2012年12月29日土曜日

佳き新年をめざして

いよいよ、押し迫ってまいりました。
今年は、景気は悪くすべての事がつらい年でした。

来年こそは、新しい政治布陣で
少しでも光の射す年にしたいと思います。

60年前の戦後復興の時の事を思えば、
日本人はやれば出来るんです。

アジアの雄として、
世界の中の日本の力量を発揮出来るような
2013年にいたしましょう。

平和の中で、リーダーシップを発揮出来るような
そんな日本国にいたしましょう。

政界も財界も、そして、国民全体が幸福を
勝ち取りましょう。

本年のお引き立てを感謝し、
来年もよろしくご指導いただけますよう
お願い申し上げます。

2012年よ さようなら。





☆ イセザキ書房 年末年始の営業のお知らせ ☆

  12月31日まで  通常通り 
             (平日・土 9:00~21:00
              日・祝    11:00~21:00)

  元旦・2・3日   お休み

  4日から      通常通り

 
 ご不便をおかけ致しますが、
             よろしくお願い申し上げます。






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2012年12月22日土曜日

出てきて欲しい素晴らしい大臣が

2012年12月16日の衆議院選挙は、
自民党の勝利とは私は思わない。
強いて云えば、民主党の敗北だったと
云うべきだと思う。

民主党は3年余の間に、国民に対して
何をしただろう。
そうそう、消費税を上げるという事があった。
そしてその時、自民党も巻き込まれて成立した。

私は、テレビの選挙速報を観ながら思いました。
丁度3年余前、この前の総選挙の時
テレビに映ったある場面を。

それは、民主党の菅氏が
小沢氏に満面の笑みを浮かべながら
「僕達の目の黒いうちにこうなるとは予想外でした。
感激です。」と。

私はその時、明日がどうなるか分からないけど
大政党の交代が出来た事が
余程嬉しかったのだろうと思った。
自分も総理大臣の椅子に座れる日が近づいたと思うと、
嬉しいのは当然かも分からないが。
そして、2代目の総理大臣の椅子に座るや否や
総理交替となった。
東京電力の事故があったとは云え、
はかない喜びだったんだなと思う。

投票率が60%を切るような総選挙では
私達もあまり大きな顔は出来ないと思う。
ミニ政党が沢山生まれたが、
充分に政見を聞く時間もなかった。
そんな中で、投票台の前に立つと
「いいや、民主はダメだから自民で行こう。」
となった人が多かったのだろうかと思う。

さて、自民公明の連立政権が出来ると思うが、
大臣になれる人は、それだけの見識と考えと努力と
国民を愛する気持ちの人が何人いるでしょうか。
人間だから当然、己の利害を先ず考えるのは
仕方ないとしても、ここ20年間位の間に
さすがと思う人は何人いたでしょう。

日本にだって人材はあるはずです。
経済の世界に目を移すとさすがと思う人が
どんどん出て来ております。
政界はどうでしょう。
「〇〇さんは、とてもいい方ですよ。
ぜひ、入れて下さいね。」
とよく云われますが、
私は商人ですから旗色は示しません。
新聞・テレビ・雑誌を読み、実際にいろいろ
いつも考えています。そして、自分で判断して、
これはもう絶対的なものではなく、比較しながら
選挙がある時も、ない時も、この人には出て欲しい、
この人ではだめだ、と常時考えております。

民主党で唯一いい事があったのは、
総理になった野田氏のスピーチが
だんだん良くなった事です。
政治家は、国民に対しても外国に対しても
分かり易く理解しやすく、外交の出来る事が
一番大切だと私は考えております。

もうすぐ、内閣の顔ぶれが出て来ますが、
考えのしっかりした方、
国家国民に真実奉仕の出来る方が
並んで欲しいと切望しています。





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2012年12月15日土曜日

戦病死ではなく野垂れ死に

もう70年以上も前のこと。
太平洋戦争のことはほとんどの人が知らない。
又、歴史の本にもあまり詳しい事は出ていない。
戦争など全く無縁の人が大部分だろう。
私一人がどんなに怒り狂っても耳をかす人も
少ないだろう。

しかし、わたしは年月を追う毎に
私を頭に9才、7才、4才、2才、0才の子供、
65才以上の老父母と31才の妻を残して
召集兵として引っ張り出され、消耗品扱いにされた
父(吉光)の事は忘れようにも忘れられない。

どんなに楽しいこと、どんなに嬉しいことがあっても
父はこんな経験もせずに、苦しみ抜いて
誰にもみとられず、死んで行ったと思うと
この仇は、どうしても討たねばならない。
しかし、仇を討つにも誰がどこにいるか分からない。

結局、この戦争を始めた人、
そして、負け戦になっても、尚続行し、
兵士を人間として扱わず、物扱いにして
殺してしまった人。

東京裁判が正しかったのかどうか、
私には分からないけれど、戦争犯罪人と考えぜるを得ない。
そして、その人達も靖国神社に神として祀られている。
これも、国家のために尊い命を捧げた人として
考えるべきなのか。

冗談じゃない!
戦没者の6割強は、
餓死と飢え死に、野垂れ死にであったという事は
本にも書かれている。

私の父は、フィリピンルソン島の負け戦の時に
戦病死として昭和20年6月になっている。
野垂れ死にした後、2カ月で戦争は終わったのに。
そして、白木の箱が返って来たが、
開けてみると、細長い木札に名和吉光の霊として
書かれたものがポロンと一枚入っていただけ。
開けてみて、母、祖父母、私とすぐ下の妹は
オンオン泣いた。
下の3人は何かよく分からなかったらしい。
父と0才で別れた下の弟は、
「又、あの箱開けてみんなで泣こうよ。」といって
白木の箱を下げて来たりした。

木更津から南方へ向かう国鉄の汽車に
乗せられた時も、食べる物一切なし。
身を守る道具も何もなし。
父は、神戸を通る事を知って、
神戸の母の妹の家へ電報を打って
[ ナンデモイイカラ タベモノヲ トドケテクダサイ ]
と頼んだ。
神戸のおば夫婦は、おにぎりを作って、ある物全部
弁当箱に詰めて持って行ってくれた。

よくも生身の兵隊を移動させるのに
食べ物を何も与えないでやったものだと思う。
上の上の指示だと思うが、その又上の人が
私の仇打ちの相手だと思う。
そういう連中も皆、靖国神社に祀られている。
はずして下さい!戦犯の霊は!
純粋に国家のために犠牲になった
人間の魂だけにして下さい。

一旦、捧げたものは、おろせないという
神社の意見らしいが、私は、靖国神社へ行って、
その人達の位牌をぶち壊してやりたい。
年を重ねるにつれ、思いは強くなる。
私は戦勝国が、為政者の靖国参りを云々いうのは
当たり前だと思う。

もう、私の力では父の仇討ちもおぼつかない。
「靖国で会おうよ。」と本当に純粋な気持ちで
散っていった若者も大勢知っている。
そういう人達は、本当に神様として手を合わせたい。

しかし、戦争を指導した人物の霊は、靖国神社から
ぜひはずして下さい。
手を合わせる相手ではない人がいると思うと
靖国神社が穢れます。
純粋に国家のために犠牲になった人達には
私は、いつもいつも感謝の念で両手を合わせて
拝んでいる。
戦争犯罪者の霊は、靖国神社からはずして下さい。
お願いします。
ぜひ、お願いします。






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2012年12月8日土曜日

召集兵の娘の決意

お父さん、今、どこから私を見ておられますか?
私は79才、お父さんの2倍以上の時間を
生きてまいりました。

あの日、昭和18年10月20日、
学校から帰って来たら、母が
「父ちゃんに召集令が来たんで。」
と今にも泣きそうな顔で、
「11月5日に佐世保軍へ入隊するんよ。」
と云いました。
佐世保。海軍。そうか、私の父の職業は
漁業だから海軍にやられるのか、
と私は思いました。
国民学校4年生、9才の私には
それ以上何も分かりませんでした。

親戚・縁者が、一人、二人と集まって来て
「吉光さん召集が来たんな。」
と口々に云っているのが私の耳に響く度に
何か大変な事が起きる前触れのような気がして
心細くなって恐ろしくて たまりませんでした。

妹7才と4才、弟2才と0歳だったんだ。
お父さんは33才、母は31才、
そして、祖父は64才、祖母は62才。
9人家族でとても楽しかった。
経済的にも何不自由なく、
5人兄弟、けんかしながら大きくなっていきました。

お父さんは、出征するまで十日間余りの間に
自分が居なくなっても、祖父達が困らないようにと
次々と仕事を片付けていきましたね。
それでも一日も欠かさず漁場は見てまわり、
出征前日11月4日の朝もヨドマル(蟹甲湾
一番の漁場)へ船を出し、ヨドマルの人達が
「名和の吉光さん召集令が来たと云うのに
今朝もヨドマルへ気とったけど、
あれ、うそだったのかいな。」
と口々に囁いていたそうです。
お父さんは、祖父への配慮もさる事ながら、
生まれ育ったこの海と、
物心ついてからずーっと過ごしてきた
我が大切な職場を目にやきつけて
おきたかったんですね。

そして、蟹甲湾を囲む雨滝山や火山、鷹島を
しっかり心の中に入れておきたかったんですね。
これを思うとお父さんの心情、痛い程分かって
とても悲しい。

その二・三日前、お父さん覚えていらっしゃいますか。
夕方、もう薄暗くなり始めた波打ち際近くの砂浜で
打ち寄せる波の音だけの静かな浜辺で
私と二人だけで何も云わず並んで座っていた
あの日の事を。

お父さんは何も云わない。
ただ、黙って海を見ているばかり。
私も何と云っていいのか言葉が出て来ない。
どれ程の時間が経ったでしょうか。

でもね、お父さん、お父さんは何も云わなかったけど
私にはお父さんの心の中、ビンビン伝わって
来ましたよ。

「智子よ。お前は一番大きいんだから
妹や弟の面倒を見てやってくれよ。
母ちゃんの云う事よく聞いて、
手助けしてあげてくれよ。
お前は、うんと勉強して必ず一流大学へ行けよ。
おじいさん、おばあさんは年寄りだから
大事にしてあげてくれよな。」
と聞こえて来ましたよ。

あぁ、その時、私は今でも忘れられない事が
あります。
「お父さんは、再びこの津田の海で泳ぐ事が
出来るだろうか?いや、津田の海でなくても
世界中のどこの海でもいいけれど、
再び海で泳ぐ事が出来るのだろうか?」

と,なぜか分からないけれど、私の心の中を
よぎった。
あの夕暮れの浜辺の父娘の光景は
私の心の中で一生忘れえない
大切な一枚の絵になりました。

十日間は瞬く間に過ぎ、終に出征の日が
やって来ました。
お父さんがこの家からいなくなる、
どうなるのだろうかと、とても不安いっぱいだった。
お父さんは、5人の子供の父であり、祖父母の一人息子であり
母の大切な夫だったんですもの。

でも、必ず元気で復員してくるから、それまでの
辛抱だと私は自分に云い聞かせました。
私は、お父さんのうごく方ばかり追っていました。
屋島のおじさん(母の弟)と話していたこと。
「兄さん、とにかく生きて帰って来て下さいよ。
生きて帰る事ばかり考えて下さいよ。
死んだらいかんで。
捕虜になってもいいから生きて帰って下さいよ。」
山田のおじさん(母の姉の夫) との話。
「吉光さん、死んだらいかんで。
生きて帰らないかんで。
絶対生きて帰って来いよ。
どんな事してでも生きて帰るんだよ。」

お父さんは
「この5人の子供をおいて死ねるもんですか。
必ず生きて帰ります。」
と云ったわね。
2人のおじさんとの話で私は恐ろしくて
泣きだしそうになりました。

そして、当日。
名和家の玄関には、近所の大勢の人が
集まって来て、みんな不安そうな様子だったのが
忘れられません。

祖母が玄関の片隅で両手を合わせ、
目をつむって何か必死で祈っていた姿を
思い出します。祖母は、
「私は駅へは行かんよ。ここで見送る。
吉光よ、体に気をつけてやれよ。」
と涙一滴こぼさず笑いながら
父の手を握りしめていた。
あの時の祖母の心の中を思うと
私は、たまらなくつらい、悲しい。

お父さんは、見送りの一人一人に
両手で手を しっかり握りしめ、
「○○さん、あとの事頼むで。」
「○○さん、後みてやってな。」
と何十人の人に云った事か。
私は、お父さんの後ろ髪引かれる思いが
ぐんぐん胸に迫って来ました。
家から駅まで何十人かの人が
日の丸の小旗を手に持って
歩いて送ってくれました。その道中でも
「○○さん、後頼むで。」・・・
と右に左に手を握りながら繰り返しておりました。

0才の弟は、何が起きているのかも分からず、
母の背にもたれたまま。
2才の弟は、父の上着の端を
しっかり握りしめて歩いていました。
妹2人は私と並んで父の後から
歩いて行きました。

駅頭には、一緒に出征する他の4人を含め、
5人で並びました。
みんな、30才を越えた妻子のある男ばかり。
むごい光景です。町長の祝辞と激励に言葉。
そして、万歳三唱。
召集兵を代表して、父の挨拶が始まりました。
お父さん、69年経った今も私の耳には
はっきり聞こえています。

「津田町の皆様、本日は私共召集兵5名の
出征を祝って、かくも盛大なお見送りを頂き、
有難うございました。この我が日本国家難局の折、
日本男子としてその戦列に加えていただける事を
この上もなく誇らしく思っております。
日本男子の本懐であります。
この戦争に勝つまでは、日本人は一丸となって
戦わねばなりません。拳命の働きをする覚悟をして、
本日、元気に出発いたします。
唯、家に残す5人の子供と老父母の事、
皆様に面倒かけると存じますが
何分にもよろしくお願い致します。
(お父さんは妻の事は何も云わなかったわね)
では、元気で行ってまいります。
有難うございました。」

あのやさしい父のどこに、こんな力強い声が
あったのだろうか。
公職についた事もない父が、こんな立派な言葉を
云えたのだろうか。
お父さんとの別れの悲しみ、挨拶の素晴らしさに
聞き惚れたのか、私は涙が止まりませんでした。

雨滝山からの西風にのって父の声は
ビンビンと響きました。津田町中に響き渡りました。
きっと、お父さんが愛してやまない
蟹甲湾の海の上にもきっと届いたと、思います。
海、津田の海も感動して聞いてくれた事でしょう。
これが、吉光の最初にして最後の演説だという事を
海は知っていたかも分かりません。

「まぁ、吉光さんの挨拶上手やったなぁー。」
という声があちらこちらからすすり泣きに混じって
聞こえて来ました。
その時祖母の従兄の八十吉(やそきち)さんが
終わるや否や走って祖母の所へ飛んで行き、
「ナカさん。(祖母の名前)立派な挨拶して
吉光さんは出発したよ。そりゃ立派だったよ。」
と息せき切って伝えてくれたそうです。
祖母は、嬉しかったのか悲しかったのか
八十吉さんにとりすがって大声で泣いたそうです。
あの気丈な女の祖母が。

高徳線に乗る直前、母が小さな声で
父に云ったのを私は聞いた。
「あんたの挨拶よかったと
みんなが褒めてくれとるで。」と。
母の父に対する一生に一番の
褒め言葉だったのではなかったかと
私は今、思っています。

こうして、18年11月5日。
生まれ育った津田を後にして、佐世保へ
出発しましたね。終に再び津田はおろか、
日本の土地を踏む事叶わず、
フィリピン、ルソン島で6月23日に戦病死、
つまり、野たれ死にしてしまいました。
後、2ヶ月弱で戦争は終わったのに。
くやしい、本当にくやしい。

お父さん、息の切れるその前に
母の顔見えましたか?
5人の子供達の一人一人の顔、
見えましたか?
かわいそうなお父さん。
34才で誰一人に看取られるところか
食べ物も水も何もない南の果てで
死んでしまった。
本当にかわいそうなお父さん。

今、私は思いだします。
宮本武蔵が佐々木小次郎を倒した時、
ふと、かなたに風車を持った小さな息子を見つけ、
「あの子が大きくなったら仇打ちされるかな。」
と云った事を。

私も一生かけても死んだ後でも
父を野たれ死にさせた人間に復讐します。
必ず必ず復讐します。
私は、日本人ですもの。
今、私を支えているのは父の復讐という
生き甲斐だけで生きております。

戦争にはヒーローはいない。
あるのは悲劇だけでした。

こんな事を知ってる人間の数も少なくなってしまいました。



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2012年12月1日土曜日

地球時代

今は、地球時代。
言語としては、沢山ある中で英語が一番強い。
ヨーロッパ旅行の時も、英語がやはり優勢である。
だから、みんな英語を学びたいと思うのは当然。
ある会社では、社内での私用語も
すべて英語に かえたらしい。
外国との取引が多ければそうなるのもうなずける。

しかし、私達は日本人。
何をおいても先ず、日本語の読み書きを
おろそかにしてはいけません。
日本人である事をしっかり心の支えとして、
日本語は非常に難しいので
きちんと学んでおかねばならない。

機械化の時代から、情報化の時代に
移りつつある現在、便利であるというだけで
生活全般に至って新しい道具だてを揃え、
それを主流にするには考えなくてはならない事が
沢山ある。

近頃、毎日のように、殺した殺されたという情報が
流され通しだが、よーく考えてみると、
情報化時代の道具が使われている場合が
だんだん多くなってきた。
要は、こういう物は使い方次第で
良くも悪くもなるという事を、
私達はしっかり頭の中に入れておかねばならない。

殺人予備軍は、どんどん増えている。
住所不定・無職と、必ず肩書に出る。
仕事は減っているかもしれないが、
人間も減っているのだから、そのつもりになれば
何か仕事はあると思う。
現に、店頭張紙がチョロチョロ見えはじめている。
私は、街を歩きながらいつも 《 求人広告 》 を
注意して見ている。

じっと見ていると、時代の流れを映しているので
今、人間の流れはどうなっているかよく分かるし、
景気の善し悪しを書いてあるようなものに
見えてくる。
30年前の本当に人手不足の時は、
軒並みに張ってあった。

今は、主として飲食関係の店が人手不足らしく
思える。夜中まで開店しているような店は
時給はそれなりに高い。
だから、本当に真摯にコツコツと生きてゆこうと
思えば、無職・住所不定には、ならなくてすむ。
真剣に生きようと考えている人には
他人を殺してまで大金を奪おうとする発想は
思い及ばない。

東南アジアからも稼ぎを目的として
来日している人も多い。
時にして、何かの犯罪の中に巻き込まれたのか
巻きこむのか、あまり珍しい現象ではなくなった。

私達は、日本人であるという事を
しっかり胸に抱いておいて欲しい。
外交は、一番大切な仕事です。
政治家も外交の出来る人が
浮かび上がってくるとくると思う。
しかし、政治家でない私達一般庶民も
世界中の人と素晴らしい競争と、
そして、外交をやる必要があるように
私は思っている。

向う3軒隣りに外国人が混ざっているのは
珍しくない。
一寸つき合うには 難しい面もあるけれど、
時代はそちらに進んでいる。
地球全体が皆ひとつ。
いつの日か(私は勿論生きてないと思うけど)
地球と他の ★星★ が戦争をするような日も
来るかも分からない。

本当に宇宙の果てはどうなっているのだろうか?
先ずは、足元をしっかり踏み込めて
地球の中の選ばれた国家 “ 日本  ”
なれるように、みんな、みんな努力しましょう!
勉強しましょう!本を読みましょう!

人間の幸は、目的に向かって
何度も、何度も再チャレンジしながら
生きてゆく事ではないでしょうか?



  私が今、2度目に亙って読んでいる本 ∞

  『その気の法則』
  ダイヤモンド社 発行
  西田 文郎 著
















面白い本とは申しません。
生きるために役立つ本と云うべきでしょうか。







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2012年11月24日土曜日

やさしさを育てよう

商店街が元気がなくなった。
従来は、同じ商店街の中では
「あの店の御主人は誰、
あの子は どこそこの店員さん。」と
みんな気質も顔もお互い知り尽くしていた。
その中にチェーン店が入ってくると
もう、御主人だ、従業員だと云ってられない。
年中出入りが多いし、本人達もお隣の事など
考えていない。

そして買い物は、スーパー・コンビニで
一通り済ませる。
 ボタンや糸を売っていた店、
茶碗類、瀬戸物ばかり売っていた店などは
いつの間にか消えてしまった。
それでも、スーパーやコンビニで買い物する客は
ひとつひとつ手にとって、さわって眺めて買っている。
私も、野菜や魚、果物類は、手にとって観てから買う。

ところが、今や、ネット商店街が出来て、
パソコン等で写真を見るだけで買う人達が増えて来た。
手にとって見なくても、すべて分かる商品もあるが、
サイズや材質まで見たいものは、私も一寸躊躇する。
唯、動かなくて買い物が出来るという
利便性の方が優る場合もある。

特に老年になると、醤油だ酒だ米だとなると
重いものを届けてくれる良さは見逃せない。
私も、テレビショッピングとかで、
失敗した経験もあるので、すべてOKとは言い難い。

しかし、知らず知らずのうちに、動かなくてよい
商店街での買い物が増えてゆくような気がして来た。
商売をやっていると、お客様とお話出来る喜びは
大きいが、そんな事もだんだん少なくなってきた。

買い物をする喜びは、商品だけではなく、
店の人とコミュ二ケーションも
楽しみのひとつだったけど、世の中は
少しずつ冷たくなってきている。

これは、買い物だけでなく、あらゆる面で
考えるべき大きな問題だと、私は思う。
学校内でのいじめというのも、
昔も全く無かった訳ではないが、
精々「入れてあげない。」と云って、
除け者にされる位だった。
そして、翌日はもう普通の状態になっていた。

いじめも子供を育てている親に問題があると思う。
≪ やさしさ ≫を子供の心の中に
芽生えさせるのは両親とか家族である。
やさしさを育てて欲しいと
世のお母さん・お父さんに申し上げたい。
子供は親の鏡です。
何もかも合理性一点張りではなく、
情を育ててゆかねば、
世の中は決してよくならないと思う。
本を読むという事がいかに大切か
分かっていただけただろうか?












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2012年11月17日土曜日

人生は常にスタートラインに立つ その4

私は、大学進学をずーっと考えていた。
出来れば、京大法学部。
しかし、私の実力では難しいので
一年間浪人しようと思っていた。

「大学へ行きたい。」と
祖母、祖父母に云った。母は何も云えない。
我が家のすべての権限は祖母にあった。
その祖母が、
「若い女の子が一人で京都まで行ってどうするんだ。
大学へなど行く必要ない。洋裁学校へ行くなり、
和服やあみもののけいこをしていればいい。
京都なんてとんでもない。」
祖父は、
「お前一人という訳にも行くまいに
5人の孫全部大学へ行ったら家業が駄目になる。
女が大学へ行ってどうするんだ。」

私は、自分でお金をためて自力で行こうと決意した。
たまたま、中国銀行津田支店で募集している事を
聞き、銀行ならいいだろうと思って受験した。
筆記試験、口頭試問もあったが、一発で合格。
「出来るだけ早く勤務出来るよう考えておくように。」
と指示された。
私の心は他にあり、大学の通信教育で学ぼうと考え、
旺文社の通信教育にも申しこんでみた。

しかし、一年経っても10万円の額にも届かない。
もっと何かで稼ごうとおもったけど時間がない。
銀行に入ってみて、サラリーマンは毎日
同じ事をしてよく飽きないもんだなと思った。
しかし、そろばんは上達した。
特別に時間を割いて習わせてくれた。
数字の書き方、小切手の書き方も覚えた。
そして、それより何より、札勘定が上達した。
あの銀行時代がなかったら、
今でも私はこんなに スムーズに札勘定が
出来なかったと思う。
ちょっとした要領を何百回も練習した。

ある日、町の大きな材木会社の社長がやって来て、
支店長に「名和さんと一寸話をさせて下さい。」と云って
私をそとへ連れ出し、横道の石段の所へ座って
話し出した。
「実は、私の家内の弟が、中央大学法学部を出て、
就職先に思うところがないし、サラリーマンは
向かないと云って、横須賀のベース前の通りで
洋書店をやっています。
今まで妹に手伝わせていたんですが、
妹が “大学へ行きたいので、やめさせてくれ 。
兄さんは結婚して奥さんと一緒にやってくれ。”と
云い出しまして、弟が結婚したいと云ってきたんです。
妹が云うには、津田の名和智子さんなら兄さんに
ぴったりだと思う。と云って来たんです。
名和さんどうでしょうか?」
思いがけぬ質問に、返答のしようがなかった。
「一度、会ってみて下さい。その上で考えて下さい。」
と言い残して帰って行った。

結婚。私は全く考えていなかった。
特に、好きな人もいなかった。
大学の事で頭はいっぱいだったし。
その弟の家は、県下で一番大きい製材店と東讃のバス会社、
高松でタクシー会社を経営している。
父親は亡くなっていたが、長兄が中心になって企業は
どんどん大きくなっていった。
手伝っていた妹は、私の高校の一年下。
私の事は、充分に評価して知っているので、
「兄さん、名和さんとならぴったりだと思う。」
とか云っていたらしい。
早速、田舎の実家へ連絡して、
「結婚相手になりそうな24才以下の女性を
集めておいてくれ。」と頼んだらしい。
当時は、仲人業というのがあって、
似合いそうな男女をとり結ぶ仕事をしていた人がいた 。

そして時代は、池田総理が、
「貧乏人は麦を食え。」と云って問題になった頃だった。






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2012年11月8日木曜日

紙芝居は日本の文化

私は5人兄弟の長女だったので、
小さい頃から母に抱かれて寝るよりは
祖母の横でずっと寝ていた。
私が寝床に入ると(お話して)とせがんだ。
祖母はいつどこで覚えたのか色々なお話を沢山してくれた。
時々(おばあちゃん間違えたよ)と私がいうこともあった。

智子は利口な子だよ、と自慢げに父や母に話していた。

自転車の荷台に紙芝居の舞台を積んで時々、
かみしばいやさんがやってきた。
アメを買わないと見られないと、
いわれ遠くから観ていた子供もいた。

今はそんな紙芝居やさんはどこにもいない。

私はYMCAで、ヨガを習っていたので、
こんなに子供が沢山いるのだから、
本の読み聞かせをさせてほしいとお願いした。
やってみると子供が多すぎてうまくいかない。

ふと(そうだ、紙芝居にしよう)と思い付き
早速、紙芝居会に変更した。
子供達より、お母さん達がとても喜んでくれた。

1年間くらい続けたが私の体調不良で出来なくなった。

以後は店の中で、紙芝居会を行うことにした。
最低月1回は早くから、告知してやってきた。

紙芝居は観るのも楽しいけれど、演ずる喜びも大変大きい。
家庭で手軽にいつでも家族だんらんの主役になれます。

当店の在庫はたぶんニッポンで1番だと思います。

オンラインショップを開いてみて下さい。

さあ 元気に紙芝居を楽しみましょう。













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2012年11月1日木曜日

バーゲンブックの存在を見直そう!

世界は狭くなって日本語だけでは
間に合わない事もいろいろ出て来た。
英語もあれば中国語、フランス語、ドイツ語、
どれも全部という訳にはゆかないだろうが。

先ず、英語が小学校でもとりあげられるようになった。
本当に大変だと思うけど、
先ず日本語を しっかり身に付けて
文章の書き方、又、言葉の話し方、
いずれも日本語はやさしくない。

日本人で生まれてこの方、日本語で育っていながら
それでも100%万全とはいっていない。
特に、私は本屋という商売をやりながら
つくづく思う事は、親が本好きの人は
子供にも買い与える。

絵本の前に、紙芝居という大変貴重な
日本の文化財がある。
それから絵本を自分で読めるようになると
次は、子供用の読み物を欲しがるようになる。
そして、小学校に入っても本の魅力を知っている
子供は次々とほんを読んでゆく。

こういうストーリーならとてもいいんだが、
昨今の20代・30代前後の人達は、
本を読むより、もっと他の事に
時間を使っているように見受けられる。
又、出版社は、次々と新しいものを作ってゆかないと
困るので、大量の新刊に小さな店は、
アップアップしているのが現実だ。

そして、売れ残ったらドンドン返品しないと
請求書通り支払えなくなってしまう。
何の事はない。
新しい本も、本屋に届くと同時に
返品する事も珍しくはない。
雑誌類は裁断されてしまうけど、書籍は別ルートで
「これは残しておいた方がよい、売れる」と判断して、
通常のルート以外に流れてゆく。

確かに、いい本が返品されている。
イセザキ書房では、その大量すぎて
書店に並べられないうちに返された本の中で、
内容を吟味しながら、価格を下げて(定価の半額以下)
読者の目で再度見てもらいたいと思い、
バーゲンブックと題して棚を作った。

全くの新品で、半額以下の値段なら、
一冊買うところ、二冊以上買える価格ですから
読者には喜んでいただけると信じている。

昔はもう40年も前、大量に買って下さる
外地の人達に喜ばれた経験もあるので、
本読み人を一人でも多くしたい為に
吟味に吟味をして、新品で安い本を
並べるコーナーを作った。

ぜひ、一度、のぞいてみて下さい。






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2012年10月27日土曜日

頼りにしています 石原慎太郎様

国民が選んだ民主党だけど、途中で半分壊れ
総理になる人に人物が得られず、
立派な人もいるんだけども、
先ず、内閣は総理を匹頭に、一日も早く
止めて欲しい、というのが
現在の国民の大部分の気持ちだろうと思う。

何も事が進まず、対中国、対韓国の
国境線の問題にしても、
総理は 手の打ちようがないように
私には見えてしまいます。

消費税をあげる事についても、
この不景気の中ではお客さまから消費税を
もらっても、その金を決算期に商人が国へ
支払わないというケースも多分出てくると思う。
私も先日、一年間の消費税を支払ったばかりですが、
本当に苦しい状態です。
私の経理士さんは厳しいので、
「何月何日までに支払う事。」と
はっきりきつく云われますので、先ず、消費税を
支払ってからと考えましたが、
中には支払わない事業者も多いという事を
耳にしました。
そうなると、消費税をあげても国家には
100%入って来ないでしょう。

もっと、他の方法を考えるべきだと思います。
このまま解散もせず、国の仕事はどんどん遅れ、
そうでなくても世界的不景気の中で、
どうなさるつもりですか?
いつまでも総理の椅子にしがみつかないで下さい。

石原さんは、80才。
もう若くはありません。
しかし、若い人の中に人物がいない現在、
石原さんなら野田総理よりは優れていると
私は思っています。
どんな形になるにせよ、
こんなに大きく世界の動いている中で、
日本だけ取り残され、国境線は押し進められ、
それでも何の手も打てない野田総理は、
一刻も早く辞めて欲しいです。
私は、トータルとして石原さんを選びます。

どんな形になるにせよ、
一刻も早く日本国家を立て直さなくては
日本人は現総理ではあまりにもみじめです。
石原氏にもクセがあると思いますが、
それでも 
“ 一日も早く態勢を変えてほしい ”
と大きな声で叫びたい思いです。












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2012年10月20日土曜日

人生は常にスタートラインに立つ その3

父が出征する3日前、夕暮れの波打ち際で
二人きりで話した時、私は、ふと思った。
父は、この海で又泳ぐ事が出来るのだろうか。
この海でなく世界中のどの海でも
泳げなくなるのではないだろうか。
私は、子供心になぜかふとそう思った事を
何十年経っても忘れない。

その時父が、
「智子は大学へ行ってしっかり勉強してくれよ。
お前なら一角の人間になれるよ。」と云った。
この言葉も私は、ずーと忘れずに生きて来た。
香川県でなら高松高女が一番だから、
高松のおばさんの家へ寄宿して、高女へ行こうと
思っていた。
ところが、その時教師をしていた尾島のおじに
「今、高女は空襲で焼けてしまい、元に戻すのは
時間がかかる。津田女へ行った方がいいよ。」
とアドバイスを受けたので、ならばとそう決めた。
受験準備らしきものも学校ではほとんど
してくれなかった。当時の受け持ちの教師は
この方面の力はなかったと、今にして思う。

そして受験当日。
筆記試験と口頭試問。かなり緊張した。
それでも、試験は終わり、発表までに1ヶ月位、
いや、それ以上の時間があったように思う。
私はその間、受かれば  受からなければ
どうしようかと悩みつつ、疎開して来ていた
千賀のおばに、お花とお茶と習字を
教えてもらう事にした。
お花は、それ以来ずーっと、おばが神戸へ
帰るまで10年間位習い、
“ 末生流奥伝 ”  までとれた。おかげで
(仏壇へお花を供える時でも、
自然に手が動くさまになる入れ方が出来る

そして、受験発表の日。
母が見に行ってくれた。受験番号は、18番。
母は、たまたまそこに知り合いの高島先生が
いたので、
「高島先生、うちの娘、受かっとるかしら?」
と聞いた。見れば分かるけど、
母はどきどきしながら聞いたらしい。
高島先生曰く「名前は?」と聞く。
「名和智子。18番です。」と云うと、
「あ、名和智子。一番で入ってますので
入学式の時、誓書を読みますよ。」
と云われた言葉を聞いて、
母は、ほっとするというか、うれしいというか
一番で入学できたので、「よかった、夫が
帰ったら喜ぶだろうな」と思いつつ家に帰り、
祖父と祖母に伝えた。

祖父は「そうか一番か、よかったのお。」と云い
祖母は「智子が受かるのは、分かっていた。
だけど、一番とはやっぱり智子らしいわ。」
云った。 妹・弟達にも話したけど、みんな
まだ、小さくてどんな反応をしたか
よく覚えていない。

入学式には、160名の新入生総代として、
誓いの言葉を読んだ。
物のない最低の時代だったので、
制服も黒の毛糸で編んだセーターを
着ていた子もいた。私は、古い着物を使って、
ちゃんとしたセーラー服を作ってもらった。
普段の日は、黒いネクタイ。
祝日登校の時は、白いネクタイと決まっていた。
今のように、祝日は休むだけでなく
式典があるので登校した時代。

私は、一年一組。
大森先生が、クラスの担当の先生だった。
先ず、教科書は古いのを調達して、いけない所は、
墨で黒く塗りつぶしたものだった。
国語の本沢先生は、教科書のないのを
逆手にとって、毎時間、古事ことわざを
黒板に10件位ずつ書き、その言葉の
成り立ちの説明をしてくれた。

 雨降って地固まる

 画にかいた餅

 得手に帆をあげる

 鳶が鷹を生む

 角をたてて牛を殺す    etc.

私は、この国語の時間がなかったら、
知らない事ばっかりだったと思う。
本沢先生に感謝する。

習字の時間だったと思う。
時間の始めに、一人一人名前を呼ぶ。
そして、樋端英子さんと呼ばれ、「ハイ。」と
返事をした時、先生が、
「樋端大佐とは、何か御親戚ですか?」と聞く。
樋端さんは、すっと立ち上がって、
「私の父です。」と答えた。
びっくりしたのは習字の先生。
「え?貴方のお父さん?」と。
私もびっくりした。それまで知らなかったから。

樋端さんも成績の良い友達で仲が良かった。
驚いたのは、教室の隅に置いてある
オルガンで何でも弾くので
「あ、家にピアノがあるんだな。」と位にしか
思っていなかった。
山本五十六の武官で、山本五十六と共に
南の空に散った有名な樋端大佐。
あれから、日本の敗色はいろ濃くなったのだ。
さすがだなぁと思い、仲良くしていたが、
一年生の終わりに、
「名和さん。私ね、母の実家のある東京へ
行く事になったの。お別れね。」
と云って、たった一年だけで津田高女から
去って行った。
 「又、いつかどこかで会おうね。」と
指きりして別れた。
しかし、「又、いつか」は、半世紀過ぎても
終に再会は、叶わなかった。

地方の高校だけど、疎開したり、
焼け出されたり、引き揚げて来たりした
優秀な先生にもおかげで会う事が出来た。
不幸中の幸いだった。

私達が二年生になった時から、
教育制度が、6・3・3制に変わった。
そのため。私達は、
大川女子高等学校併設中学校二年生になり、
次の年もその次の年も
後輩は入学してこない。
みんな、夫々の地方に新制中学校が
出来て、そちらへ入って行ったので。
三年目に晴れて高等学校二年生になった時、
地方の中学から、高校一年生が入って来た。
その時は、男女共学だから男子生徒も
入って来た。
学校の風景が変わった。
雰囲気も変わった。

一年下と云っても、男と女。
あの子素敵とかいう声もちらほら。
普通科と家庭科とあったので、
家庭科は女子ばかり。
人数の関係から、科目によっては
一年生と二年生が一緒に学ぶ
時間もあった。
小学校の時も男子組、女子組と
男女組というのがあったけど
その時の男女組とは全く異なる雰囲気で
なかなか出来る男の子や、いでたちの好い
男の子は、もてていた。又、その反対もあり。

私が、二年生の時、生徒会が出来た。
会長は、全生徒の投票で決める。
体育の先生が、「名和さん、立候補せよ。」と
云われるので、私は立候補した。
1名のところ、3名立候補し、選挙運動もあり、
立ち合い演説会もあった。
三年生からも一人出ていたので激戦だった。
私が、2位と4票の差で当選。
2位は、三年生の生徒だった。
それから一年間、生徒会長としても活躍した。
学芸会・文化祭などにも大活躍した。
今から考えると、若い先生との年齢差は
5年位。先生の方も、生徒を愛の対象として
見ていた様子。それに応えた生徒もいた。

私は、結局6年間在学した訳だ。
私は、弁論大会にも年に何度も出た。
県大会でもほとんど1位になった。
話す事にそろそろ自信みたいなものも
出て来た。 しかし、体育が苦手であった。
ある時、私が創作ダンスで[祈り]と題して
自作自演したのが、体育の教師の目に止まり、
体育も決して嫌いではなくなった。

6年間公私にわたって、私は大活躍した。
私と1年間でも一緒に学んだ人は、
みんな≪名和智子≫というのは知りすぎている。
楽しい、楽しい6年間だった。進学クラスに入り、
私は大学進学するつもりでいた。
だが、思はぬ事が起きて意のままにならず。
父の戦病死の報は、女学校一年生の時。
学校では、この上もなく活躍し楽しかったが、
家庭では、父を亡くした事で大変だった。

戦争のおかげで、私の人生航路に
くるいが出始めた。卒業も一番で卒業し、
今も、私の卒業式の答辞は、
学校に保存されているらしい。
60年以上も経っているのに。

さて、私は、どうすればよいか、思案に暮れた。








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2012年10月13日土曜日

『負けて勝つ』を観て

NHKドラマ『負けて勝つ』が終わった。
私は、仕事の都合で午後9時ピッタリには
観られないので、9時20分位から観ていた。

吉田茂は、昭和40年代に亡くなった方なので
私は、本物を知りすぎている。
ドラマの主役に、お気の毒ながら“一寸違うな”
感ずる事が幾度もあった。しかし
雰囲気は、ドラマとしてはよく出していたと思うが。

そんな事より、マッカーサー元帥が着任し、
事実上の日本国のトップになった。
東京をはじめ、全国各都市の焼け野原の中から
日本国を独立国にするには どうすればよいか。

直接は誰も分からなかった。
自分が生きるのに精一杯だった。
東京裁判があり、皇室の存在、
天皇陛下はどうなるのか、誰にも分からなかった。
そして、背の高い堂々としたマッカーサーと、
日本人の背の低い天皇陛下が並んで立った写真は、
全国民に大きな衝撃を与えた。

東京裁判も一段落し、とにかく日本人のトップを
誰にするかという事が難しかった。
皇室の人でもピッタリせず選び抜いた揚句、
吉田茂に一応落ち着いた。
しかし総理大臣と云えども、その上に
マッカーサーがドント座っている。
何を決めるのもマッカーサーなしでは進まない。
皇室の問題、憲法の問題、
外交は全てアメリカの 手中にあった。
(外務大臣は不必要)
セリフの中に
「こんな優秀な外交官を相手にするなんて難しい。」
マッカーサーに云はしめたほど、
吉田茂は、全知全能をかけて日本の独立へ向けての
キツイ、長い坂道を歩み続けた。

元々、この戦争にも反対論者であった吉田茂は、
外国の事を充分理解していた。
だからこそ、反戦論者だった。
昭和天皇とも、マッカーサーに会うチャンスを作り、
昭和天皇の本心の考え方をマッカーサーに
伝える事にも努めた。
日本から皇室をとったらどうなるか、
吉田茂は心得ていた。
一日も早く、独立させるべくあらゆる手段を講じた。
そこに、次郎という男が出てくるのだが、
これが白洲次郎で、吉田茂を陰に陽に助けた。

白洲次郎と云うと、すぐ思い出すのは、
テレビの中でも出て来たあの 長い長い長文の
独立宣言書の事である。
吉田茂は、英文で云うつもりだったが、
白洲次郎に一喝される。
「これから独立して、世界の中で
一人前になるというのに、その宣言を
なぜ英文で書くのか、書き直せ。」と
みんなに命じて急遽、紙と筆を用意して
手分けして日本語に書き直した。
長い長い巻紙の日本の独立宣言の文章は
ものすごい大きいトイレットペーパーか
と云われたりしたらしい。

それはともかく、このテレビは立派なものだと
私は思う。
日本がどのようにして敗戦国になり、
どのようして独立国を勝ち取ったか。
多分日本人の50才以下の人間は
ほとんど知らないと思う。

地球上に沢山国家はあるけれど、
みんな夫々好い国ばかりではなく
苦い苦しい思いをして成り立っている。
日本史も明治維新までは教科書で
習った人が多いと思うが、
肝心の現代史は、 
一寸おろそかになりすぎている。

過去の歴史を知らずして、
将来の展望は立てられない。

更に私が感じた事は、戦後復興させた
政治家は、みんな一流だと感じた。
それに比べて現在の内閣はどういう事でしょう。
何かの週刊誌の表紙に
《 このひどい政治家たち 》 という文章が
ありましたが、まさしくその通りだと
今回の『負けて勝つ』を観てその感を強くした。

心の底から日本の国家の事、国民の事を
考える政治家は、必ず何かを残してくれる。
どうでしょう、現在私は、一庶民ですから
これ以上は書きませんが、
もっと、もっとレベルアップしてほしいと
心から念じます。





吉田茂 像(東京・北の丸公園)











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2012年10月6日土曜日

土地は大切。しかし、それがすべてではない。

私は、20才代前半に夫と共に
誰の指導も受けず商売をスタートさせた。
その時は、日本国も上り坂。
やがて世界第2位の経済大国になる
直前の事であった。

又、夫は、次から次へとアイデアを
生み出す人だったので、何でも出来るという
自信とまで云えなくとも、やらねばならないという
意志の強い人で、ブレーキになるのは
10才年上の長兄一人であった。

しかも、生まれ育った土地でなく、
全く未知の横浜という場所で
仕事をはじめるには、不足する事が
非常に大きかった。
そういう向う見ずというか、恐れを知らぬ年代で
次から次へアイデアを具現化するのに
全く躊躇する人ではなかった。

業界の中に性格的に非常に合う人がいた。
一晩中話し込んでもまだ足りないという位、
次から次へと新しい考えを、まるで喜んで
子供が遊んでいるような姿であった。

50才代で病気になるとは思ってなかっただろうし、
30才代の頃は、未だ何度でも取り返しがつくと
考えていた。
そして、いつも今は大きな目的のための
仮の人生だ位に思っていたようだ。

私とすれば、自分の住居くらいの土地は
欲しかった。 特に、瀬戸内海の穏やかな海辺で
生まれ育った私の実家は、ここも,あそこも
こっちもあっちも自分の土地であるような
所だったので 。

東京の伯父の姑に力になってもらって、
いまの土地を借用した。
伊勢佐木町通りの店は、
戦後すぐ建ったバラックが並んでいたような
時代だったので、仕事が大きくなるにつれて
従業員も増えてくるし、どうしても店から
雨が降っても 走って帰れる位の場所で
土地を探した。
主人は、親からの資産を当てにして
金はあるのだからと思い、買いたかったらしい。
しかし、この一帯は、二人の大地主の
息のかかった土地ばかり。
聞けば借地というのも香川県で考えるのとは
大違い。ほとんどの人が借地店舗だった。
借地というのは、普通の事だと分かったけど、
それでも自分の土地が欲しかった。
又、当時のイセザキ書房の成績は、
その位の上り坂の時だった。

今、55年経ってみて、土地はすべての
基本になっているなと思わされる事に
度々出会う。
もう今更、私一人になって土地を買おうという
必全盛はなくなったけど。
香川県の土地とは比較すべきではないが、
自分の土地が一坪もないというのは
何かあると心を痛める。
駐車場の空きを気違いのように
歩いて歩いて探している自分の姿が
とても虚しかった。駐車場もほとんど
コインパーキングになってしまった。
あの方が、儲けがよいらしいが。
車一台の置き場所の事でオタオタする
自分自身を笑ってやりたい。










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2012年9月29日土曜日

人生は常にスタートラインに立つ その2

私が生まれた年に名和家は、本宅を新築した。
今ある家は、私と同い年令。
随分お金をかけて作った家だと思う。
80年近くしっかりしたもの。
大黒柱は、大人二人の両手の長さの円。
玄関は桜、廊下は檜。

父の母(祖母)も大した女で、新築の途中も
「ナカさんにはかなわないよ。」と云われる程の
口八丁手八丁の女だった。
結婚が決まった時、夫になる人には
男女併せて十人くらい兄弟がいるので
「これは小姑にやられるよ。」と云って反対された。
「私は、誰にも何も云われないだけの仕事を
するから何も怖くない。」とタンカを切って
結婚に踏み切ったようだ。

確かに、祖父は正装(和服姿)をして
帽子をかぶって出掛ける時、
出会った人が振り返る程、紳士
素敵な人だった。祖母も魅かれていたのかもと
私は思う。

美男美女の頭の切れる夫婦だったけれど
なぜか子供に恵まれなかった。
長女の竹子は3才の時、病名も分からず
下痢をして一晩で医者も驚く程、
あっけなく亡くなった。
「竹子はきれいだったぞ。」と
一度、祖父から聞いた事があった。

二女は、結婚して二人目の子供を産んだ時、
産後のヒダチが悪くて死んだ。
生まれた子供は、大変な大店の呉服屋へ
こわれて養女にやった。
これも4才の時、一晩の高熱でそのまま
死んでしまった。

更に、その上に、生まれていた男の子は
私と同じ位の年令で、ハンサムボーイで
あったのに、自動車事故で20才前に亡くなった。

そして、たった一人の長男(私の父)は、
33才で出征し、36才で戦病死。
両親より長く生きたのは、
末っ子のユキ子だけだった。

高松の空襲で焼け出され、津日へ来て
名和の田んぼで百姓をしていたが、
軍人であったユキ子の夫が、復員して来てから
高松へ戻った。子供は三人いた。

さて、私は、昭和8年に生まれてから、
妹・妹・弟・弟と兄弟が増えていった。
そう、あの頃だった。一番幸せだったのは。

末弟が、昭和18年に生まれ、
祖父母・父母・兄弟5人、9人家族になった時。
又、食事は、祖父は別膳で、
残り8人は大きな食卓を囲んで、
末っ子は父のひざの上だったか?
楽しい楽しい夕食だった。
70年経った今でも、あの頃の事は
嬉しい、嬉しい、嬉しくて涙の出そうな思いである。

戦争が長引くにつれ、物不足時代に入っても
私の家は田んぼの年貢が入り、
漁業の売り上げが入り、特に困る事は
感じなかった。

私は、学校の成績だけを一番気にして
級長になり、一番になり、勉強をすることが
楽しくて楽しくてたまらなかった。
文房具も不足がちだったが、知り合いに
文房具やがあり、何も不便しなかった。
私の兄弟で、父方に似た者は美人。
母方に似た者はブス子ちゃん。
私は、残念ながら後者であった。
教科書は、暗記する程読むけれど、
それ以外の本が読みたくて、あちらこちらと
借りていた。新刊などほとんどなかった。

祖母もあちこちから借りてきてくれた。
そして、夜寝る時に毎日お話をしてくれた。
私は、それを聞きながら眠りについていた。
おとぎばなしは、ほとんど祖母から聞いた。

母が特別に読んでいた『主婦の友』なども
私は読んでいた。

入学したのは小学校。
戦争が始まり国民学校と呼ぶようになった。
そして、卒業する時は敗戦国だったので
又、小学校。総代で卒業した。

その頃、5年・6年生を受け持ってくれた
原井先生という女教師が、国語に詳しく
作文をよく書かされ、発表したりさせられた。
又、『宮本武蔵』とか、古本屋で借りてきて
読んでくれたり、私が作文が好きになったのは
原井先生のおかげ。でも、体育はダメ。
薙刀を振らされたけど教える先生の方が
下手だから全く面白くなかった。

そして、戦争は終わったけれど平和ではない
少女時代だった。
素人百姓の田んぼを手伝いさせられ、
田植えも稲刈りも 麦蒔きも草取りもした。
田んぼに入れる肥やしも、私は母を手伝って
運んだ。私よりもつらかったのは母だったと思う。

母は、船の管理も祖父に代わってやるし、
田んぼも荒らしたままおくわけにもゆかず、
朝から夜まで働き通しだった。

そして祖母も、もう目がそろそろ見えにくくなり、
その治療をする医者がなく、赤十字病院へ
入院したりしたけれど、良くはならなかった。
そんな体調でも、私達の食事の準備は全部する。
当時は、私の家は、未だ木で炊くおかまの
時代だったので、その木を割る仕事も、祖母は
やっていた。目が見えなくても感の鋭い人だった。
祖母は、歩いて4~5分の所へ嫁いでいるので、
新婚旅行などとんでもない。
でも神様は、この働くばかりの老夫婦に
旧婚旅行を授けてくれた。

大阪の叔父が、祖父母を京都・奈良の
神社仏閣に全部連れて行ってくれた。
祖父母にとっては、最初にして最後の大旅行
だったと思う。1週間以上も家をあけるという
事も又。
祖母は、仏教に非常に熱心な人だったので
毎日拝んでいたのを私が覚えてしまうほど
だったから、この上もなく嬉しかったと思う。

父母は、どうだったのだろう。
きっと、何もなかったように思う。
小さな旅行でもあって欲しかった。

さて、次回からは、私の女学校時代へ入ります。







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2012年9月20日木曜日

何か何か物足りない

毎日のように竹島(対 韓国)、尖閣諸島(対 中国)の
ニュースが新聞にもテレビにも出てくる。
竹島は、さておくとして、尖閣諸島については
私のような庶民には詳しい事は分からないけど
お互いに大変な被害を出している事はよく分かる。
直接的、更に間接的にもお互いに
なぜこんな事をしなくてはならないのだろうか?
毎日毎日思っている。
でも、そのうちに総理 直々にとか、
それに匹敵する人材を送り込んで
まともになるだろうと思っていた。

しかし、日々を
おう毎に
炎は、ますます燃えて広がる一方である。
単に、日本とのの問題だけでなく、国内の不平不満も
重なり重なって来ているようにも思えるが。
他人様の家のもめ事に手出しするような事はできないが、
少なくとも、尖閣諸島については、
間違いなく 日本領土である という事を
総理が世界中に分かるように大宣告するべきだと思う。

こんな事態になってもどの国からも
手を差し伸べてもらえない程、
現政府は、外交をやっていないんだなと私は思った。
現総理の手に余る仕事なのかも分からない。
唯、唯、消費税一点張りの政府ですから。

でも、この消費税についていえば、
私もつい先日 、一年間分を支払ったばかりですが、
それを支払いに行った時、窓口の人に云われた。
「これをちゃんと払っていない企業が多いんですよね」と。
前にも同じような事を他で聞いた事がある。
私の場合   は、税理士さんが厳しいので、
「○月○日までに必ず払って下さい」
という言葉があり、私はその云われた通りやらないと
次の仕事に移れない性格なので、
手前のものから、手前のものから仕事を片付けたいので、
支払うべきものは、ばっちり払っておかないと
前進出来ないのである。

だから、総理の計算通りに納付されず、
不景気だけが現実として出てくるだろうと思う。
私のような一庶民には詳しい事は分からないけど、
現総理は国民から見ていて、何か物足りない事が
多すぎる。
悪い事は何もないんだけど、国民の気持ちに沿って
もらえないと云うべきか。

私は、日本の国に、もっと外交、その他に秀でた人が
いないはずがないと思う。
出てきてほしい。
国民への愛情を傾けてくれる総理大臣が。
そうしないと、日本は東洋の端くれの島に
なってしまいますよ。




尖閣諸島

 





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2012年9月15日土曜日

人生は常にスタートラインに立つ その1

 そうだ、もうあれから半世紀半。
私は、瀬戸内海のおだやかな海辺で
大網元の若い夫婦の長女として生まれた。
母は、20才そこそこで23才の父と結婚。
私は、父の両親・母の両親と
四人の祖父母にかわいがられ
幸せな赤ちゃんだった。

しかし、三人も続けて女の子ばかり生まれて
三番目の妹の時は、見にも来てくれなかった。
その妹が一番やさしくて、一番きれいで、
70才過ぎた今も旅館の女将をやっている。

フィリピンでの敗戦の年、昭和20年6月、
ルソン島で戦病死(野たれ死に)した父は、
33才で召集令状を受け、
昭和17年11月、我が家と大きな仕事を
残したまま終に、一度も帰らず、
どんな死に方をしたのかも分からず、
唯、戦病死という知らせがあったのは
私が、女学校の一年生の時だった。

私は、妹二人・弟二人の五人兄弟。
親類の人から 
「吉光さん、絶対生きて
かえらないかんよ。」
とみんなに云われる度に、
「こんな五人の子供や、老父母を残して
死ねるものですか。生きて帰りますよ。」
と云っていた。
しかし、実際は、訳の分からぬ死に方で、
ただ、フィリピンのルソン島にいた
兵隊の中の一人であった事しか分からない。
物々しい白木の箱が帰って来たが、
空けてみると、[名和吉光の霊]と書かれた
紙切れが一枚、入っていたのみ。

ひどい、本当にひどい。
私は、今でも父を殺したのは誰かと
探し続けて60年。運命であったと
自分自身に言い聞かせる事は、今もって
不可能である。

上の弟は、父と別れたのが3才の時。
未だ、高松港から宇野まで連絡船の時代であった。
父が連絡船に乗り込み、船が動き出した時、
「お父ちゃーん。行っちゃいや。お父ちゃん帰ってきて。」
と泣きながら桟橋の端まで追いかけて行った姿を
私は、一生忘れる事ができない。

蟹甲湾の中の漁業権をいくら持っていても
70才に近い祖父にはやりきれず、
知り合いに権利を貸してしまった。

父の両親は、いずれもしっかり者同士で、
そこへ嫁に入って来た母は、若くして大変苦労した。
祖母が、あまりにも頭が切れる人なので、
何から何まですべて祖母が仕切り、
母は、その手伝いをさせられていたのかな。

私が母を思い出すと、いつも洗濯している姿、
縫物をしている姿が浮かんでくる。
今、この年令になっても。

長女だからという事で、
私の初めての時着(秋祭りに着用する)は、
祖母が、品物を決め、母の縫い方では気に入らず、
母は、針仕事の稽古に神戸にいる姉のところへ
一ヶ月間位、教えてもらいに行かされたらしい。
神戸の伯母さんは、花道・茶道・習字・琴など
何でも師範格の腕前の人だった。
小さい時、士族の家へ養女にやられ
相当仕込まれたらしい。
私もこの伯母が、私の家の近くへ疎開して来た
10年間位の間に、花道・茶道・書道を教えてもらった。

非常に、難しいシュート・シュートメに仕えながら
5人の子供を生んだその直後、
下の弟が、生後10ヶ月の時、夫である私の父は
召集兵として家を出たまま帰らぬ人となった。
思えば、母の夫婦生活は、
決して不幸ではなかったけれど、
気遣いは大変だったと思う。




 
フィリピン ルソン島 戦没者慰霊碑



* 今後も不定期に掲載してゆきますので、お見逃しなく。 *






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2012年9月8日土曜日

みんなみんな独立しよう

時はどんどん流れ去る。
私独り 昔のままのような気分でいても周囲は様変り。
スターという存在があるのかどうか分からないけれど、
歌手の歌っているのをテレビで観ても全く分からない。
みんなみんな孫世代。

そして、私の知っているスターは、
いつの間にか歳を重ねて、もうスターではない。
さだまさし という歌手は、何歳か分からないけれど
昔のような気分で観ていられる一人。
それから、黒柳徹子さん。
年を重ねているけれど、まだまだスターである。
「二十四の瞳」で高峰デコちゃんが登場した頃の
日本は、とても素敵だったなぁ~。
もう一度、もう一度、あんな日を迎えたい。

さて、大阪を都にするとかという案が出ているが、
都は、日本の国で一か所でなくてはいけない。
そうでなければ、都の意味がない。
私は、郵便物を出す時に、常に、
” 都 ○○区○○町○○番地 ”と書いている。

それよりも、大阪のみならず、各県が独立して
その地方、地方の特色を強く出し、
消費税くらいは、夫々各県の裁量で
使えるようにする事がより大切だと思う。

北海道と九州では、風俗習慣もさる事ながら
生産品、特に食べ物が大きく異なる。
同じさんまでも味の違う事を
私は知っている。

夫々の県が、特徴を打ち出し
自分達の事は、自分達でまかなう方が
合理的だと思う。
ひとつひとつ、夫々の各庁へ各県から出向いて
お願いするというのは、止めた方がよい。
そうすれば、各庁の人間の数も減らす事が
出来るし。威張り散らす形もなくなるだろう。

地方議員が、中央省庁で頭を下げる必要もない。
夫々が夫々の良さを打ち出し、PRしてゆく事によって
更に優秀な生産物が生まれてくる。
それは、日本国全体にとって、とてもよい事だと
私は思う。

私は、四国瀬戸内海の海辺に生まれ、
20才で結婚して、神奈川県(横須賀・逗子・横浜)で
生きる羽目になった。いずれもいい所がある。
こういう形を全国的に考えてゆくのは
素晴らしい事ではなかろうか。

繰り返して云う。
都というのは、日本に一つだけあるからこそ、
都の価値がある。
夫々の県が、日本全体のレベルアップになると思う。
日本語をしっかりと身に付け、使いこなし
間違えぬようにするには、
沢山 本を読む事から始まる。

2~3才頃から、絵本・紙芝居で、
少し大きくなれば、物語を読む。
そのうち、本の楽しさが身に付いてくる。
そうすれば、もう、しめたものだ。
日本人が、本物の日本語を知らずに
何が国際性か。

繰り返して云う。  
都は、一つだけだから都の価値があるという事を・・・。










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2012年9月1日土曜日

野田総理へお願い

野田総理様。
政治生命をかけて消費税アップを計るとの
ことでしたが、一年間の間に野田総理の
おやりになったお仕事はそれだけでしたね。

私のような下々の庶民には詳しい事は
分かりませんが、大体、マスコミの報道による
成果としてはそれだけしか私には分かりません。

何も分からない庶民にとって、
尖閣諸島も竹島も日本の領土でありながら
隣国にのし上がってこられても
総理は、ちっとも動こうとなさいません。
なぜなんですか?

尖閣の次は、沖縄かも。
竹島だって他にも理由はあるかも分かりませんが
大統領に勝手に入ってこられても
総理は、なにもなさいません。
なぜですか?

又、北方領土だってあります。
島は小さいけれど、一大漁場である事を
私は知っております。日本の鮭鱒漁業は、
おかげで姿を消してしまいました。

日本にとっては、大損です。
樺太は、通して当然としても、
北方領土は、元々日本領土ではありませんか。
北からも西からも南からも領土が
危なくなっているのに、
総理は、どう考えていらっしゃいますか?

消費税アップに政治生命をかけるなら
領土を守る事に本当の命をかけるべきです。
もし、手に負えないならさっさと解散して
力のあるリーダーに変わって下さい。
外交の出来ない総理なんて、
国民は安心していられません。

アメリカの大統領選の演説を
聞いていると (テレビで)
私は、充分英語は分からないのに
つい立ち止まって聞いてしまう程、
人を惹きつけるスピーチです。
政治家に必要なもののひとつに演説があります。
ご自分の意思、意見を国民に知らせる
義務があります。

私は、一度も野田総理のスピーチに
魅せられた事がありません。
残念です。

消費税を上げても、国の収入は増えません。
ますます、不景気になって
つぶれる店や企業も出てくるでしょう。
総理は、商売人ではないから
本当の庶民の生活を知らないから
勝手に云われるままおやりになった事と
思いますが、これは、景気浮揚ではなく、
国民を泣かす事です。

どじょうなんて大嫌いです。
せめて、うなぎか鯛か鱸が、私は大好きです。

「間もなく解散」なんて、
そんなに 総理の椅子に未練がありますか?
国民の幸のために、総理の椅子をおりて下さい。
お願いします。

― 庶民より。




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2012年8月25日土曜日

秋近し

 空の色 雲の形はあきめいて
    左手かざして 幸祈らん

 戦争は 表立っては見えないけれど
    周囲はみんな 常在敵軍

 世渡りの むづかしいことが分かるのは
     還暦すぎて ほんものになる

 世の中は 荒れに荒れたり一人ずつ
    心おちつけ 前へ進もう

 青い空 光る海きらり沖あいの
    小さな船に 夕陽落つ

 地球儀を くるくるまはして考える
    世界の中で 輝けにっぽん

 空青く 雲ひとつなくじりじりと
    汗ぬぐいつつ あら一輪の花

 見あぐれば もう秋近し夏空の
    色うすれかけ そよと風吹く 








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2012年8月18日土曜日

8月15日は特別な特別な日

今年は、オリンピックがあった為、
8月と云っても戦争の事については
例年より情報が少なかったと思う。
又、一年経つ毎に時間が過ぎてゆくので
67年前の事となると、知らない人が
大部分になってしまった。

私は、生まれた時から日支事変が起こっており
太平洋戦争は、小学校2年生の時にはじまり、
敗戦は小学校6年生の時。
瀬戸内海の穏やかな町に住んでいたけれど
防火用水を各所に準備、空き地に穴を掘り、
空襲警報が鳴ると、その穴ぐらへ
家族全員もぐりこんだりしたので、
忘れざる記憶がいっぱい。

私は、終戦とは云はず、
ずっーと敗戦の日 8月15日
60年間表現してきた。

何が終戦ですか!
大敗した日を ” 敗戦の日 ” と云わずして
どんな言葉があるでしょう。

去る、8月15日の夜、
NHKが【 終戦 】というタイトルで放送しましたが
私の知らなかった事も沢山あって、
胸を熱くして、涙を流しながら泣きながら
テレビを観た。
私が最近、テレビの前で一歩も動かず
観たのはこれが多分ここ10年間位の間にこれだけ。
たった一度だけだと思う。

兵隊だけを送りこみ、銃も剣もなく、戦争用具は何もなく
更に食物はいっさいなし・

何でもいいから、ミミズでもよいから欲しいと思って
隊から動くと、即、銃殺であったらしい。
日本の軍人は、何だったのか。鬼か邪か。
そんな風に死んだ人、
食物がなくて死んだ兵隊の肉をちぎって食べたとか・・・。

大東亜共栄圏とか云って、満州にまで手を伸ばし、
南はニューギニアまで。よく拡げたものだ。

私は、東京裁判はなまぬるいと思う。
まして、その形で死刑にした人間の魂は
靖国神社からはずして欲しい。

「靖国神社で会おうよ」と云って
真剣に出征して行ったうら若き青年がかわいそうだ。
軍部が政治をとったら国は亡ぶ。

現総理にしても、消費税にばかり政治生命を
かけるのではなく、
日本国を守るために本当の命をかけるべきだ。
でなくば、総理大臣なんて価値なし。
命をかけて日本を守る人に
一刻も早く交替してもらいたい。




『日本人なら知っておきたい!太平洋戦争』 学研 ¥680





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2012年8月9日木曜日

私の広島

 広島市へ原爆が投下されたのは、
昭和20年8月6日午前8時15分。
一つの市が、丸ごとなくなってしまい、大勢の人が死んだ。
又、病気になったまま亡くなっていった人もいた。
当時の事を知っている人は、日本国民の中でも
もう、1割くらいかなと思う。
随分、昔の事のように思うけど、
日本の歴史の上では、大変重要な事件であった。

私は、幸いにして四国 に住んでいたので
何の被害も受けてはいない。
しかし、毎年8月の初めになると、
広島・長崎の原爆の日は、必ずやってくる。
そして、ニュースとして扱われる。

なぜ、ここまでくるまで白旗を上げなかったのか?
沢山の犠牲を出し、なぜこんなところまで戦を
進めたのか?腹が立つ。

私は、毎年8月15日は、終戦の日ではなくて
” 敗戦の日 ”
として、私なりに祈りを捧げて来た。68年間。

私には、原爆の被害はなかったが、
その前年、昭和19年8月に広島の駅で
父と永遠の別れをした。

母・祖母・上の妹・下の弟、そして私と5人で
広島へ面会に行った。
電報が来て、準備もそこそこに弁当だけは
しっかり造って5人は列車に乗り込んだ。
それから、米を持って、米は旅館へ。
下の弟は1才。母の背中にずっと背負われていた。

指定された旅館で待っていると、まもなく父がやって来た。
「お父ちゃん」妹がとびついた。
私は、父の顔を見て、笑っていたので安心した。
母も祖母も涙を流す。
下の弟だけがキョトンとして赤ちゃん座りをしていた。

あぁ、あの瞬間のあの光景は、忘れる事が出来ない。
旅館と云っても、食事はほとんどなく 、
持参した弁当を拡げ、父が、おいしそうに食べているのを
私は、じっと見ていた。
ふるさとの味、祖母が懸命に作った巻きずし、
煮魚などなど。

父は、下の弟と別れて1年位経っていただろうか。
「敏延よ。父ちゃんだよ。こっちへ来い。」
と何度云っても、唯、顔を見ているだけで
近寄ろうとしない。無理もない。
別れた時は、生後10カ月。
父だと分かるはずがない。
父が、少しずつ寄ってきて、扇子の先で
「父ちゃんだよ、敏延。」と何度云っても、
唯、じっとしていた。
そして、父の手に持っていた扇子の先に
一寸さわって、父の顔を見て
後ずさりした。

父は抱きたかったのに、下の弟は全く動かない。
そうこうしているうちに、食事も一段落した時、
祖母は、帰りの切符を並んで買わなければならない
と云って席を立った。
大きな蚊帳の中に布団が敷かれ、
私も妹も弟も疲れてしまったのと、
父と会えた安心感で、多分眠ってしまった。
父と母の話声もかすかに聞こえてきたが。
祖母は、夜明け近くに切符を持って帰って来た。
「そんなにかかったの?おばあさん。」
と私が云うと、
「大勢だもの、時間はかかるよ。」
と答えた。
私は、自分が成人してから、
あぁ、あの時祖母は、父と母の2人の時間を
少しでも長くしてやるべく駅で寝たんだと分かった。
祖母は、そんな事は一口も云わなかったけど。

それから、昼すぎまでどうして過ごしたか
書く事は出来ないが。
もうじき何時間。もうじき何時間と思いながら、
私は、父の体のあちこちにさわったり、
ふざけたりした。
時は、刻々と過ぎる。

昼すぎ、身支度を整え、6人は駅へ向かった。
父の乗る列車のホームと、私達の乗るホームは、
線路を挟んで並んでいた。

妹がいち早く父を見つけ、「お父ちゃーん。」 と
大きな声で叫んだ。
聞こえたかどうか分からないけど、
妹は、「お父ちゃんが泣いている。」と云って
オイオイ大声で泣き出した。
見ると父も確かに泣いていた。
私も胸から込み上げてくるものを
おさえる事が出来なかった。
母の眼にも祖母の眼にも涙、涙。
背中の弟だけは、眼をくるくるさせて
不思議そうな顔をしていた。

そして、この瞬間が、父との永遠の別れになった。

父はその後、南の島フィリピンのルソン島へ送られ、
昭和20年6月23日、戦病死となった知らせが
昭和21年に来た。
何が戦病死だ。きれいごと云うな。野たれ死にやないか。
あるいは、共食いだったかも分からない。
食べ物も何も持たせずに兵隊だけを送りこんで
どうするつもりだったのか?

私は、私の父を殺した人間を探し出して必ず仇を討つ。
79才の今でも未だにそう思っている。
誰なんだ、父を殺したのは。

私のような思いの人間は、日本に沢山いる。
そして、毎日、毎日、無念を晴らす事なく
年老いて死んで行ったんだろう。
歴史の上では、広島・長崎の原爆被害とされているが、
そんな単純なものではない。
よくもアメリカ相手に戦争をしたもんだ。
今頃、地獄の200℃の中で苦しんでいろ。
日本の都市のほとんどが空襲を受け、
東京も焼け野原になったあの3月の日。

戦争を止めさせて欲しかった。
出来なかったのだろうか。
いや、そんな事はない!
運命として片づけるには、あまりにも悲しすぎる。

私は、あの世にまでこの恨みを持って行く。
お父さん、5人の子供はみんな立派に成人して
夫々社会に貢献しています。






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2012年8月4日土曜日

はらはらどきどき  これが大切

 4年に一度のオリンピックが、真っ最中。
とにかく世界に大きな戦争がないという事で
喜ぶべき事だと思う。

私は、テレビを見る暇がほとんどないので、
あまり心がのらなかった。
しかし、毎日毎日、テレビは半分オリンピック放送。
何年か前、韓国と共催でワールドカップが行われ、
最終決戦が、横浜であった。

あの時は、本屋は泣いた。
売り上げが、グンと落ちてしまって。
その頃、書店の会合があった時、みんな口をそろえて
「もうやって欲しくないね。懲りたね。」
と云ったものだった。

今回は、日本ではないので、時間差はあるから
それ程でもないかとふんだけど、
やっぱり、売上は減った。
そりゃ4年に一度のオリンピックの方へ人の心は
向くでしょう。

私は、40年以上前の東京オリンピックの印象ばかり
強くて、その間にあったオリンピックは
あまり、心に残っていない。
変な人だと思うでしょうが、零細企業の経営者は
一番自分の売上が大事なんです。

毎日毎日、テレビはオリンピック。
そのうち見たくなくても見ざるを得ない。
だんだん、オリンピック病にかかったかな?
と思ったりした。

しかし、体操男子の内村航平選手の映像に当たった時、
私もテレビを切らずに魅せられてしまった。

あまりの素晴らしいというか、人間業でよくもこれだけと
思うような、映像は、迫力を感じてしまった。
解説を聞いていると、2~3才の頃から両親の手によって
体操の基礎のようなものをはじめていたとか。
小学校低学年の頃には、ノートに沢山の人間の
体の形を描いていたとか。
両親が、体操塾のようなものを開いているので
毎日毎日、小学校に上がる前から
体操というものに好き嫌いもなく、
その中に体がトップリつかっていたらしい。

そうです。これが内村航平という希代の名選手を
育てたんだと分かった。
おそらく、ほとんどの選手達もその他の選手も
これに近いトレーニングをやっていたんだと思う。
それだけやれば、才能さえあれば技術は向上するだろう。
そして、本人の心の中には、体操で名を成そうと
思うようになってゆくのが自然であろう。

話は、一寸外れますが、”読書”本を読むという事も
これと全く同じです。
2~3才の頃から、字は読めなくても
絵を見て物語を覚えてゆく。
そして、字もそのうちすこしずつ覚えてくる。
字が分かりだすと、絵本の中の面白さに惹きつけられる。
もっと、違う本が読みたいという欲求が生まれ、
次の本に、次の本にと、心が躍る。
年令を重ねてゆくと、絵本ではなく、物語の本を
せがむようになり、もうそうなると、読書の喜びが
体内の血となって流れるようになってくる。

これが、読書のはじまりです。
ゆとり教育の間の30年間に育った人はかわいそう。
こういう素晴らしい事を知らずに成長してしまい、
もう今となっては、コミックは面白いか・・・?
という事になってしまった。

私は、紙芝居が一番最初に子供の心を打つと
いう事を発見。
以来、紙芝居の在庫も充分に持ち、
ネットの中にも [ 紙芝居の販売店 ] 
検索していただければ、
イセザキ書房の内容は 、一番に出てくる。

小さなお子さんのおられるお母さん、
内村航平のような競争舞台はないけれど、
オリンピックより、もっと大事な人生劇場の中で
必ず秀でた子供に育ち、本好きになり、
あなたのお子さんは、一生大きな得を得ると思います。

読書は、難しいものではありません。
普通の人間らしい人間の欲望の中の一種です。

さぁさぁ、内村航平のように有名にならなくても
人間として、必ず幸せな人生を送る事が
出来ると思います。
すべては、2~3才の頃から人間の成長は始まります。

読みましょう、本を。
学びましょう、本の中から。
時にはゲームも、気休めにね。





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2012年7月28日土曜日

夢はまだまだいっぱい!

ロンドンオリンピックが始まった。
ニュースで観るだけだけどなかなか素晴らしい。
そして、東京オリンピックの事を思い出してしまう。

あの時は、夫と共に時間の許す限り観た。
バレーボールの鬼の監督とか・・・。
そんな事を考えていると、あれほど厳しかった
夫の事が思い出されて当時(丁度20年前)の
亡くなった日の頃の事が、私の胸にジーンと来てしまう。





   非常なり 役所の書類 ひとつずつ
          抹消されてゆく主人の名前

 あなたしか 分かってもらえぬ 言葉あり
          しかってほしい 笑ってほしい

 声もなく じっと見つめる 遺影観る
          なぜなのパパ どうしてなのよ

 咲き誇る 桜の花が せつなくて
          散る花びらが 涙に見える

 声もなく 姿もなくて にほいだけ
          生きてた時と 同じこの部屋

 やめたくて やもられなかった このタバコ
          カートンのまま 残されており

 治りたい 元気になりたい 働きたい
          その一念で 八年過ぎる

 治ったら 元気なったら 口癖の
     ように 話した ああ あの声が

 おじいちゃん トーメイ人間になったのね
          孫の言葉が 又 悲しくて

 38年間 主人は私に生き様を 
         教えて 教えて 逝きました

 おい君と 呼ばれる声は もう聞こえない
         ガラス戸叩く 雨音ばかり

 もろ手より こぼれ落ちゆくものの 大きくて 
         何も残らず 我をくるはす

 苦しくて 忘れたいと思う時
         忘れてならじと 必死に願う
 




あの頃の淋しさと悲しさで、心が狂うような時、
心を静めるべく、ついつい詠んだ短歌。
今、聞いてみると、私を殴ったり蹴ったりした夫は
誰だったのだろうか?と思ってしまう。

一日、一日、時は過ぎてゆく。
私は、生きている間に
あれもこれもやりたいと、希望と夢で心はいっぱい。





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2012年7月21日土曜日

三つの花

80年近い人生の中で、たった6~7年、
共に学び、共に遊んだ月日の映像がこんなに
際立って心の中に終生残るものなのだろうか。

A子、B子、C子、3人は家も近かったし、
A子は、美人中の美人。
B子は、美人というよりかわいい女性。
C子は、女学校・高校・と一番で入学、
一番で卒業したようなリーダーシップのある
頭の良い子。

夫々の長所・短所をわきまえて、
お互いに 利用したりされたりしながら
縁はますます深まった。
六年間の学校生活は これ以上ない程楽しかった。
人生の中の一割にも満たないこの時期を
青春と呼ぶのだろうか。

人生の秋も終わりに近くなった今、
振り返ってみると、全ての事が桜の花の咲く春の景色。
やっぱり、春は全てのスタートの時期なんだ。
何もかも昨日の事のように思えてくるけれど、
60年近く過ぎている。

A子は、高級サラリーマンに嫁ぎ、二人の子供、
孫も得て、今は で悠々自適。
B子は、養父が亡くなり、実の父に引きとられ
継母の下で結婚前を過ごしたが、
実父の決めてくれた男性が本当に出来た人だったようで
B子も「とてもかわいがってくれた。」と
嬉しそうに笑いながら話していたが、先年  夫は亡くなった。
C子は、自分自身に実力をつけたくて、
行けなかった大学へ 行く事を条件に結婚したが、
結果的にその時間はなく、実業の世界に入ってしまった。
夫に厳しく、厳しく仕込まれた。
夫は、20年前に亡くなった。


生き様を 妻と子と孫に教え終へ
        三浦の土に 静かに眠る


A、B、C、3人、夫々の道を歩みつつ、
一年、一年、年を重ねて来た。

『置かれた場所で咲きなさい』 
       < 渡辺和子 著 (幻冬舎) \952 > 

まさしくこの通りだと思う。
A子、B子、C子、夫々運命的とはいえ、
夫々置かれた場所で開花した。
誰が幸福で、誰が不幸か、そんな事は分からない。

今願うのは、この三つの花が、
夫々一日でも長く咲きそろい
それなりに社会へ貢献が出来る事を
願ってやまない。




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2012年7月14日土曜日

浮世絵秘蔵名作集 歌まくら

本書は、現存オリジナル作品を特殊製版により、
オフセット多色印刷をし、
用紙は、特漉和紙を用いております。

限定3600部のうち、3500部には
1番から3500番まで番号を記しております。

本書は、2065番
平成3年7月29日に発行。
全くの新品でございます。
(本体の状態は、大変良好。美品です。
発送用外函には、少々汚れ、傷みあり。)

これほどの新品は、先ずどこにもないと思います。
1冊しかありません。
定価は、20万円です。
¥80000で出させていただきます。

価値の出てくる大変貴重な芸術作品です。
ぜひ、この機会にお買い求め下さい。



2012年7月7日土曜日

正しい日本語を読み書き出来る事が第一

今日は7月7日、七夕さまの日。
「なぜ、七夕にささかざりをするの?」 と聞かれたら
おり姫とひこ星様のお話になります。
(紙芝居がありますので、観て頂ければよく分かります。)
私共では、全国一の紙芝居の在庫を準備しています。

私は、YMCAのヨガ教室へ行っておりますが、
小さな子供達が沢山いるので、
この子達こそ次世代を背負う人間、
この子達に本読みの心得を持ってもらいたいと
読み聞かせをさせてもらいました。
でも、読み聞かせでは5~6人の子供しか集められず
そして、私は腕がだるくて続かない。

そこで考えました。
何かもっと大勢の子供達に聞いてもらうには
どうすればよいのかと。
そして、ふと、「あ、紙芝居だ!」と考え、
一番大きい紙芝居の版元にお話して
早速、紙芝居を準備しました。

最初は、そのまま紙芝居そのものだけで
語っておりましたが、そのうちステージをつける事を
発案して、ステージに入れて演じました。

すごーく違います!
あんな木の箱だけど、ちゃんとお芝居になり
私の声のはりも変化しました。
不思議なものですね。

そして、子供達がみんな紙芝居に
心を惹きつけられているのが語り手の私にも感じました。
お母さん達から、
「お上手だわ。」「いい声だわ。」という声が聞こえてくると、
私は、調子づいてますます張り切っていました。

そのうち、店の中でも ”紙芝居会” をやり始めました。
子供づれの母子が、沢山きてくれると
私は嬉しくて、売るよりも演ずる勉強を始めました。
若い時、一寸ばかり演劇をかじっていたのが
役に立ちました。

そのうち、買って行ってくれる人も来たし、
当店のHPで紹介すると、全国からどんどん
注文が届きました。

嬉しかったです。

そのうち、「アメリカにいる子供に送りたいんだけれど、
英文はないか?」と聞かれ、
英文の紙芝居も出ているものは全部揃えました。
外国にいる子供は多いなと感じました。
日本語だけではなく、英文のものという注文が
増えてきました。

又、子供達だけでなく、老人ホームにいる人達からも
呼びかけがかかり、昔懐かしい紙芝居で
泣かれた事もありました。
お寺からも買っていただきました。

こうしてみると、日本の文化である紙芝居というものの
偉大さをつくづく感じました。
紙芝居は、世界に誇る日本のすばらしい文化であることを
この年令になって再発見出来ました。
紙芝居から、絵本へ、そして読み物の本へと移ってゆきます。

日本語はすばらしい!
きちんと覚えてゆきましょう!

電子本もよし、色々新しい読み方はありますが、
基本は ” いろはかるた ”から始まる日本語です。
正しい、美しい日本語を覚えてから
電子本に移りましょう。
先ずは、正しい日本語をしっかり身に付けましょう!

                                         



             酒井邦嘉 著
             『脳を創る読書』 -なぜ「紙の本」が人にとって必要なのか-
                                実業之日本社 (¥1200+税)



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2012年6月30日土曜日

総理大臣ってその程度で務まるの?

 消費税に明け、消費税に暮れそうなた半年。
消費税は、一度税率を変えると流通業界は大混乱する。
値札を付け変えたら良いものではない。
入荷した時の税率を適用しなければならないのと
レジスターの数字も変更するだけに止まらず、
一品一品考えながら、チェックしながら売らねばならない。

購買者も疑心暗鬼を抱からずを得ない。
これから二度もそんな事があると、
また、零細企業は力が失われる。
そういうことを増税のステップに命をかけると云うお方は、
御存知なんだろうか?
一度私の店で一日見学して下さい。
その事は、ずーっと私の頭から、というより
流通業者・小売業者(特に零細)は
思いあぐねていると思う。

私は、日が経つにつれて、
野田総理の顔つきが変わってきたのを観た。
勿論、テレビの中だけれど、
テレビは如実に感情を映し出すものである。
これは誰かに押されて苦しい思いをしているなと
思いつつ、私は観ていた。
もう、55年以上も人間相手の商売をしていると
私 のような人間でもそういう事がはっきり分かる。
財務省に押されているんだなと、
私は単純に思っていた。
そして、今週の週刊現代に、勝次官の事が
詳しく出ていて、やっぱりそうだったのかと
合点がいった。

一国の総理が、一省庁の次官の命令に
従っているんだ。自民・公明との取引も
すべて、すべて勝次官の命令?とは。
私は、なるほどと思うと同時に唖然とした。
そうだったんだ。財務省の次官の命令で
野田総理は苦しんだのかも分からない。

総理大臣と云えば、一代代議士になっても
なれる人は数える程しかいない。
政治家になれば、みんなそれが目標であり
その為にやっている人ばかりだと思う。
今、戦後の総理のシリーズ本が出ているが、
年中、年中、当番みたいに変わる日本の総理も
未だ100冊にも達していない。

夢かない総理大臣の椅子に座ったけど
上から命令する人がいる事は
予想していたのだろうか?
国民のため、国家のため、老いた時の
年令にとか、色々説明しているけれど、
そんな事、みんなデタラメ。
財務省に金が欲しいから、次官は総理に
命じて消費税アップを計ったものと思う。

この調子で行くと、
様々な税金が上がってくるだろう。
年金も、私は50年間以上、それなりの率で
支払って来た。支払っていない人は、
もらう権利は当然ないと思う。
そして更に、困っている人にと云って
手当を出しているが、
「働けば引かれるから、働かない方が良い。」
と云って、フラリフラリした人間が多すぎる。

税金にしろ、何にしろ出来るだけ
シンプルにして欲しい。
ついでに云えば、年寄りの一人身が
どんどん増えて来たが、
これはもう自然のなりゆき。
昔、私の母の世代は、結婚するというより
”嫁に行く”という表現をしていた。
そして、その家の一員としてその中で
子供を産み育てて来た。
夫の両親・祖母・父母もいる。大家族である。
その中で、嫁に来た他人の女性は、
夫の両親に仕込まれて来た。
キツイ人もいた。苦労した嫁もいた。
しかし、その嫁も又、息子が嫁をもらうと立場は逆転。
その繰り返しができるのは、農業とか漁業とか個人商店
 とか親の職業を
 をそのまま引き継ぐ場合でないと出来ない。

現代は世界中が舞台。
どこで仕事 するか分からない職 業の時代では
するにも出来ない。
夫婦単位、しかも現状は妻の方が
力を持っている家庭が多い。
もうこうなったら、年取った老人は
どうする事も出来ず 問題になってしまった。
私は、本当は(姥捨て山)が、必要になったなと
つくづく思う。

話を元に戻して、日本は消費税だけでなく
他にも生きている間、沢山の税金がある。
財務省も勝氏のように力のあるという事は
器量もあるはずだから、
目線を財務省から国民に移してほしい。
今は、権力 を持っているのかも分からないけど
老後は、神様が決めて下さいます。

どんなに勝氏が優秀で、力があっても、
人生はどうなるか分からないものです。
”終わりよければすべて良し” となるかどうか。
総理は、総理らしく、
先ず国家国民の事に愛を傾けて下さい。
お願いします。






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2012年6月23日土曜日

神戸駅 19時30分

 神戸に住んでいた千賀恒一、智恵子夫妻の家へ
電報が届いた。
____________________

ホンジツ ゴゴ七ジ三〇プンニ
コウベエキ ツーカシマス
スミマセンガ ナンデモヨイカラ
タベモノモッテキテイタダケマセンカ
ナワ ヨシミツ
____________________

名和吉光とは、智恵子の妹 日出子の夫である。
33才で召集兵にとられ、佐世保へ入隊したはずだが
19時30分の列車は下りである。
智恵子も恒一も、よく分からないけれど
おなかをすかしているらしい吉光の事がピンと来た。

夕飯用のご飯を全部梅干を入れておにぎりにした。
食事用に作ってあったおかずも全部弁当箱に詰め、
魔法瓶にみそ汁を入れ、
二人でさげて神戸駅に急いだ。
時間がない、間に合うかどうか。

ホームはすぐ分かった。
ギリギリについた所へ、窓を全部黒い幕で
見えなくしてある列車が、入って来た。
5両と6両の間に、吉光の手を振っている姿が
智恵子の目に入った。
「姉さんすんません。
木更津を出てから何も食べてなくて
ペコペコなんです。有難うございました。
この恩は生きて帰っていお返しします。
このハガキを投函して下さい。
こうしないと書けないので。」
と云って、一枚のハガキが吉光の手から
智恵子の手に渡された。
妻 日出子宛てのハガキであった。

停車の5分はすぐに過ぎて
汽車は、ホームから動き出した。
「ありがとうござんした。姉さん、兄さーん。」
という声が聞こえなくなっても
吉光が手を振っているのだけはうっすら分った。

吉光は、周囲の者に少し分け与えながら
涙をこぼした。
電話をかける事も出来ない。電報しかなかった。

投函する前に、智恵子はハガキを読んだ。

「神戸を通る事が分かったので、千賀へ電報を打って
食べ物を神戸駅まで 持ってきてもらった。
礼を云っておいてくれ。
熱海で温泉に入った。湯はたっぷりあって
とても気持ちが良かった。
帰ったら、日出子と子供5人を連れて
熱海の温泉に行こうと決めた。
何も食べ物がないんだ。腹がすいてどうにもならん・
年老いた両親と仲良くしてくれ。
子供達には、しっかり勉強させてやってくれ。
大学に行かせてやってくれ。
千賀の姉さんのおかげで、やっと腹の虫がおさまった。」

と書かれていた。
智恵子は、涙を流しながらこのハガキを
駅の中のポストへ 投函した。

恒一が云った。
「木更津からどこへ行くのか分からないが、
食べ物もないなんて、ヒドイゾー。
お上は、こんな事ご存知なんだろうか?
智恵子、この戦争は負けるぞ。
お前と美鈴(娘)は津田へでも疎開した方がいい。
神戸も空襲を受けるぞ。」
と云いながら、漬物とお茶で夕食を済ませた。

吉光は、どこへやられるのか、送られるのか全く知らない。
窓は、全部黒いカーテンがおりて外は何も見えない。
唯、陽の具合で西へ向かっている事だけは確かだ。
どこへ行くのだろうか?すべて軍事機密。

0歳から10歳までの5人の子供、60才を過ぎた老夫母、
そして、かけがえのない妻、日出子を残して
召集令に応じて自宅を出たのは、昭和18年11月。
吉光は、出征するその日の朝早く、
沖の魚の具合を 見に船を出した、一人で。

魚の具合よりも、生まれて33年毎日見て来たこの蟹甲湾。
そして、職場であった 仕事で毎日見つずけた雨瀧山と火山。
この姿を自分の目の中に焼き付け、
身体の中にこの潮風をたっぷりと入れておきたかったのだ。
自分は生きて帰る、必ず、必ず、と願いつつ
出征して行ったが、家を出たきり愛する家族のもとへは
終に帰れなかった。
フィリピンルソン島で、戦病死という報告があった。
戦病死、それは野たれ死に。

役場の担当者が、
「気の毒な家の人が戦死した。私は、よう伝えられない。」
と云って、夜になるまでもめていた。
そして、日出子の懇意にしている人が、
「私が行って、名和さんに話します。」
と云って、9時過ぎてやって来た。

思いもかけない訃報。
妻 日出子は、転げるように何時間も泣きに泣いた。
その時、すでに疎開して津田に来ていた姉 智恵子が
何時間も日出子の背中をなでながら泣いていた。

吉光にとって、母 ナカは一滴の涙もこぼさず
仏壇におひかりさんをあげ、
「ヨシミツ、ヨシミツ」と名前を呼び 続けていた。
父 延太郎は、腕組みをしたまま、吉光が帰って来たら
一緒に飲むんだと一流の銘酒を2本置いてあったのを
坪の内の庭の石にぶちつけて割ってしまった。
長女 智子は、母が死ぬかと思った。泣きすぎて。
父と最後に別れた時、「智子、しっかり勉強しろよ。」
と云われた言葉が聞こえて来た。

戦争は、悲劇以外の何者でもない。
智子は、このカタキはとってやると心に誓った。







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2012年6月16日土曜日

時は流れる 休みなく

私は、下駄と草履と精一杯、運動靴 で育った世代。
大人になって靴をはくのが難しかった。

いいと思っても、暫く履いているうちに、
小指や親指の先が、痛くなる。
アメリカへいった時、履いて行った靴が
足になじまなくて困ってしまい、
靴屋へ飛び込んで一足買った。

どちらかと云えば、ウォーキングシューズで
カッコウはよくなかったけれど、
足の指が伸ばせて、ほっとして一週間を過ごした。

アメリカで買った靴と自分では思っていたが、
実際は ”メイド イン コーリア”。
それでもウォーキングの時は、今でもそれを
履いている。10年間も。

元町へ行った時、「ドイツ靴店」というのを
裏通りで見つけて、入ってみたら、
私の足の形をとり、採寸も縦・横・高さ、と
非常に詳しく計ってくれて、
「右足が5mm短いので、靴底で調整しましょう。」と云われ、
3万円くらいだったか、足にピタッとくるようにしてくれて
履いているか、履いていないか分からない程、
私の足にフィットしている靴を出してくれた。

革靴だけど、実に軽い。疲れない。
私は1日10時間間位は履いているので、普通の靴だと
途中で一度脱いで、足を伸ばしたいという
気分になるのだが、そういう事の全くない靴に
出会って本当に嬉しかった。

季節が秋になる頃、再び、その靴屋へ行き、
次は黒を買った。
「お客さんが、今履いている方、
大分傷んでいるようですから修理しましょうか?」
と云われ、私は驚いた。
「直していただけるんですか?ぜひ、お願いいたします。」
と同時に「この靴、私の足に合っているので、
もう一足欲しいです。」と云ったら、
「一寸待って下さい。ドイツのメーカーが、この型は
もう作っていないのですが、うちの在庫を見てきましょう。」
と云って、奥へ引っ込み30分位経ってから、
「申し訳ないです。うちにも、もうないですね。
いや、似たタイプの靴を探しておきましょう。
それに、修理はいつまでも致しますから
心配しないで下さい。」と云った。
残念と思いつつ、その日は、新しい黒い靴を履いて帰った。

一週間くらい経った頃、「修理ができました。」という
電話があった。そして、私が取りに行ったのは
春の終わりの頃だった。
元町と云っても、そんなに遠くないけれど
その時間がとれず、月日が流れてしまった。

春の終わり頃、電話したら「はい、出来ております。どうぞ。」
という何のひっかかりもない、すんなりとした返事でほっとした。
そして、黒を又、修理に預け、白い靴を履いて帰った。
でも、修理だけの3か月前の支払いだけでは
申し訳ない気がして、新しいのを一足買おうと思って、
眺めていると、
「お客様、一寸計ってみましょう。」と云いながら、
物指しみたいな物、分度器みたいな物、定規  みたいな物で
あちこち計り、
「お客様、右の膝を悪くしていますね。
今買うと、今の体型に合わせると
直った時、合いませんから、右の膝をもう少し伸ばしてから
買っていただきます。」という返事。

今、不景気の中で、大型の小売店はともかくとして、
中小零細小売店は、必死・必死の時代。
そんな中で私は、この店の店員さんの態度に
実に、すがすがしいものを感じた。

一昔前ならともかく、この20年少々、平成になってからは
非常にどの小売店も苦しい。
極端な表現をすれば、ペテンに引っかけても、
売った者勝ちという時代になっている。
更に更に、値段を下げても ”売る” 事が至上命令。
客の事など、口先では色々言ってるけど、
本心は違う事かどうか、私の年令になれば分かってしまう。

この店の、この元町裏側の通りの中の
ドイツ靴店の素晴らしさを、
私は誰かに、否、みんなに話をしたい。

親の家業を継ぐのが当然みたいだった時代ではない。
親は親、そして、子は子の生き方と、
時の流れの速さに押し流されていきそうなこの時代に、
この靴屋の存在は、見事だと思った。

私も、商人。
そして、時の流れは、決して意のままにはならない。
そんな時代に、すごーくすがすがしい喜びを
私は、与えられた。





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2012年6月9日土曜日

厳しい夫に仕込まれた私

私は、55年間、本屋一筋の人生であった。
これからも、知力・気力・体力の許す限り
この小さな書店(40坪)を続けて行くつもりだ。

半世紀以上やった中で、未だ私が20歳代の、
開店して間もない頃だったと思う、
当時、あちこちにあった洋裁学校のなかのある学校へ
教材に使うからと云って、その学校の女の先生
(当時の私よりもずっと年上)が、
1冊¥3000の本を50冊買ってくれた。
「¥150,000-の代金は、生徒から集めて揃えて
お届けします。」という約束で、
私は、50冊の洋裁の本をスクーターに乗せて届けた。
「1週間位で集金出来ると思います。」と云われたので
10日間位経った頃、電話したら、
「未だ金額に達していないので、もう少し待って下さい。」
という返事だった。
そして、1ヶ月経っても音沙汰がないので
学校へ行って、生徒さんに聞いてみると
「全員、もうみんな支払っていますよ。」
という事なので、先生にお支払いをお願いしたら
「一寸待って下さい。」
という言葉のまま更に1ヶ月経っても支払いがない。

納品してから、3ヶ月以上経った頃、
夫が「これはおかしい。簡易裁判所へ提訴しよう。」
と云った。そして、私にその手続きの方法を
裁判所へ行って聞いて来いと、命じた。

夫は、中央大学の法学部卒のバリバリの法律屋なのに
知識のない私がなぜ?と思い、夫に聞いた。
「貴方は専門家。私のように知識も経験もない者が
法廷に出たら負けるかも分からない。」と私は云った。

すると、明日出廷という前夜、
「一寸来い。俺が今から云うからメモして頭に入れろ。」
という前段階があって、
1、 こう云われたら、こう返事をしろ。
2、 こう云われたら、返事をせずに黙っていろ。
3、 又、こういう質問が来たら、こう答えろ。
以下、15項目位を私にメモをとらせて
「それで、大きい声でしっかりと答えるように。」 

私は、胸がドキドキしてきた。
上手く答えられるだろうか?
20歳代後半の若い未経験の女に出来るだろうか?
とても とても 心配だった。
しかし、当たって砕けろだ!やってみよう!
と自分に云い聞かせ、決められた時間に法廷に出た。

左に判事?向う側に洋裁学校の先生。そして、相対して私。
私は、その頃には、もう度胸が据わって来た。
具体的な言葉は、ほとんど忘れたが、
私は、必死で大きくゆっくりとした声で全部答えた。
最後に判事の方から、
「この法廷にかかった費用は、どちらが持ちますか?
折半ですか?」と云われたので、私はすぐに立ち上がった。
「問題を作ったのはそちらです。
勿論、費用はそちら側で全額負担すべきです!」
と私は、これは主人のメモの中には含まれていなかったが
はっきりと答えた。
「分かりました。それでは、○○洋裁学校は、
品代金と費用を支払って下さい。」

これで終わり、無事代金は返って来た。
さて、帰宅の準備をして法廷を出て来たら
「君は、なかなか声は通るし、意味も明瞭だし、よく出来た。」
という夫の声がする。
見れば、夫は傍聴席で一部始終、全部見ていたらしい。

私の夫は、手も早いし、口論は絶対に負ける。

私の父親は、(昭和20年6月、フィリピンのルソン島で野たれ死に)
召集兵だったのに戦病死とされ、白木の箱の中には、
『○○○○の霊』と書いた紙切れが一枚、入っていただけ。

5人の私達妹弟が無事育ったのはひとえに、祖父母のおかげだった 。
その祖父が亡くなった時も、
初孫で可愛がってもらった祖母が亡くなった時も、
「お葬式に行かなくてよい、行くな。」
という事で、私は参列出来なかった。

年をとる毎に、祖父・祖母の事 が思い出されて
何度、私は離婚しようかと思ったか分からない。
しかし、なぜか理由ははっきりと分からないが、
私は、36年間頑張った。
夫亡き後、私は、夫の意志 として、商売の道を歩み続けた。


そして今回、ある船食会社が、船から預かってきた代金を
当方へ送金せず、もう4カ月目に入った。
相手の住所が名古屋なので、私は、準備をして
名古屋の裁判所へ控訴しようと考えた。
実行に移る直前、船会社が間に立って入って下さって、
代替払を親切にやっていただけたので、
私は、名古屋へ行かずに済んだが。

今回、厳しかった夫に従って来たのは、
私を伸ばすためだったんだと、はっきり自覚した。
夫もそのつもりだったのだろう。
愛情の示し方が変わっているし不器用なので
私は、非常に苦しんだ。
しかし、今、亡き夫のお仏壇の前に座って、
お線香のたちのぼる煙を眺めながら、
「貴方、ありがとう。これからも助けて下さい。」
と祈った。

でも、事はこれだけではない。
これは、ほんの一例。 






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2012年6月5日火曜日

『特集号』野田総理、貴方は消費税を上げる為に総理になったのですか?

 シンガポール元首相リーク・アンユー氏が来日して
云われた言葉の
「日本の政治に関しては、首相が頻繁に交代するのが
理解できない。指導者が実績を築き、
国民から信頼を獲得するには1~2年かかる。
本当に仕事を実行できるのはその次だ。
経済や社会の変化は、急いで出来るものではない。
政治指導者に必要な条件とは、
第1に、強いカリスマ性。
第2にそのカリスマ性を示す時間。
そして、第3に、国民の信頼だ。」と云って帰った。

私は、野田総理に合わせてみた。
全部ない。残念ながら。

野田総理は、財務省のエライ方の云われる通り
消費税アップに明けくれ、
消費税アップに消えてゆくだろう。
日本は、消費税だけでなく、
社会保険とかその他にもとられるものが多すぎる。
北欧とは訳が違う。

そして、零細企業は、死んでしまえと云わぬばかりのやり方だ。
野田総理、それでも貴方は国民を愛していると云えますか?
私から見れば、国民の事より、何より自分がかわいいんです。
その為になら、国民の事は頭の中にない。
景気は、ますます悪化しているのに、
この時期に何故、国民、特に零細企業に冷たく当たるのですか?

消費税を上げたら、国民生活がどうなるか
1分でも考えた事がありますか?
消費税以外の事を考えた事がありますか?
貴方の給料、全部投げますか?

零細企業の経営者は、先ずそれに近い状況です。
 ”昔、野田総理というのがいたけど、
  消費税アップに全総力を打ち込んで終わったなー。”
と云われる為にやっているのですか?
ツギハギ政治は止めて下さい!
シンガポールの元首相の言葉、
一国のリーダーには、カリスマ性が必要です。
こんなに毎日毎日、死んだ・殺したの事件がいっぱいで
景気は下がる一方・・・。

野田総理、財務省の事より、国民に愛を注いで下さい!







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2012年6月2日土曜日

景気雇用は休みが増える事ではない!

政府は、春のゴールデンウィークのような形を
秋にも作ると云う事があるらしい。
「私は、ゴールデンウィークが大嫌い 」 と
3~4週間前に書いた。
現在、祝日は16日もあるので
”海の日” ”敬老の日” ”体育の日”を秋に持ってきて
間に挟んで一週間 丸丸休日に 持って行くとか。

○○の日という意味は、全く無く、何でもよいから
連休を作って遊びに行き易いようにするという。
遊ぶ事、それは結構です。
しかし、この恩恵にあずかれるのは
サラリーマン、特に大企業の月給取りのみ。

世の中には、土・日だって休めない仕事の人が大勢いる。
なぜか?零細自営業の人達は、どんな連休があっても
休む事は出来ない。休めば売上がなくなる。
かといって、開店しても人は旅行に出てしまって
常連さんすらやって来てくれないのが現状である。
そして、旅行でお金を使ってしまって、
ゴールデンウィークの後は、グンと売上が落ちるのが
毎年の事である。

大体、考えてみて下さい!
お彼岸にしろ、お盆にしろ、ちゃんと意味があって
それなりの行事をする。
新しく出来た休日は、意味もなく、
唯 休み!
祝日と云っても国旗ひとつ立てるでなし、何もしない。
唯 休むだけ!

こんな事で国は栄えますか?

遊んでお金を全部使って、景気をよくする。実に虚しい。
景気をよくする方法は、他にも沢山ある。しないだけ。 


大学生は、3年生くらいになると就活を始める。
パソコンを駆使して、会社を調べ、
パソコンを使って申し込む。
それはそれで結構な事だけど、
自分で企業を起こすという人間は非常に少ない。
お金も無し、自信もない。親も許さない。
大企業にオンブにダッコしていれば先は安泰。
それで、必死に企業をあさりまくる。

でも、一寸考えてみて下さい。
国が、栄える基盤を作った。
明治維新、そして、太平洋戦争後の昭和維新。
いずれの時もみんな必死で業を立ち上げた。
企業とまでは行かなくとも、町工場なり、農業、
漁業とありとあらゆる業界が、
競って業を立ち上げた。


皆様もご存じのように、三代目・四代目なると
半分サラリーマンになってしまうのか、
血が薄くなるのか、初代のような意気込みは
失せてくる。
 売家と唐用で稼ぐ三代目 になってしまう!
企業家精神が希薄になってしまって、
頭も体も、強さを失っている。

私は、本当に日本の景気をよくしようと思うのなら
日本方式で生きる人間を増やす事だと思います。
今は、世界戦争時代です。
日本の円が、動くのも、ヨーロッパ・ 米国という
果てしなく遠い所に各国がある。
私は、いつも直径50cmくらいの地球儀を眺めている。
全く名前すら知らない国の騒動が、日本の円を上げ下げする。
一体どこだろうと思って地球儀で探す。
世界地図では、平面なので、あまり実感がわかないから。

でも今は、個人企業の大変難しい時代。
チェーン展開してゆくから、
 店員の真心がない。 
 お隣同士の親しみがない。
唯、出来るだけ売上を上げる事しか考えてない。


今は、国全体に心情というものが消え失せている。
総理からして、吉田茂のようなガムシャラな力量がない。
自分の時代に、これをやったという 実績を残したいだけ。
丸見えです。
何が生命をかけてやっているんですか!
国民は見抜いています。知らないのは本人のみ。
企業を立ち上げる難しさは分かります。
しかし、いつだってその困難は
多かれ少なかれ あったはず。
それでも飛び込んでやってみようと思う人が非常に少ない。 

零細企業だって、それなりの存在価値があります。
店でも大きい店ばかりではダメ。
 情が薄い。
 心がない。
そうでしょう。経営者 とか云って、店頭ではなく、
奥の社長室で仕事をしているんですもの。
おなじみさんなんて出来るはずもない。
企画にはまった人間ばかりに
遊びの時間をいくら作っても景気はよくなりません。

景気を悪くしているのは、他にも理由もあるけど
月給取り(国・大企業の)が多すぎるからなんです。
この上、消費税を上げてみなさい。
混乱するばかりで、景気は悪化します。
○○手当もよいけれど、もっと国民に
    愛を授けて下さい。



 



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