を通り更に東へ車は進んでいった。
僕は長旅に疲れて景色を見ているうちに寝てしまった。


どのくらい寝たのだろう
気がついたらまったく知らない景色になっていた。トラックの運転手さんが「横浜がー・・」と言っているのが僕の耳に届いた。
商店街の中にあるスーパーの裏に止まった。
トラックのドアが開けられ仲間がどんどん移動してゆく。
僕の番が来た。
僕を外に出すとすぐにガムテープを剥がされ中のみかんを大きな台の上にどんどん移動させてゆく。
いきなり身が軽くなったので何か足りないような変な感じがした。
回りを見ると他のダンボール仲間が次々と折りたたまれてゆく光景が見えた。
僕の役目もここで終わりかな・・と少し淋しくなった

僕がたたまれる番になった時、男の人の声が聞こえた
「しっかりしたきれいなダンボールはまだ使えるから10個位店頭のレジの後ろに並べておけ」
お店のリーダーらしき人が僕を指してこう言った。
僕は折りたたまれずに来たままの状態他のたたまれなかった仲間と共にでお客さんが商品を袋詰めする台の横の一番下に積み上げられた。

ここは何て活気があるんだろう。
スーパーマーケットとはどうやら人が買い物をしにくるところらしい。
人が僕の前を行ったり来たり忙しそうに動いている。
僕は初めてきたスーパーの中がとても珍しかった。

僕は一番下に置かれたので他のダンボール仲間達が連れていかれるのをジッと見ているしかなかった。
上に積まれていた仲間は他の人が買った品物を入れて自転車の荷台に積まれて連れて行かれてしまった。
その時僕は気がついた。
あっそうか・・僕は荷物が多いお客さんのお手伝いをする為にここにいるのか!
みかんを運んだら役目が終わってしまうと思っていたので少し嬉しくなった。

次は僕の中に何が入るんだろう・・・


ワクワクして待っていたが僕だが一番下に積まれていたのでその日は結局順番が来なかった。
そのうちお店の明かりが消えた。どうやら閉店らしい。
僕は明日はきっと・・と思いながらスーパーで一晩過ごした。


「おはようございますっ!」という店長の声で僕は起きた。
店長の声と同時に人が次々とお店の中に入ってきた。
皆の目が必死になって商品を見ている。
人間はどうして血まなこな目で品物を選ぶんだろう・・・・

僕が運んできたみかんも皆必死に見ていた
どうやらみかんはみかんでも良いみかんと悪いみかんがあるらしい。
綺麗なみかんが次々と売られていくのが見えた。
僕にはみかんはみかん、りんごはりんごに見えるけどなぁ・・・
みかんが自分の中に入っていたことを思い出しみかん畑がある故郷が懐かしくなった。


そんな事を考えてると一人のおばさんが僕に近づいてきた。
おばさんはなぜか僕たちをジッと見ている。
他のお客さんは上から順にとって言ったのにこのおばさんは違った。
「あっ!これがいいわ」と聞こえたと思ったら僕はひっぱられた。

おばさんはいそいそと僕を自転車に乗せカルピスソーダとゴボウと魚を入れた。
おばさんは自転車には乗らず引いて歩いていった。

10分もたたないうちにおばさんは本屋の前で自転車を止めた。
僕は店の中に運ばれていった。
僕の中に入っていた品物は全部出され
「このダンボールしっかりしてていいでしょ!返品に使ってね」と僕を本屋の店員に差し出した。
「あ!これは良いダンボールですね。みかんの箱は良いですよ」と男の店員は答え終わらないうちに僕の中に本を詰めこんでいった。
みかんの次はゴボウ、ゴボウの次は本か
あっというまに僕の中は本でいっぱいになった。

そして僕はまたガムテープできっちり止められた。
上に何かガムテープとは違うラベルを貼られた。
回りを見るといろんな種類のダンボールがあった。
薬品が入っていたダンボール、本が入っていたダンボールお茶が入っていたダンボール
言うとキリが無いくらい色々なダンボールがたくさんあった。
どうやらこの本屋さんは用済みになった僕たちにまた働くキッカケを与えてくれるらしい。
男性の店員は手際よく本を入れてダンボールをどんどん積み上げてゆく。
僕を連れてきたおばさんは「ああ、疲れた」と言いながら作業場の机でグッタリしていた。
その時リリーンと電話が鳴った。
おばさんはエプロンのポケットから電話を取り出し
「ハイ、イセザキ書房でございます。毎度ありがとうございます ハイ ハイ ハイ ハイ 分かりました。早速手配します。よろしくお願いします。」とまるで若い女性のようにテンションの高い声で頭を下げニコニコしながら応対していた。

さっき、ああ疲れたと云っていたのにもう元気になっていた。
さっきとは同一人物には思えない。
その後は他のスタッフに指示を出してまた作業机の上にもたれかかりぼんやりしていた。
ああ・・やっぱり疲れていたんだな・・と僕は思った。
店頭から「社長、お客さんですよ」という声がすると又「ハーイ」とテンションをあげて店へ足を運び大きな声で笑いながら嬉しそうに「有難うございます」と繰り返し言っていた。
裏と表のテンションの違いに僕は驚きっぱなしだった。
きっとお客さんがくるとすごく嬉しいんだろうなぁ・・・と僕はおばさんの笑い声を聞きながら思った。
午後9時閉店時間になると僕たちダンボールは店先に並べられた。
僕を店先に放置して店のシャッターは閉められた。



少し時間が経った頃・・またシャッターが開いた。
自分達が運ばれてきたトラックとはまったく違うトラックが僕の目の前にあった。
トラックの中から新しいダンボールが次々と運ばれてきた。
新しくやってきたダンボールにはどうやら新品の本が入っているらしい。
僕の中にはどうやら返品される本が入っているようだ。
新しいダンボールと入れ替えに僕はトラックに積まれていった。

トラックは僕たちを積み終わると走り出した。
真夜中の道路をまた東へ・・・・今度は川崎という所で降ろされた。
僕たちはそこでまたバラバラになった。
同じ返品する本でもどうやら種類が違うらしい。
中身は全部本でも行く所は違うんだなと不思議になった。
僕も色々回されて忙しいと思うけど僕を休む間もなく運んでいる人間はもっと大変なんだなとダンボールを一生懸命運んでる人間を見て感心した。


僕は川崎からまた別のトラックに乗せられて次は埼玉県桶川という所に移動した。
四国生まれの僕には埼玉県桶川なんてどんな所か検討もつかない。
もう、ここまできたら日本の旅を楽しもうと僕は思った。
トラックは関東平野の道を走っていた。
回りは薄暗く景色は全然見えなかった。少し残念だ。
少しすると大きな建物についた。
ここで降ろされるとガムテープを剥がされた。
僕の体に入っていた本が次々と取り出されていく。
取り出された本はベルトコンベアーに置かれて夫々選別されていくようだ。
僕はその時ふとみかんもこんな風に選別されていたなー・・と思い出した。
愛媛が恋しくなった
もうみかんの畑が広がっていた故郷には戻れないんだな・・と少し悲しくなった。


そういえば途中で会ったあのテンションの高いおばさんは今頃どうしているのだろうか
あのおばさんにももう会えないんだろうな・・・

僕たちダンボールは物を運んでいるうちに痛んでゆき箱としての役目をはたした後、また一枚の紙に戻ってしまう。
短い時間だったけど愛媛県から埼玉県の桶川まで日本を半分位旅できた僕はダンボールとしてはすごいと思う。
それにたくさんの人間の役にもたてた気がして僕のダンボール人生は結構満足だ。
楽しかったと僕は思った。



-----------------------------------
イセザキ書房
〒231-0055 神奈川県横浜市中区末吉町1-23
TEL: 045-261-3308 FAX: 045-261-3309
www.isezaki-book.com
お問い合わせ・ご注文フォーム
にほんブログ村 本ブログ 出版社・書店へ