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2013年11月20日水曜日

人間も成長して花を咲かせて散ってゆくもの

人生とはかくも厳しく、
そしてかくも楽しいものだろうか。
80年生きてみて何人の人に会うと別れを
繰り返した事だろうか。
どの人もどの人も私の心の中には
永遠に生きている。

子供の頃は家族が中心。
私は、父・母・祖父母にも恵まれ
一緒に寝ていた祖母からは
沢山の昔話を聞かせてもらった。
そして、第2次世界大戦が始まり、
日本は負け戦であるのに
真実を国民は知らず
唯々うろたえるばかりだった。

そして私は、小学校3年の時
父(33才になり子供が5人もいる)を
召集兵として高松のサンバシで見送り
終に父は2度と再び我が家へ
帰る事はなかった。

女学校1年の夏の夜中に
役場の人が知らせに来た。
我が家はそれから津波が来たような
大騒ぎになった。
戦病死となっていたが
それらは皆野垂れ死にだと
多くの人から教わった。

私は、とにかく学力をつけ
日本の国内でナンバーワンの
活躍をする事に目標をおいた。
しかし、重い通りに進まないのが事の常
なんとかして自力で京大へ入学するべく
計画を立て実践に移しつつある時
亡き夫を紹介され
素晴らしく立派な家の三男だし
私の好きなタイプであったこと
その上話が実に明快で
「東京へ来ればいくらでもある。
大学に行かせるから結婚しよう。」
と云われ、私もそれを真にとって
結婚に踏み切った。

失敗だったと気が付いた時にも
私の優柔不断の性格から
もう少し頑張ろう、もう少し頑張ろうと
思いつつ30年余年が過ぎ
3年目に男の子供を一人産んだ。
子供は無性にかわいい。
「これママが作ってくれた服だから
汚しちゃいかん。」と
周りの者に云い張っているのを聞くと
母性本能はフルにいっぱい。
この子がいる限り私は幸せだと思った。

大学を卒業すると次は結婚。
私の周りにも50才前後で独身の男は
沢山いるが、それはやはり不安定。
息子は結婚を帝国ホテルで式を挙げ
披露宴も行った。

そして、もう25年余。
確かに申し分なき条件である。
その中でなにが私を苦しめるのか。
自分でもよく分からない。
唯一つ云える事は、
息子は私の息子であり
結婚した女性の夫である。
それが真実であることを忘れては
いけなかった。

つまり、私は夫を亡くした時
完全孤独になったんだ。
それを充分に頭に叩き込んでなかった事が
今、私の苦しみとなって私の体全体に
浸み渡った。
しかし、私も未だ残された仕事がある。
私の生き様を書く事である。
どうか、どうか、私の心に安らぎと安心が
訪れますように、神様守って下さい。
お願い申し上げます。

人間はその年になってみないと
その時の気力、体力は想像できない。
私も80才代に入って体力の低下、
気力の衰えを初めて知った。
こうして次から次へと
人間の心は成長したり
枯れ落ちるようになってゆくのだと
しみじみよく分かりました。


 



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2013年11月2日土曜日

溺れてはいけない。がんばれ、がんばれ!

何十年振りだろうか。
私の地元の伊勢佐木町通りで
道端のベンチに腰掛けて小一時間眺めていた。
金曜日だったのに人通りは先ず先ずの様子。

かつて、50年前デパート4つ。
映画の封切り館が、松竹・東宝・新東宝・東映・日活と
全部そろっていて、私は観たい映画の時間を
調べてそのひとつの映画だけ観て
走って帰っていた時代、を心の中に思い出しながら
半世紀経った今、映画館0、デパート0。

そして出来たのが壮大なパチンコ、ゲーム屋が
10軒以上も大きな店舗も興業も占めている。
夜になると、光をまじえて美しい景観になっている。
男も女もサラリーマンも主婦もどんどん入って行く。
パチンコゲームにも新製品があるらしく
[○○入荷、本日よりお使いいただけます]
と大きく宣伝している。

ゲームは私は未経験。
パチンコは20代の時、夫が入って行くので
私も最低の玉を買い、ポツリポツリと
レバーを押していると、時々ザーッと
沢山の玉が出て来る。
ポツリポツリとしかやれない機械の時代だった。
そして、若い女性など一人もいなかった。

あの当時、たまったら横から夫の手が伸びてきて
全部玉を持ってゆく。
私は又、ポツリポツリとやりながら時間をかせいだ。
又、ザーッと出てる。そして、ザーッと出てくる。
すると夫の手がその玉を全部持ってゆく。
そんな遊び心でも商売出来た。
横須賀SATOH BOOKSTOR時代 。

それでも人件費0。
家賃は額は覚えてないが
旅館の軒先半間足らずの店だから
大した事はなかった。
私達夫婦も映画を観るか、
逗子の浜でボート漕ぎをするか。
お金のかかる事は何もなかった。

それで当時は千円札時代だったが、
紙の箱の中に千円札が盛り上がる程
本は売れた。
私は20才、夫は25才。
未だ何も分からず何も知らず
商売とはこんなに楽しいのものかと思った。

私の英語がアメリカのセーラーに通じなくて
何度夫から殴られた事か。
そこで私は近くの英語塾へ通い、3カ月位通うと
アメリカ兵なまりも聞き分けられるようになり
夫にぶん殴られる回数は減った。

私の夫の男兄弟4人は、妻をぶん殴るなんて
普通の事に思っている家庭。
みんな長男の指揮の元、
地元香川では有名な家であったので
私の夫も特別な事とは思っていなかったようだ。

そんな苦しい思いをしても別れようとは
思いもせず、それより何度か死のうかとは考えた。
私は専業主婦は一回もした事がない。
今でも娘のようなお手伝いさんに
週一回来てもらって80才の私は様々な事を
教わっている。
不思議な不思議な光景だ。

専業主婦、一寸憧れるな。
でもいやいや私にはしなくてはならない事がある。

伊勢佐木町通りも半世紀前のような
美しい光景は全くなくなった。
時の流れは早い早い。
特に最近は、滝のような流れになった。
さあ、私はどうするべきか?













 『イセザキ書房通信 Vol.17』
店内レジの横あたりに置いてあります。
ご自由にお持ち帰りください!





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2013年10月26日土曜日

人間が生きるひとつの形

私は及ばずながら80年という時間を生きた。
決して短い時間ではないが
今思い返すと、あっという間であったように思ったり
随分長い月日であったようにも思う。

20才までは香川県の瀬戸内海の湾の穏やかな町で育った。
京大の法学部へ行こうと計画していたが
当時の我が家の一番の権力者祖母が
「女の子一人で都会に出て暮らすなんて絶対許さん。」と云われ
何とかしようと試行錯誤している時に私の亡き夫に出会い
理路整然と話す言葉、質問に何か新鮮に思われ
彼は5・6人の女性と同時期に見合いをして
夫はひとりひとり点数をつけ評価して私を選んだらしい。

私は父をフィリピンで召集兵として野垂れ死にさせられ
我が家は家の中心を失ってしまい母も悲劇、
5人の子供達は祖父母と母に育てられた。
「東京に来れば大学はいくらでもある。
落ち着いて受験すればよい。」
なんていう亡き夫の言葉にのせられて東海道をのぼって来た。

結婚してみると、家庭というより
商売の為の先輩後輩という形になってしまい
何度叱られ殴られたことか。
そういう教育の中で、私は38年間
夫という厳しい教師から様々な事を教えられた。
年令は5才しか違わないのに絶対反論できない。
論法にいつも私は負けてこっそり泣いた。
そして、夜寝る前に私なりの意見をノートに書いて
夫の枕元に置く事にした。

朝起きるとそれを読んでくれる。
そうすると私の意見も冷静に受け止めてくれるようになった。
そんなメモ用紙がダンボール3箱にいっぱいあったのを
家を建て道具を片付ける時
誰かに不要なものと思われ捨ててしまわれた。
貴重な記録だったのに、とても悲しい。
ビルを建築する時は、スタートの段階から
毎日毎日しっかりしたノートにあらゆる事を記録し残してある。

80才にもなると教えを請おうとする。
先輩の人達はもうみんな亡くなってしまった。当然の事だけど。
ひとりひとり私を助けてくれた人達の事を思い出し
あの方だったらどういうだろうか?
と困った時には私の頭の中で考えてみる。
どの方もみんな私よりはずっと優れていた方ばかり。

そして今は、新しい様々な道具(というべきか)や
考え方を大学生のような若い人達に私は今は学ぼうとしている。
でも人間は生きた時代の汗や涙は忘れられず
前進するのが難しい。

しかし、私はもうひとつ残る時間で完成したいと考えている事がある。
私に運があれば神様も助けてくれる事を信じて・・・。

 









読書の秋です。
ぜひお気に入りの一冊を
当店で見つけて下さい!



























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2013年10月5日土曜日

もうあと何が残っているだろう

山崎豊子氏が亡くなった。
週刊新潮に連載が始まったばかりだったのに。
「あ、又、壮大なドラマが読める。」
嬉しいと感じたばかり。
この作家のものは大作ばかりで
生きている者に大いなる生きる力を与えてくれた。
私はドラマ化された面もあるけれど
『大地の子』には感動した。
あの主人公のような人は沢山いたと思う。
本当の父と育ててくれた父母。
右旋か左旋か非常に難しい。
そして「自分は誰の子でもない。大地の子だ。」
と読んだ時は、私は涙をこぼし
「そうか、そういう結論を出したか。」
と作者に偉大なもの強く感じた。

著者88才になっている事は全く忘れていた。
女優じゃないから、顔姿を観る事はない。
ただただ一作一作私の一番人生の中で
のっている時代に私に作品を贈ってもらった。
年令の事は全く心の隅にもなかった。
88才のその女性が死の直前まで
ペンを握っていたという事にも
私は表現しようもない感動をいただいた。
私は、私自身も含めて己の信ずる道の中で
バッタリ倒れて死ぬという事は
素晴らしい事だと今でも思っている。
私もそうありたいとずーっと前から考えていた。

もう一人40年前(昭和39年)、
日本であったオリンピックの中で
日本人に感動と感激を与えたバレーボール。
大松監督の考え出した回転レシーブ。
私は真似も出来ないが
非常にハードな戦いの中の体の使い方。
その人達をリードしてきた○○さんが
亡くなったという事。
そして80才であったという事。
私も同じ年令生きてきたのに
この人間的な価値の違いに私はおののいた。

人間として生まれてきて
生かされながら何という差だろう。
そんな事は考える事ではないかも
分からないけど同じ80年という時間を生きて
この大差、とても恥ずかしいと思う。

人間の生命は有限である。
80才という時期は死ぬという事を
常に忘れずに物事を運ばねばならない。
私は息子一人しか生まなかった事を
息子に対して申し訳けなく思っている。
私は5人妹弟。
いざとういう時には血は血を呼ぶ、頼りになる。
私の息子は兄弟姉妹の愛も知る事が出来ず。
かわいそうだったと今胸が痛む。

しかしそれはそれなりに頑張ってもらう。
今さらどうする事も出来ない。
自分の事しか考えない政治家の政筆など
当てにせず自分の力で残る時間を
世の為人の為、そして自分の為に
しっかりと大地を踏みしめて行こうと決意する。






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2013年9月7日土曜日

年令を重ねても死ぬまで生産者側に立って行こう

私が40才になった直後、
熱海だったか箱根だったかその辺りへ仲良し4人組で
2ヶ月に1回位、1泊旅行をしていた。
大阪・神戸・鎌倉・横浜と離れていたが
中に1人、非常にこういう計画の上手い人がいて
私達もいつもリードされてあちこちよく行った。

ある時、旅館の食事を運んでくれた
もう60才過ぎ位の従業員が食事を並べながら
「皆さん同級生ね、どうだろう40の峠を越した頃
じゃないかしら。」
商売柄とは云え、ぴったり当っているので驚いた。
そして、彼女は云った。
「人生の中で40才代は、一番いいですね。
何でも出来る。世の中面白い40才代は最高ですよ。」
4人で顔を見合わせ、「本当?」という顔だった。

それからも何回も何回も近くの温泉に出かけた。
一番面倒見の良かった神戸の友達が
乳癌で4年前に亡くなった。
それからリーダー不在でなかなか実現しなかった。
時は流れて80才になった今、
この旅館の人の言葉は胸の中にジーンと来る事が
度々ある。

確かに、30代の終わりから50代に入るまで
この10年余りは、思い出してみると
よかったなーと思う事がいっぱいある。
本も2日に一冊くらい、仕事を持ちながらも読んで来た。
その一冊一冊が私の血や肉を作っている
みたいな気さえする。

映画も沢山観た。
封切り館が歩いて10分位の所に
全部あったので、店の番を頼んで
始まる時間にパパッと行き見終わったらすぐに帰る。
(留守にしていて亭主に一発やられるのが
怖かったから)
だから、スターの名前も全部覚えていた。

それからヨガの教室へ通い始めた。
頭痛持ちだった私が以来、熱が出ても
頭痛はしない。
体も健康そのものだった。
商売の方も好調だった。
亭主に叱られても殴られても腹は立つけど
あの人はああいう人だと心の中に残さなかった。

70才代の終わり頃、腰痛で背中の手術をしてから
私も老人だと意識する事が度々。
次々に新しい本が送られて来て
ベストセラーになったりしても
私の心に感銘を残している本は
思えば全部40才代前半に読んだもの。

時代の変化の速い中で
今は先生に学ぶ事より、後生の大学生他
20代・30代の人達に学ぶ事が多くなった。
私は貪欲な人間だから、生きている間は
最先端を歩きたいと思っているが、
今はとても、とても難しい。

若い方に申し上げます。
40才代前半が勝負時です。
私も戻りたい。せめて45才位までに。
年令は仕方がない、内容を充実させたい。
生きてる間は、ささやかな本屋だけど
お客様に一人でも多く足を運んでもらえるように
私は断じて努力をする。
老人が増えてもその人の人生が
生産者側に立つ事が出来るのは素敵なことだと思う。







 『イセザキ書房TV⑤』
今回は、消費税について語っております。
ぜひ、ご覧下さい!




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2013年8月24日土曜日

庶民の大半は苦しんでいる

昨年あたりから、ボツボツ昭和時代の歴史についての
本が出始めた。
大きな老舗雑誌の記事にも掲載され始めた。

私は父を第二次世界大戦で
戦病死という事になっている死なせ方をさせられたので
父の仇を打ちたくて一生懸命本を探した。
明治維新までは立派な文章で書かれているが
その後は書ける人はいなかったのか
書いても売れないと思ったのかほとんどなかった。
ボツボツ出始めてはいるが、直接体験した人は
もういない。
みんな遺族を訪ねたり、その時の様子から
察して書いている。
それでも私は見つかり次第読んだ。

①『昭和史の大河を往く 第1集
  「靖国」という悩み』
 保坂正康 著
 毎日新聞社



















 ②『昭和の大河を往く 第2集
  開戦、東条英機が泣いた』
  保坂正康 著
  毎日新聞社



















③『戦艦大和 最後の証言』
  久山忍 著
 産経新聞出版



















私はこれからも次々読んでゆくつもりだ。
色々複雑な絡まりが沢山あった事はあったらしい。
昭和20年代は、一にも二にも国を立て直す事に
日本人は夢中になった。
だから、みんな必死で働いた。
おかげで食べられるようになり、住む所も出来、
着るものもどんどん新しいものが作られる。
そんな中で高度成長時代を謳歌した。

その初頭の頃、私は社会へ出た。
結婚相手は商人がよいとあまり時代を読めない母。
いやこれからはもうサラリーマン時代だよという
おじの言葉。
そんな時、出会った亡き夫。
タイプとしては好ましかった。
そして、話す事か実に整然としていて
こういう人と生きてゆけば幸だろうなと思った。
しかし、結婚してみると性格的に自分本位、自分中心。
妻は命令に全て従わさせられ、
私は何度離婚を考えた事か。
その夫は61才(その10年位前から体調が悪く
非常に自分勝手な生活をした)で
食道癌で亡くなった。

小さな店を続けるか止めるか考えた。
思えばこれからは私の自由の時代になったんだと思うと
どうせ私も59才。
今から出直す方法もない。
商売は嫌いではない、よし、やってみよう。
と以後は私の考えで事を進めた。
その時、ハタと気付いた。
夫は厳しい人だったけど、
新しい事を生みだす、考え出す事には秀でていたので
小さい店でもひとつひとつ新しいアイデアで事を進めて来た。
私は、唯云われる通り働いてきただけだったと気付いた。
夫の書いてあったメモを集めて読んだり、
本を読む時間も出来た。

そして、もう高度経済成長は終わった。
零細企業の苦しい時期に入った。
政治をする方々はこの苦しみは分からないと思う。
デフレをインフレにする。
私の頭ではよく分からない。
インフレに苦しめられた時の事が忘れられない。
人口が減るから女性も働き手として参加すべし。
それも分かるけど、女性が出て来過ぎると
これ又マイナス面が必ず出てくる。
女性の上司に仕える男性の気持ちはどうだろう。
私は総体的に能力は女性より男性の方が
優れていると思っている。すべての面で。

又、女性は子育てという仕事は絶対欠かせない。
男性がやっても悪くないが、
感性の問題があるので母親が一番。
5・6才までは母の肌に支えられて育てた方が
人間的にベターだと私は思っている。

そうして考えてゆくと昔の日本の大家族主義は
反面非常に合理的だったと思う。
もうそこへ戻れないだろうけど、
姑、姑の教えというのも悪い所ばかりではない。

とにかく政治も大変だろうけど国民一人一人、
恵まれない人がどんどん増えている事も事実。
どうすればこの現実を政治家に分かってもらえるだろうか。





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2013年7月20日土曜日

憲法96条の改正は反対です


私は先週も書きましたが、33歳にもなって
10才以下の子供が5人もいる男にも
召集令状がきて、海軍に入隊させられ
最終的にフィリピンの負け戦の中で
戦病死(野たれ死にだと思います)
してしまった私の父。

私は、父の仇は一体誰だろうと
ずーっと本を探りながら探しました。
どの日本史の本も明治維新までは
詳しく書いてあります。
大正は短かったせいもありほとんどなし。
そして、昭和はポンと戦後になります。
大正の終わりから昭和20年の敗戦までは
何もありません。

そう思いつつも、第2次世界大戦が
なければ私の父は34か35才で
訳の分からぬ死に方はしなかったはずです。
一生懸命探していたら、ありました。ありました。

『「昭和史の大河を行く」第2巻
      ~開戦、東条英機が泣いた~』

発行は毎日新聞社で
3年余りしかたっていません。
著者は保坂正康。

第1巻は
『「昭和史の大河を行く」
      ~靖国という悩み~』

これは私は、未だ入手しておりませんが
来月には何とかなると思っております。

明治維新の事は詳しく書かれ、
一寸考えのある日本人なら
みんな様々の事を知っております。
ところが、昭和時代はなぜか敗戦まで
何もありません。

東条英機という名前は
私は昭和8年生まれですから
子供の時代ながら毎日毎日聞いた名前です。
すでに日支事変は始まっていました。
それを片付ける事もせず、
日・独・伊、三国同盟を結び
米英を相手に昭和の初めから
様々な事情があったにせよ、
米英を相手にして勝てると思っていたのだろうか。
あまりにも他国の事情を知らなすぎだと思います。

日清、日露に勝利をおさめたという事で
自国の力を冷静に観る事が出来なくなった
軍部だったんだと思います。
そして、軍部は国会官邸と権力闘争が
どんどん大きくなりました。
国会議員も軍に不利な事を云おうものなら
命が危ないというような側面もあり、
もうその力の勢いはとどまる事を知らず
大きくなってゆくばかりでした。
元老の西園寺公希は、首相奏請の役を
務めていたが、この広田内閣を以って
その役目を実質的に辞めております。

こうして、国会の周辺からは
次第に気骨が消えていった。
軍服姿の将兵たちが闊歩する時代に
変わって行った。

私は、当時の時代の歴史を
説明しているのではありません。
昭和初期は、軍がどんどん大きくなり
昭和天皇でさえ御心配をなさるまでに
軍の力は大きくなってしまったのです。

現総理は、≪憲法改正≫という事を
云い出しましたが、国会の反発が大きかったので
今選挙中は云わないつもりらしい。
私は、血は争えないなと思いつつ、
この文章を書いております。
現総理は、岸信介の孫にあたる方ですね。
この辺になってくると
大分身近になるので、年令の高い方々は
思い出す事があろうと思います。

私は今思います。
大きな犠牲を払ったけど
太平洋戦争に負けて
本当によかったと思っています。
絶対にないけれど、もし勝っていたら
今頃日本人はどういう事になっていたでしょう。

色々問題は残っていますが、
又、本当の民主主義国家かどうかも一寸?ですが、
少なくとも軍の力まかせにしていたら
こんなに60年余も平和が続いたかどうか分かりません。

太平洋の周囲をぐるりと
支配しようとしたんでしょうが、
当時も現在もそんな力は
日本にはないと私は思っています。
国民に犠牲をしっかり払わせて大国になるより、
国民一人一人がみんな元気に幸に
生きる方が、私は素晴らしいと
思っています。
人生なんて短いものです。
自衛隊は、装備を万全にして力をつけておく必要は
あると思います。
あくまで自衛隊です。

この件以外については
私は勉強不足ではっきりと申し上げられません。
もっと勉強しなくてはいけないと痛感しています。


八十という 年令(とし)重ねても
      学ぶ事 次から次へと 
               両手(もろて)にいっぱい





















  





『イセザキ書房TV③』 



YouTubeで過去の動画をすべて観る事ができます。
よろしくお願いいたします。











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2013年6月22日土曜日

教えて下さい、お分かりの方。

実家の弟に電話をした。
「確か、父に命日は6月だと思うが、何日か。
仏壇のおいわいさんの裏を見て教えて。」
弟の返事は「昭和20年6月8日、フィリピンにて戦病死
と書いてある。」と云った。

何が戦病死だ。
木更津から佐世保まで汽車で移動した時にも
食べ物も飲み水ひとつなかったではないか。

父は神戸の義姉に電話を打った。
「神戸駅に00時00分に着く。5分停車する。
何でもいいから食べ物を持ってきてほしい。」と。
電報を受け取った叔母夫婦は、すぐに事情をよみとって
残ったご飯を全部おにぎりにして、
おかずもあるだけの物を全部詰め込んで、
急いで届けた。
デッキの所で、父上は手を振って待っていたのですね。
そして、葉書を一枚渡した。
「これだして下さい。」
神戸の叔母は葉書を読んだ。
「熱海の温泉に入った。
お湯は沢山あって、気持ち良かったが、
食べる物は何もなかった。
今度帰ったら、日出子と5人の子供を連れて
熱海の温泉に行こうと決めた。」という一節があった。
父上、その日を母も私達妹弟も待っていました。

軍隊はドンドン召集して集め、
唯、南の島へドンドン送った。戦具もなし。
食べ物も飲み物もなし。
ミミズでも小さな虫でも何でも食べたそうですね。
一体、この指揮をとったのはどこの誰だ?
私は命あるかぎり探し出そうと決心した。
でも、その指揮官の上にいたのは誰か?
それが難しい、もう生きていないだろう。
くやしい。

日本の国力で、大東亜共和圏等と云って
出来ると思っていたのだろうか。
デビ夫人は、この言葉をスカルノ大統領から
聞いたと随分昔の雑誌に書いていた。
日本の野心は、アジアの中にも
拡がっていたものと思う。

もう時代は一世紀も過ぎ、
地球は大きく変わっているが、
日本の企業は、アジアの至る所に工場を
作り、店舗を作り続けている。

総理殿。
憲法は変えるのですか?
軍隊を作り、、徴兵制度を作るのですか?
そういうものを作ると、必ずそこに総理として
力のおえない権力が生まれます。
私はこれが怖いのです。
人間はみんな貪欲の固まりだから
どこへ行っても権力を持ちたがる。
これが人間だという事を忘れないで下さい。
議員数の一増五減はやっと出来そうですが、
一体、何ヶ月かかっているのですか?
私は、議員数も半分位に減らすべきだと思います。
何もしていない人もいっぱいいるように見えます。
しかし、これの出来る総理は
今の日本にいるでしょうか。

静かにじっと眺めていると
少しずつ、少しずつ、国民から巻き上げるものが
増えています。
金持ちには何でもないかも分かりませんが、
世の中金持ちは、極く一握り。
普通の人間が、努力を重ねながら
普通に生きてゆける国にして下さい。

そして、日本国内の道徳の乱れ方、
生き方の浅ましさは、説明できない程あります。
「商店街では、バッグは道路側でなく、
店側に持つように」
ひったくりに会うからです。
銀行のキャッシュを出そうとすると画面に必ず
「この引き出金しは間違いないか」
という文章が必ず出て来ます。
キャッシュを目指して堂々と人の金を
巻き上げる術です。
私の店では、一度こんな事がありました。
電話があって、「図書カードを10万円分買いたいので
準備しておいてくれ。」
「10万円はありませんが、7万円ならあります。」と答えたら
「じゃあ7万円でいいから準備しておいてほしい。」
電話があって何分もしないうちに
30代前半の普通の男が表われ
「さっき電話した図書カードを買いに来た。」と云って
銀行名入りの封筒をカウンターの上に置き、
私共の店員は、7万円の図書カードを同じように
カウンターに置きました。
置くや否やすぐとって店を出た。
そして、銀行名の入った封筒を開けてみると
金は一枚も入ってない。
すぐに追っかけたが、車で逃げてしまった。
警察へ電話したが、一寸の差でその図書カードは
換金されて人物は行方不明。
まんまと容易く7万円とられました。
本の万引きもありますが、
7万円も売価になる程というのは、至難の業です。

こういう事は、学校教育云々の問題でなく、
強いて云えば親の育て方にも起因すると思います。
国家国民のことは  爪の垢程も持ち合わせていない若者や
そして、中年も含めて日本には多すぎます。

ところで、アベノミクスはどうなっているんですか
株が上がり下がりしただけで
儲けた人もいるかも分かりません。
しかし、私には無関係です。
私は、商人ですから利益を出さねばなりません。
アベノミクスを始めてから少しもよい事はありません。
2%のインフレとか云いますが、
現在60才以下の方はインフレの怖さを知らないのです。

インフレの怖さ、戦争の恐ろしさを知っている
最低年令が私の年代だと思います。
総理もお若いから体験はないと思います。
2%でピチッと止まるインフレなんてあるんでしょうか?
その辺が私には今ひとつ分かりません。
聞きたい人はみんな死んでしまい、
誰か分かる方、教えて下さい。






 『イセザキ書房TV②』
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2013年6月1日土曜日

私は幸せでした

私が成人して、80才になるまでの約60年間、
ほとんど働く時間でありました。
決して生易しい生活ではありませんでした。
特に、横浜に出てきて、
昭和31年にイセザキ書房を開店してから
20年間位は先ず順調に生きてまいりましたが、
昭和の時代が終わり、平成になってからは
次々に新しい仕組みがあらゆる分野に
出てきて、零細書店も一日一日苦しい道を
歩まなくてはなりませんでした。

色々な人々にお世話になったり、
協力したりしていただきながらも
前進しているという実感が薄れてまいりました。
私自身も年齢を重ね、楽しい毎日では
なくなりました。

だけど、だけど、私はとても幸せだったと
今、思います。
それは60年間、戦争がなかった事です。
日本に関わる戦争がなかった事です。
苦しい道は色々あるけど、
戦争ほど酷いものはありません。

60才以下の方には理解が難しいと思いますが、
空襲の中で火の中を防空頭巾かぶり
「もう死んだ、もう死んだ。」と思いつつ
逃げまどった本土空襲。
そして、父を召集兵にとられ、
戦病死という事になり、母一人に五人の兄弟は
育てられた日々。

戦争とは第一線だけではありません。
国民という人間全体が苦悩のるつぼに
投げ込まれる事です。
その戦争が一度もなかった事は
日本人は幸福であったと思うべきだと
80才になった今、静かに考えております。

何が怖いと云っても、
戦争は一番苦しい、苦しい生き様です。
戦争には勝者も敗者もありません。
戦争がなかった事に、私はいつも神に深く
感謝しております。






~ 『原色魚類大図鑑』好評発売中! ~








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今回は、京浜急行「黄金町駅」からイセザキ書房への道案内と、
社長の佐藤による店内のご案内(前半)です!
毎月1回、様々な情報をお届けします。
よろしくお願い致します。













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2013年5月25日土曜日

父上様と私 ~ No,2 ~


父上は、30才も過ぎた自分のところまで
召集が来るとは考えていなかったのね。
九州の母の姉の息子は、特攻隊で
死んでゆきました。
世相は、「日本は戦争に絶対に勝てる」と
未だ思っていたんですね。
大本営発表は、本当の事を発表しなかったから。

でも現実は、違っていました。
学生から中年の男性まで、もう片っ端から
戦争の場へ送りだしたのですね。
武器も持たさず、飲み物・食べ物も与えず。
父上が津田の駅頭で挨拶した時、
他の4人もみんな妻子のある人でした。
あぁ、あの挨拶。
父上最高ですよ。
素晴らしい挨拶でした。

私は、それでも小学校3年生だったから、
はっきりと覚えています。
しかし、妹2人、勿論、弟2人は、未だ赤ちゃんと
3才だったんですもの。
覚えているはずもありません。

父上がいなくなってから、弟2人は祖父を
父親代わりに思っていたようです。
祖父が亡くなった時、大学生であった下の弟が
ものすごく激しく泣いたと聞いています。

私は、祖父の時も、祖母の時も
大恩のある人だから、せめて別れには
行きたかったが、亡き夫には
「行く必要はない。」
「行くなら離婚して行け。」と云われました。
亡き夫は、厳しいとかきついというのではなく
情の薄い男でした。
これも私の運命。

私が小学校2年生の時、学芸会に出演した折、
父上はちらっと見に来ましたね。
「吉光さん。あんたのとこの娘、よう出来るというし、
先が楽しみだね。」と
云われて恥ずかしそうにして帰って行ったのを
私は知っていました。

父上様。
私は小学校の時も一番で卒業。
それから、高松高女へ行こうとしたが、
屋島の登おじさんから
「高女は焼けてしまって授業が出来んぞ。
津田女へ行った方がよい。」 という
アドバイスを得て
当時は未だ、大川女学校と呼ばれていた
学校へ入学しました。

合格発表の日。
母が18番という私の受験番号を探していたら
知り合いの教師に会い、
「18番ありますか。」と聞いたら、
「名前は。」「名和智子です。」
「あぁ、名和は一番で合格したから
入学式の日に誓いの書を読むはずです。」
との事。
嬉しいのか何か分からず家に帰り、
「おばあさん。智子は一番で入学していたよ。」
と声を弾ませて告げた。
「当たり前だよ、智子なら。」
と祖母は当然の事のように淡々と答えたらしい。

入学式当日。
誓いの言葉を読んだのが、
私が生まれて初めて、大勢の前で、
自分の声を披露した時であった。

父上が野垂れ死にしているとは未だ知らず
父上が帰って来たら、すぐに話して
「京大へ行きたい。」と頼もうと考えていた。
しかし、その年の夏のある夜。
夜9時過ぎた頃に役場の人が3人来て、
父の戦病死を知らせて来た。
思いがけぬ大仰天。
私は涙も出なかった。
唯、母がよろけるように何時間も泣いて泣いて。
私は母に云った。
「泣いても駄目。しっかりしてよ母さん。」
その泣き叫ぶ母の背中を
神戸から焼け出されて津田に来ていた
母の姉が、何時間も母の背中に
涙を落しながら、母の背中をなでていた。

その光景も昨日の事のように
私は覚えている。
一家の柱を失った名和家の悲痛の戦いが
ここから始まった。

安倍総理にも、
私が、これから書く文章を読んで
欲しいと思う。 
そして、憲法改正を考え直して欲しい。

つづく・・・。





































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2013年5月18日土曜日

父上様と私 ~ No,1 ~

私は、父 名和吉光と日出子の間に
長女として生まれた。
父23才、母22才。若い夫婦の子供だけど
祖父母にとって初孫だったので
とても大事に育てていただけた。
その後、1年半おきに妹・妹・弟・弟と
5人の子供が生まれた。
大きな飯台に周りに、祖母と母、
その降り角を越えて本延、敏延、
その降りを越えて父が真ん中にドンと座り
時々、赤ちゃんに近い敏延を抱き
口に食べ物を持っていきながら、
「うまいの~」と云いながら夕食をとっていた。

祖父は、別膳でおかずも一番良い所をつける。
そして、一合瓶で温めた日本酒を飲みながら、
「智子、飲んでみろ。」と云って、
時々杯を後ろからまわしてくる。
最初はちっとも美味しくないと思っていたが、
何年かするうちに日本酒の味が
分かるようになった。
今でも、私はどんなに暑い日でも
日本酒は熱燗にする。
近頃、もう80年近く前の事を思い、
独りで味わう。

あの暑かった日々の夕食、
9人寄り添って食べた日を思い出す。
私は年を重ねるに従い、思い出の景色が
鮮やかになり、私の一生のうちで
多分一番幸せ時期だったと思う。

一家の権限は、祖父にあったが、
実際は祖母の考え方で家庭はまわっていた。
その頃の父は、5人の子供に取り巻かれて
「子供は何人あってもよい。多いほどよい。」
なんて云いながら、足の裏にのせたり
肩車に
したり、子供を叱ったという事は覚えがない。
母は毎日毎日、風呂場の横で何時間もかかって
洗濯をしていた姿ばかり鮮やか。

母の実家は、商人だったので
充分な女の仕事や稽古もせず結婚したため、
何かにつけて出来が悪いと祖母に叱られていた。
私は、母が叱られるのが一番悲しかった。
私を叱って欲しいと何度思った事か。

そのうち、神戸の母の姉の家へ
縫い物や家事の練習のため、1ヶ月位行って
来たように思う。
私もこの神戸の叔母から、花、茶、習字、
時には琴も教えてもらった。
士族の家に養女にやられた叔母も、
若い時には相当仕込まれたらしい。

以来、私や妹、弟の着る物は母の手によって
作られた。母は、洋裁学校へも通っていた。
祖母はケチンボだけど、習い事にやるのは
とても積極的だった。
私にも琴を習えといって積極的に協力してくれた。

風通しの良い玄関で、隣のお兄さんと父が
話していた。
「お前、馬鹿な事を云うんじゃない。
靖国で会おうなんて、そんな事云って特攻に
行ってはいけない。
お前のうちはもう兄貴2人戦死しているんだぞ。
両親の事はどうするんだ。
飛行機はいいけど、突撃隊で死んだりするなよ。
生きて帰って来いよ。」

父の言葉が何年もしないうちに
我が身に降りかかろうとは誰も思わなかった。
「靖国で会おう、そんな事云ってどうするんだ。」
それは、父上様、貴方へのメッセージとなって
しまいました。

つづく・・・。




                           
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2013年4月27日土曜日

靖国神社をとやかく云わせないために

今は、前政府に比べれば安泰しているように思えて
国民はみんなほっとしていると思います。

私は、消費税の問題がひっかかります。
税率を動かす度に、レジスターの操作を変えねばならず
そして、その商品が何%の消費税で入荷しているのかを
確認しなければなりません。
3%から5%になった時にも、販売も仕入れも
何かどこかでミスが起きます。
政治家の皆様は“商い”などほとんど知らない方ばかり
ですからこの悩みは分かって頂きにくいと思います。
株は上がっても、又、いつ下がるか分からないし、
素人には先が読めません。
円の問題も同様です。

それらはさておき、何かの問題が起きた時必ず出てくるのが、
閣僚が靖国神社に参ったという事です。
私は、昭和8年生まれですから、
大臣の皆様は私よりずっと若いです。

私が高校3年生の時、ロサンゼルスで吉田総理が
長い長い文章で、日本が独立国家になれた事を
宣言しました。それでも、マッカーサーという
天皇と並べられる大物の存在がありましたから
何もかも自由にはなりませんでした。
又、この戦争を始めたという事で、
昭和天皇に対してよく思っていなかった
大人が沢山いた事を、私は子供心に知っていました。
ところが、昭和天皇が日本中の隅々まで
御廻りになられた事で、天皇を直接
目の当たりにした国民は、自然に頭が下がり、
天皇に対するくすぶった気分が
きれいに一掃されました。

私が母から聞いた話ですが、
天皇陛下が台に立たれると、自然に頭が下がり
天皇は立派だ、大切だと人民の心持ちが
一変したそうです。
マッカーサーの指示か、吉田総理の考えか
分からないけれど、昭和天皇が全国津々浦々
足をのばされ国民と直接お会いした事は
日本国の平和を維持する上で大きな成果があったと
70才過ぎた私は考えています。

閣僚とか政府の人間が靖国神社へ参ったというだけで
問題にしてしまいます。

私が未だ小学生の頃、近所の若いお兄さん達が
毎日のように出征して行きました。
挨拶に来ると、うちの大人との話の中で
「靖国で会おう。」「同僚と話します。」と云って
帰りのガソリンのない特攻の飛行機で
喜んで死んでゆきました。

その時の言葉が、必ず
「靖国で会える」「靖国で会おうよ」という
フレーズであった事を私は70年経っても
しっかり覚えています。
彼らは、自分たちの行動が国を助け、
国民が幸福になるんだと思っていたんです。
だから、命は惜しくない。
先ず国家の為に、そして靖国で、
又、同僚に会えるんだと思って
みんな出征していきました。

こういう人達が、神として靖国神社に祭られているのを
政府の閣僚が参って何が問題なんでしょう。
問題は、戦争を起こした人達。
その中心になって戦争を指揮してきた人達
(特定の名前は書かないが) は確実に戦犯です。
靖国神社は、なぜこういう人達までお祭りするのか。
深い理由があるようですが、
私如き人間には理解できません。

私も父を召集兵として、32才で国へ差し出し
5人の子供、老両親、そして最愛の妻を残して
ついに帰って来ませんでした。
悲劇をいっぱい抱えた人達も祭られていますが
私は、父の仇を打とうと、色々な本を読みましたが
終に分かりません。
でも戦争を企て、大東亜共和圏などと、
嘯いていた人達は、私の父の敵だと
今でも、私は思っています。

もう今更、仕分けはできないかも分からないけれど
A・B・C級戦犯とされた人達の霊を
靖国神社からおろして下さい。
戦を仕事とする 軍人が、国家を牛耳れば
必ず戦争になります。
この人達の霊は、他の場所で遺族が弔ってください。
そして、靖国神社は真白な心の勇士の霊だけに
して下さい。
そうなれば、近隣国も文句は云えないと思います。
99%の善良な若い日本人の魂を、きちんと弔って下さい。
そして、重ねて書きます。
戦犯の霊は全部、はずして下さい。
神社の何か規律があるようですが、
靖国神社だけは別格です。
ぜひぜひ、お願いいたします。




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2013年4月13日土曜日

私が20年若かったらやりたかった

 先日来、日経新聞に《日本で一番安全な県》として
四国の全国一小さい香川県が大きく掲載されていた。
何を隠そう、私は香川県産の人間です。
生まれてから21年間、香川県さぬき市津田という
海辺の町で新鮮な魚を食べて育ちました。

記事によれば、国家の重要書、
また、大企業の重要な物を香川県の高松市
(県庁所在地)へ移しているそうです。
先月、所用があってたった二晩、
実家に泊って来ましたが、
数えてみれば、私が実家へ行ったのは
もう12年前。
私は、結婚して60年近く経ちますが、6回位。
それも、飛行機で飛んで行き、用事を済ませ
翌日帰るという早業ばかりだった。

外国じゃあるまいし、いくらでも行けるのですが、
店を空けるのはダメと云われて、
20年前まで、亡き夫が生きていた時に
私が実家へ出向くというのはほとんどなかった。

父が召集兵に33才でとられたまま、
フィリピンでの負け戦で、昭和20年6月に戦病死
(野たれ死にだと思う) したので、
母は、5人の子供を抱え、アップアップしながら
生きてきた。
たまたま祖父母が未だ60~70代くらい。
特に私は長女として生まれた初孫だったので、
とてもとてもかわいがられた。

下に妹、弟が生まれてきてからも
私は祖父母の横で夜は眠る事になった。
毎晩、昔話をたくさん話してくれた。
山賊の話なんていうのは、
本にもないので、多分経験した人が
中山道を通った時の話だと思うが、
本当に怖かった。
宿へ泊まると、何か様子がおかしいので
何も食べず、全部窓際の川へ捨ててしまい
食べ終わったふりをして、荷物を頭に
全部くくりつけ川を越えて夜中に逃げ出す
という話。
何度聞いたか分からないけれど、
祖母の話は恐怖心と好奇心が
上手く混っていて、私はいつも
「山賊の話をして」と云って、
それを聞きながら眠ったのものだ。

又、私のおしりに吹き出物が出来て、
塗り薬を付けても何日も治らず、
太陽灯にかけたらよいと云って
高松の病院へ何度も私を連れて行ってくれた。
そのうちに医師が
「レントゲンの方がよいと思う。」と云って
レントゲンを撮るために病院へ行ったのに
その部屋へ入るや否や、
私がその物々しい風景に恐れをなして
「イヤーダ。レントゲンはかけない。」と云って
部屋に入らなかった。

ものすごくお金を大切にする祖母だったので、
津田から高松まで汽車に乗って
わざわざ連れて来たのに、
私がどうしても恐れをなして入らなかった事を
今、80才前にしたこの年令になっても
私は覚えている。
ケチな祖母なのに、私の意に従い
太陽灯だけかけて、汽車に乗って帰って来た。

「智子は利口な子だよ。」 と
私の母に祖母は何度云った事か。
その祖母が亡くなった時も、祖父が亡くなった時も
亡き夫が葬式に「行くな必用ない。」と云って
行かせてもらえなかった。

とても悲しかったけど、私の亡き夫の仕打ちは
度を超えているので、私は泣く泣く、祖母の時も
祖父の時も行かなかった。
今でもそれが心に残って、せめてものと思い
毎朝、仏壇にお茶をあげる時私の横へ台を作り
「おじいさん・おばあさん、ありがとうごめんなさいね」
と声を出して云いながら一番上等の対のお茶碗に
お茶をあげる事にした。

そしてこの度、実家へ行ってみると
弟嫁がきちんとした生活をしながら、
101才の私の母の世話もして、実にけなげに
生きている。
町の様子はまるで変わり、お墓も60年振りに参って
あまり美しくなっているのでびっくり。
町は前回同様、すたれていた。

しかし、津田には根上がり松があり、
松の素晴らしい林がある。
そして、夏は浅瀬の海だから海水浴場として賑わう。
でも、夏だけ。
後はひっそりと松林だけが素晴らしい姿で
広く大きく美しく立派な景観を観せてくれる。

私が子どもの時、2軒あった旅館も売りに出ているが
買い手がないそうだ。
私は、海を観ながら松林を歩き、
私がもう20年若かったらこの美しい景観を
西の観光地として経営したいと思った。
しかし、もう遅い。
残念な思いを残しつつ、今もし出来たら四季を通じて
人を呼べるような観光地にしたいと
強く強く思っている。

いずれ、津田の写真をブログに載せたいと
思います。



     ☆ イセザキ書房が4月13日(土)
            神奈川新聞(朝刊)に紹介されました!☆








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2013年4月6日土曜日

夢を持て、希望を持とう、老いも若きも

3月30日の夜、
NHKのテレビのスイッチを入れると
もう無くなっていたと思われていた
この前の東京オリンピックのバレーの最終戦の
フィルムが見つかったといって放送していた。

私も手に汗を握って応援したというか
感動したというか、見た覚えがあった。

強いソ連に勝つために鬼の監督といわれた
大松監督の回転レシーブの様子が
何度も何度も繰り返された。

そしてその、間に出てきた当時の選手は
私よりも少し若いか、ほぼ同年令に近いと
思われるが、顔を出して
当時の苦しさ、きつさ、
それでも勝たねばならぬ思い出を
夫々語っていた。

それを観ながら私は、今のテレビ画面と
何か違うものを感じ取った。
今も強い競技もあれば、
無念の結果のものもある。

しかし、 私は、50年前の飛び出してきた
フィルムからは異様な心情がわいてきた。
単に、ソ連との戦いのもの、というよりも
日本人の選手の意気込みと表現すべきか
上手く言い表せないが、
私もその時まだ若くて、
オリンピックに、のまれていた人間の
一人だったけど、このフィルムの中から
当時の日本人の根性のたくましさ、気力の
旺盛さという非常に素晴らしいものを
感じ取った。

観終わって、57才で亡くなられたという
大松監督も一生をなげうって戦ったのかと
考えた。
非常に純粋な心情が、画面いっぱいに
拡がっていた。

半世紀経った今、ニュースの中に
手に汗を握るような力強いものは
私の世代ではもうありません。
そして、日本のどこかでだれかが殺された、
自殺した、というニュースが
毎日流される。

私は、戦争時代に生まれ、
招集兵としてついに帰らぬ父は
フィリピンのルソン島で野垂れ死にした。
別れたのは、小学校3年、妹2人、
弟2人の5人兄弟。
父の死を知ったのは、高校1年の時。
そして、高校3年の時、
サンフランシスコ条約で、
日本はやっと独立した。
吉田茂という名政治家というより
名外交家の力は大きかったと思う。

日本の総理もがん張っている事は分かる。
しかし、国民はどうだ。
あのソ連を相手にして戦ったような
気迫は本当に消え失せてしまったように
私は思う。

日本が東洋一の日本として
生きてゆく ためには、全員が国家のために
地球全体のために果たすべき役割が
あると思う。

若い者にだけ苦を背負わず、
老いも若きも大いなる夢と希望に向かって
歩んで行こうではありませんか。


☆ 『イセザキ書房TV』がYoutubeで
   はじまります!まずは予告編です!
   ぜひご覧ください! ☆






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2013年2月23日土曜日

100才すぎても母は母

 甥の結婚式が大阪であって
最近、久々に横浜⇔大阪間の新幹線に乗った。
2度目かな・・・?
早い。そして、横浜と名古屋の間は 田園風景。
富士山がきれいに見えた。これも久し振り。
名古屋へ近づくと、ビル、ビル、ビル。
そして、又、京都までの間は田園風景。
京都へ入ると、一寸景色が変わり
大阪まであっという間であった。
大阪も何年振りだろう。

結婚するのは、兄の方。
弟は、私をリードして大阪まで同道してくれた。
華やかな結婚式で、私はもうびっくり。
新郎40才。新婦34才。
私にはピンとこないけど、今はそういう事らしい。

弟によく似た大人に成長していた。
私がこの前会ったのは、4才の時だった?
時間も長く、かなり疲れた。
盛大な披露宴だった。
終わってから、車で淡路島を通り
私の故郷、香川県さぬき市に入った。

淡路島のトイレ休憩にも、大きなスーパーが
24時間営業をやっていた。
夜だったので、周囲の景色が見えなかったのは
残念だった。これも私は初体験。

香川県さぬき市津田へ入り、
小さなホテルとまではゆかないが松林の中。
新しい小さな旅館に、下の妹と2人で宿った。
妹は、旅館業の経営者なのでさっさと事を運ぶ。
姉妹2人で、こうして並んで寝るのは
何十年振りだろうか。
もう、その頃から私の心情は、
ふるさと恋しさの情に変化していた。

朝食は、海の真向の景色の美しい食堂で
和食を頼んだ。
私が昔食べた懐かしい料理が並んでいる。
味噌汁も津田の味。
あぁ、この味だと思った。

上の弟(名和家の当主)が、車で迎えに来てくれた。
素晴らしい松林の中に、八幡様があり、
手を合わせて拝んだ。
子供の頃の祭りの様子がくっきりと
私の頭の中に浮かんでくる。

私がいた頃(昭和時代)は、砂浜がずーっと続いて
海水浴場として、夏はにぎやかだった。
もう砂浜はなくなって、護岸工事で
海から5米位の位置に道路が出来、
松の並木道になっていた。

あぁ、私が父と最後の語りをした砂浜は
なくなっていた。
私が子供の頃、山口町、本町と云って
商店の並んだ道路があったけど
日曜日だという事でみんなお休み。
一寸残念だった。

私は13年振りの帰省だけど、
結婚して60年近く経つ間に5回しか来ていない。
それも用事を済ませ、一晩宿って翌日
飛行機で帰っていた。

お墓に参ったのは、60年振り。
みんなきれいなお墓に変わって、
私一人では分からなかっただろう。
玉石をきれいに敷きつめて、三本の墓が
きれいに並んでいた。

あっちもこっちも見たかったけど
ほとんど昔の姿は消え失せて、
小ぎれいな新しい家に建ち変わっている。
こんな所で家庭の主婦として生きた方が
幸だったかなと思ったりした。
専業主婦を一度もやった事がない私としては
羨ましく思った。

私の生まれた家。
建ってすぐ生まれたので、私と同い年。
79年も経っているとは思えないほど
しっかりと輝いていた。
外まわりも、家の中も、非常に使い勝手良く
改築したり建て増したりして、実に合理的な
住居になっている。

そして、101才の母が待っていてくれた。
「智子が来るなんて信じられなかった。」
さもあろう。
私は、結婚後60年間の間に、10日間位も
来ていないのだから。そして、私を見るなり
「智子。そんな横しまのスーツなんかより
縦しまのにすればいいのに。」
私がデブ子さんだと云う事なの!?
「口紅ももっと明るい色をつけた方がいいよ。」
もう歩く事も出来ない母だけど、
長女の娘を目の前にすると、私が若い頃
よく云っていた事と同じセリフ。
「胴を丸くしないで、背中をすっとさせた
ほうがいいよ。」
私は、腰痛をかばうために、前かがみに
なってしまうのだけど、娘時代の時と
同じセリフを云うので、私は参った。
101才でも、79才の私は、母にとっては娘なんだ。

女・女・女・男・男と、5人の子供を産み育て、
30才一寸で 未亡人になり、
しゅうと、しゅうとめにしっかり鍛えられ、
休む暇もなかったと思う。
休めるようになった時は、自分の足で歩けない。

10人以上いた兄弟達も、全部死んだ。
去年、一番下の弟(私の伯父)が亡くなった時は
かなりショックだったようだ。
友達も大勢いたけど、みんな亡くなってしまった。
せめて5人の娘・息子が元気なのが唯一の
生き甲斐らしい。

私は、普通に話せる母と会えるのは、
もう最後かなと思ったりもしたが、
又、反面、あれでしぶとく生きてくれるかも
分からないとも思った。
5人の兄弟姉妹、全員で会えたのは60年振り。
遠くへ嫁がせるのは、嫌だという人の気持ちも
分かった。
私の心情は、未だ半分ふるさとの余韻が
残っている。
私は、私の道に早く戻って、仕事に励むべし
と誓いつつ。


 










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2013年2月16日土曜日

急ぎ過ぎたね、江副浩正さん。

私が結婚して30年余経っていた頃。
私の年令も50才過ぎていたが、
家庭に1台しかないテレビも自由に
観る事は出来なかった。
夫は、いつ寝て、いつ起きるか
分からないような生活をしていたし。

夫の好きな番組は、どんどん観られるが
私にはチャンネル権が全くなかった。

夫が眠っている間に長ーいイヤホンを
つけて、私の部屋まで引っ張ってきて
(画面は私の部屋で観られるので)
観ていた。

そんな時期のある正月の番組に
江副浩正リクルート社会長と内橋克人と
もう一人はテレビ局の人だったと思うが、
対談があった。

何の気もなく夫の留守を幸に
私はそのテレビを観た。
江副浩正と云っても、私はよく知らなかった。
内橋克人は、2・3位本を読んでいた。
観ているうちに、だんだん魅きつけられ
最後まで観た。

何が私を魅きつけたのか
今ではよく分からないが、江副浩正という
人物が人並み優れたつわものだという事に
珍しかったのかも分からない。

きっと、財界のスターになる人だろうなと
強烈な印象を受けた。
当時は、景気の良いバブル最中だった。
初めて観た江副浩正に魅せられた。

知人にもりクリート社へ勤めていた人もいた。
その人もなかなか立派な人だった。
又、住宅雑誌でも読売から出ていたものを
つぶしてしまう程、リクルート社のものが
よく売れた。
私の心の中には、江副浩正という人は、
理想の財界人の卵だと写っていた。

暫くして、リクルート事件と呼ばれる事件が
ニュースをどんどん華やかにするほど
有名になった。
各界の上層部の人に、リクルートコスモス社の
未公開株を、次から次へとばらまいた。
出世を急ぐというか、早く一流人になるための
一つの方法だったのだろう。

そしてその株が上場され、もらった人達は
大物ばかり。沢山の利益を得た。
詳しくは覚えてないが、世間を大騒ぎさせた事は
覚えている。その後、江副浩正という名前は、
ほとんど出なくなった。

2月9日のネットに、江副浩正の亡くなった事が
出ていた。翌2月10日の日経新聞では、
“春秋”というコラムの欄に出ていたのみ。
執行猶予付きの有罪が確定してから
ちょうど10年。
もし、こういう早業をやらずに
通常通りの道を歩んでいたら、
きっと、一流の経済界の大物になっていたと
思う。

リクルート出身の優れた経済人は何人もいる。
しかし、本人は汚名を残したまま亡くなった。
私の心の中には、あんなに優れた人を
むざむざ社会の悪人として死なせてしまった事が
とても心惜しい気持ちでいっぱい。

人間の人生は、真っすぐな道を道なりに
歩んでゆけば、どんな人でも何かが出来る。
急ぐ事はなかったのに。
普通にやっても充分出来た人だったのに。

私は、独りで日経新聞のコラムを何度も読んだ。
そして、江副浩正という才ある人が
道を急ぎ過ぎた事を、とても残念に思っている。







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2013年2月9日土曜日

国家に殺された私の父

電灯をおろして父に手紙を書く。
心配するなと文したためる。

父は、私が小学校3年、妹1年生
妹幼稚園、弟2才、弟0才の時に
召集兵として出征した。33才。

未だ内地にいた時に、
近くの旅館気付でハガキを出した。
妹は、毎日のように書いていたと思う。
それだけが父との繋がりだと思うと
書かずにいられなかったのだと思う。

コピーのコピーで分かりにくいが、
私には、父の心情が胸を打つ
ハガキである。沢山のハガキの中から
一枚とりあげたけど、
父は生きて再度我が家に帰れる事を
最後まで信じていたと思う。

























家族の事、みんなの事を夫々書き、
父の家族への思いは
もう70年以上も経った今、これを読むと 
私は、涙が出て止まらない。
召集兵は沢山、戦死・戦病死・
野垂れ死にした。
食べ物も飲み物も兵器も、
何も持たさずにフィリピンにまで
送り込まれて、ほとんどの人が死んだ。

何という無謀極まりない戦い方を
命じた人は誰だ!
事の成り行きとは云え、
日清・日露に勝った勢いで
大東亜共和圏とか云って、アジアを
全部植民地化しようとしたのか?
それとも、石油等原材料欲しさに
手を伸ばしたのか?
それにしても、外交下駄丸出し。
又、欧米のすべての面で
進んでいる事を充分研究していなかった。

今から、云っても仕方がないが、
靖国神社は、死ぬ事を承知で帰りの
油のない飛行機に乗った、
うら若き青年達の心の拠り所であったのを
私は子供ながらに知っていた。
その人達を裏切った人間を一緒に
靖国神社に祭るのは
私は納得できない!

東京裁判を基準にして
戦争を始めた人・指揮した人の霊は
すべて靖国神社からはずして欲しい。
さもなくば、本心で死んでいった人が
かわいそうです。

私は、泣いても泣いても事はおさまりません。





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2013年1月26日土曜日

苦楽はなへる縄のごとし

私が生まれたのは、日支事変の始まった直後。
そして、小学校に入学したら国民学校という
呼び名に変わった。そして、国民学校3年生の時、
太平洋戦争が始まった。
勝った、勝ったと旗行列・提灯行列が行われる。
日本は強いんだと思ったのも束の間、
大本営発表とは全く異なる事態になっていた。

そして、昭和20年8月15日敗戦。
それまでにも、東京大空襲とか日本全国の都市は
ほとんど毎日空襲に見舞われ、
防空壕というものを各戸が作り、
空襲警報が鳴ったらそこへ入って、
ハラハラドキドキしていた。
家の前に、水をいっぱい入れた水槽を常備したり、
考えても考えても、よくぞあんな事に
必死になっていたものだと思う。

知らなかったんです。
連合国真の力を。アメリカの力を。
そして、完膚無きまでにやられて、やっと白旗を
上げた。
私は今でも、誰がこんな計画を立て戦争に
かき立てたのか、歴史の本を読んでも
しっかりとは分からない。
すれば、東京裁判を是とするしかない。
その時の戦犯は全員、靖国神社から
はずして欲しい。

私は子供ながら、若い男の立派な連中が
「戦死は怖くない。靖国で会えるよ。」と云って、
出征していった人間を沢山知っている。
その靖国に日本を代表する人は参拝出来ない。
戦犯の霊を下ろしてしまって、国の為に準じた
魂だけの靖国神社にして欲しい。

次に、アベノミクスとかしゃれた名前をつけて
景気をよくしようとしているが、
もう、地球は国別ではなく、
一つの大きな人間の
生きる器になってしまっている。

そして、生活原材料(戦争の時にも使う)を
求めて 地球の果てまで地球人は、全員手を
伸ばしている。
それを取り合いする事で、又、ゴタゴタが起き
戦争かと、ハッとする事が度々ある。

消費税(ドジョウ総理の唯一行った仕事)が
アップする。3%から5%になった時も
非常にゴタゴタした。
又、それが2度にわたって行われるのかと思うと
商人の気持ちもくんで欲しい。

総理になるような方は、
小売業など経験がないから理解しにくいと思うが、
本当に商売がやりにくくなる。
景気はよくはならないと、私は思っている。
1050円で買えたものが、
1080円 → 1100円 になれば、
私ならば買い控えるようになると思う。
ニュースを聞いたり、日経新聞を読んだりしていると
何か裏があるようで、信じられないものを
感じてしまう。

それはさておき、
日本中が空襲で焼け野原になった時、
私達(私は未だ大人になり切ってはいないが)は、
心も体も、必死で、頑張って、精一杯使った。
そして、早く独立して<東洋に日本あり>とする事に
全員が頑張った。

しかし、現状はどうでしょう?
仕事がないというのを理由に、
遊んで暮らして、国からお金をもらう人の多いこと。
仕事はない事はありません。
店頭広告もチラチラ見えている。
楽して稼ごうとしても、それは無理。
精神も肉体もしっかり使って、
働こうと思えば仕事はあります。

総じて、昭和20年代・30年代の頃の日本人とは
心情が総変わりしている。
これでは、日本の国に太陽は昇らない。

私は、ずーっと観てきて、体験して来て、
日本人の精神力が弱くなっている事を
日々感ずる。
ガッツがあるのは、老人ばかり。
若い世代を背負う人達よ。
日本を佳い国にすべく、
努力を惜しまず頑張りましょう。
お願いします。






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2013年1月19日土曜日

元気に感謝しながら生きてゆきたい

株価も一万円を突破し、円もほどよく動いているようだ。
株を持っていなくても、株価が上がるという事は
こんな時期には人の気持ちを明るくする事は
間違いない。

しかし、成人の日という日に13年ぶりの
大雪が降り、その後の天気も晴々とはせず
気温が非常に低いので、 雪の塊があちこちに
残っている。13年前、高いスコップを買ったのが
やっと今回使えたけれど。

寒いと どうしても外出したくない。
商店街は、雪以来、人出が少ない。
みんな売上を落としているだろう。
是非、必要な物は、スーパーで用を
済ませられる時代。
あるいは、ネットでも買える時代。

私が、商売を始めた半世紀前には、
伊勢佐木町通りにもデパート3軒。
映画の封切館は、日活・松竹・東宝・大映・新東宝 と
全部あった。
今は、デパートも映画館も全部消えてしまった。
小さな映画館が裏通りにあるばかりのみ。

そして、代わりにパチンコ・パチスロ・
その他のゲーム屋の立派な建物が10軒以上
出来て来た。
これを時の流れというのだろうか。
時代の変化と云うべきなのか。

昭和一ケタ生まれの人間にはなじめない。
私も20代初めの頃、夫に引かれてパチンコ屋へも
何度か通った。
一つ玉を入れてガチャン。
又、一個玉を入れてガチャン。
時々、ザラザラと出てくる。
ボツボツやっていると、手元の入れ物が一杯になり、
夫の手が入ってくる。不思議にボツボツやっていると、
きっと私は元がとれていたと思う。
それを全部夫に持って行かれるので、結果として
二人共パーになってパチンコ屋を出る。

あの頃、若い女性など一人もいなかったので、
周囲の人が何だろうという顔でジロリと見られていた。
でも、独りポツンと待っているのもしんどいので
こんな事を繰り返していた。
それから、昼すぎに横須賀のスーベニア通りの
英文の本屋を開店する。

英語のイントネーションが悪いと云って叱られ、
応待が悪いと云って叱られ、毎日毎日、
私は一生懸命に働いたつもりだったけど
叱られ通しだった。

それでも私は、大学へ行かせてくれるという
約束を信じて、その勉強をしながら家事もし、
横須賀のアメリカンネイビーに通じる英語を
必死に喋っていた。
叱られても、殴られても、
どこかに 私を魅きつけるものが、
夫にはあったのだろうとしか思えない。

逗子の借り部屋を出て、池子へ土地を買って
20坪位の家を建てた。
材木は夫の実家の佐藤製材から、
全部送ってくれて、出入りの大工さんも
香川県から寄越してもらって家は建った。

以来京急に乗ると、神武寺の付近で
横浜へ出てくる時に売った家だけど
窓から必ず覗いてみる。
やっぱり、懐かしい。
私は、79年生きた中、津田の空気を
吸ったのは20年。

後は、すべて神奈川県。
横浜へ来ても、もう50年以上。
それでも、ハマッ子にはなり切れない。
生まれた土地は、一生身についているのかと思う。

横浜も大好きな土地だけど、
ふるさとは遠くにあるけど、やっぱり懐かしい。




残る人生を夫に「守って下さい」と仏壇の前で祈りながら

やっぱり一生懸命働く事の毎日が繰り返される。
「有難う」と私は、周囲の人に、みんなに
心から思っている。
元気なかぎり、私は勉強しながら感謝しながら
生きてゆきたい。


 人生も 終わりに近くなったけど
           胸の希望は 未だ 大きく


 まだやれる 信じて歩むこの命
           生きたあかしを 残してゆきたし 








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2013年1月12日土曜日

私を鍛えた36年間

  昭和50年 このノート幸あれと祈りつつ
              筆をおろして書き初めたし


取り返しのつかないことというのは、
生きている間に次々あるものだと分かった。

亭主が厳しいという事は、妻の人間を鍛えることだと、
母が云った事がある。そうだと思う。
私の夫がやさしい人だったら、
叩かれ、殴られなかったら、
ここまで来られなかったかも分からない。

あれもしよう、こうもしてあげよう、あの本を読もう、
あの映画を観ようと思ったけど、
なかなか現実は難しかった。
人生は、こんなことで終わってしまっては
本当に困る、つまらない。


  朝顔のカットの中に
       過ぎゆきし 幼き夏の想い出わき出す

  ショックあり 悩みも過ぎて来たけれど
                 悔しさ残り諦めきれず

  見事なる 割り切りの前に 
                悲しさも悔しさも減らず時すぎぬ

  傷深く 心痛めしい小半月
            時の流れのありがたきを知る

  重ねられる この苦しみを いかにせん
            我が心との戦い 打ち克たん

  果てしなき 奈落へ落ちる心地して
            昨夜も今宵も 浅きまどろみ

  あの夏の苦しがりし日 
         この春の嘆きは深く 又我を失う

  おととしの嘆きの春も こぞの春も心いためて
            苦しき春ばかり

  こんなにも 苦しい事があるものか
              去年の嘆きも 今年も苦しく

  ゆとりある暮らしを 我は望むれど 
           生き様厳し 又も夫に殴られる


36年間、楽しい事もあったけど、
苦しい日ばかり続いた。
独りになってみて、夫の写真をあちこちに飾り、
今も私を叱咤激励してもらっている。

夫婦とは、甘いばかりではないと思った。
私の場合は、いつ破裂するか分からない爆弾を
かかえていたような36年間だった。
そして、一年一年歳を重ねて今日という日に。

  
  父さんだよ 覚えておけよ
        0才の息子に微笑みて 戦場に発つ 

私の父と弟との別れ



戦争とは、こんな光景もあるんです。
 それを思って生きてゆきたし。

  







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