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2013年10月19日土曜日

特定秘密保護法案ってなんですか?

私はテレビで一寸見ただけで
私の知識ではよく分からないというのが真実だ。

私が未だ子供であった時(小学校くらい)
祖父は手広く事業をやっていたので
年中会合に行く事が多かった。

あちらこちらで様々な事を聞いてきて
夕食の時など
「あれは誰それに云っておかなくてはいかん。」
などと話すと、その時必ず祖母が
「そんな余計なこと云うものじゃない。
警察から一寸来いと云われかねない。
そんな事絶対他人にはしゃべらない事だよ。
よく気をつけて。」
と祖母が叱りつけていた事を思い出した。

内容も具体的には私には
分からない事だったけど
「警察から一寸来い。」という言葉は
70年経った今でもはっきり覚えている。

そんな私が≪特定秘密保護法案≫について
公明党の反対があったので少し譲歩して
とにかく今の臨時国会で総理は通すつもりらしい。

私は政治家でも役人でもないし
そういう世界は全く知らない人間だけど
一瞬何か言論の自由が何十分の一か
知らないが不自由になりそうな予感がする。

私の取越苦労かとも思うが
現内閣は3年間自由に羽ばたける事を
知っているので、消費税の増税や
株式会社の税を下げるとか
私の予想でいくと、安倍総理は自由自在に
何でも出来る立場にある事を大いに利用して
この先何が飛び出してくるか分からないと思う。

野党があまりにも弱すぎるので
国民にとって幸か不幸か
私には疑問を抱きはじめた。

参議院を止めてしまうか
人数をうんと減らして学識のある人だけにして欲しい。
そして、常にねじれがあった方が
力のない国民にとっては幸だと
私はこの頃思っている。

嘘をつく時、「大本営発表だよ。」と
よく若い時は云った事がある。
つまり事実でないという意味に使われていた言葉。

私は太平洋戦争で33才の父を召集でとられ、
フィリピン、ルソン島で野垂れ死にさせられた。

だがそれでも 戦争が終わったとゆうことで
、様々な事が変化してゆく中で
民主主義というものは本当に素敵なものだと思い
心も体もどんなにほっとしたことか。
だから私の時代の人間は、様々な変化を
苦労しながらも、心がどんなに広くなった事か。

その戦後の中で行われた東京オリンピック
どんなに素敵だったか。
皇族でない正田美智子さんが皇太子妃になった時も
みんなで喜んだ。

あの頃のような日本中を覆った空気は
本当に素晴らしく未来を信じて
生きる事が充分出来た。

それから60年余経った今日、
そろそろ色々な形で為政者の思う通りに
なってき始めた事を80才の今、色々感じ始めた。

安倍総理は長くその職にいられる事を
100%利用して、日本の国を
暗くし始めたような気がしてならない。
そうでなくとも、世の中はどんどん変化して
苦痛にあえぐ国民も多くなってきている昨今、
せめて政治を右回転させないで欲しいと
心から願う気持ちでいっぱいです。

みなさんはどう思われますか?






『イセザキ書房TV⑥』
今回は“追悼・山崎豊子さん”と題して
作品への熱い思いを語っております。
ぜひ、ご覧下さい。





















10/19(土)に『沈まぬ太陽』1~5巻まで
全て入荷しました。(現在お求めになる方が
大変多く、売り切れの場合もございます。)

また、週刊新潮(毎週木曜日発売)で
山崎豊子さんの絶筆『約束の海』が連載中です。
お見逃しなく。


















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2013年9月14日土曜日

一人一人が社会の為に何かを背負う

私は10代の頃より京大法学部を目指して
その後アメリカに行こうと考えていた。
出来ると充分に思っていた。

ところが女学校1年生の時
父の戦病死の報が届いた
戦死ではなく戦病死。
これは野垂れ死にだ。

祖父母は、大切な一人息子を失い
母は最愛の夫を亡くした。
そして女学校1年生の私を頭に
妹2人、弟2人、5人の兄弟は
大切な父を失った。

私の家は何もかも全てが狂ってしまった。

当時、日本は若い者も
子供のあるような中年男も
元気な者はみんな戦場へ送られた。

食う物も体を守る道具も何も持たせず、
唯唯、南の島へ兵隊として送り込んだ。
私の父も最高齢の中に加えられた。

私は、昭和の初めの頃から
敗戦国になるまでの様子を書かれた本を
探したが、一冊もなかった。
去年あたりから、総理の言葉によるものかどうか
ぽつぽつ見かけるようになり
その一冊一冊を手当たり次第読んでいる。

でも私の考えている私の父の仇は
一人ではない。
そういう流れを造った人は何人もいる。
「死んでもよい。靖国で会おうよ。」と云って。
それを信じて南の島に、南の海に果てた人達。
この人達を祀っている靖国神社は
常に問題にされる。
その中から私が書く訳にはゆかないが
戦争責任者を全部おろして欲しい。
そして、靖国神社は国家国民の為に
犠牲になったかわいそうな人の為だけの
神社に早くして欲しい。

色々な本を読んでいるうちに
私も80才を越えた今、
ようやく戦争責任者の名前が少しずつ
分かり始めた。しかし、書く事は出来ない。

国家として戦争責任者の霊は
全部おろして下さい。
どうしても祀りたいなら
どこか遠くへ別に作りたい人に作って
もらいましょう。

私ばかりではない私のような立場の人間が
敵の中にも日本人の中にも
数え切れない程いるんだ。
そして、もうすぐ一人一人死んで行って
第二次世界大戦の歴史として
一くくりにされてしまうだろう。

戦争はダメ。何をしてもダメ。
総理がトップに立って出て行かれますか。

苦しみも悲しさも癒え四分の三世紀。
苦しい中を歩んできました。
これでも、私は何かを残して行こうと思っている。









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2013年8月24日土曜日

庶民の大半は苦しんでいる

昨年あたりから、ボツボツ昭和時代の歴史についての
本が出始めた。
大きな老舗雑誌の記事にも掲載され始めた。

私は父を第二次世界大戦で
戦病死という事になっている死なせ方をさせられたので
父の仇を打ちたくて一生懸命本を探した。
明治維新までは立派な文章で書かれているが
その後は書ける人はいなかったのか
書いても売れないと思ったのかほとんどなかった。
ボツボツ出始めてはいるが、直接体験した人は
もういない。
みんな遺族を訪ねたり、その時の様子から
察して書いている。
それでも私は見つかり次第読んだ。

①『昭和史の大河を往く 第1集
  「靖国」という悩み』
 保坂正康 著
 毎日新聞社



















 ②『昭和の大河を往く 第2集
  開戦、東条英機が泣いた』
  保坂正康 著
  毎日新聞社



















③『戦艦大和 最後の証言』
  久山忍 著
 産経新聞出版



















私はこれからも次々読んでゆくつもりだ。
色々複雑な絡まりが沢山あった事はあったらしい。
昭和20年代は、一にも二にも国を立て直す事に
日本人は夢中になった。
だから、みんな必死で働いた。
おかげで食べられるようになり、住む所も出来、
着るものもどんどん新しいものが作られる。
そんな中で高度成長時代を謳歌した。

その初頭の頃、私は社会へ出た。
結婚相手は商人がよいとあまり時代を読めない母。
いやこれからはもうサラリーマン時代だよという
おじの言葉。
そんな時、出会った亡き夫。
タイプとしては好ましかった。
そして、話す事か実に整然としていて
こういう人と生きてゆけば幸だろうなと思った。
しかし、結婚してみると性格的に自分本位、自分中心。
妻は命令に全て従わさせられ、
私は何度離婚を考えた事か。
その夫は61才(その10年位前から体調が悪く
非常に自分勝手な生活をした)で
食道癌で亡くなった。

小さな店を続けるか止めるか考えた。
思えばこれからは私の自由の時代になったんだと思うと
どうせ私も59才。
今から出直す方法もない。
商売は嫌いではない、よし、やってみよう。
と以後は私の考えで事を進めた。
その時、ハタと気付いた。
夫は厳しい人だったけど、
新しい事を生みだす、考え出す事には秀でていたので
小さい店でもひとつひとつ新しいアイデアで事を進めて来た。
私は、唯云われる通り働いてきただけだったと気付いた。
夫の書いてあったメモを集めて読んだり、
本を読む時間も出来た。

そして、もう高度経済成長は終わった。
零細企業の苦しい時期に入った。
政治をする方々はこの苦しみは分からないと思う。
デフレをインフレにする。
私の頭ではよく分からない。
インフレに苦しめられた時の事が忘れられない。
人口が減るから女性も働き手として参加すべし。
それも分かるけど、女性が出て来過ぎると
これ又マイナス面が必ず出てくる。
女性の上司に仕える男性の気持ちはどうだろう。
私は総体的に能力は女性より男性の方が
優れていると思っている。すべての面で。

又、女性は子育てという仕事は絶対欠かせない。
男性がやっても悪くないが、
感性の問題があるので母親が一番。
5・6才までは母の肌に支えられて育てた方が
人間的にベターだと私は思っている。

そうして考えてゆくと昔の日本の大家族主義は
反面非常に合理的だったと思う。
もうそこへ戻れないだろうけど、
姑、姑の教えというのも悪い所ばかりではない。

とにかく政治も大変だろうけど国民一人一人、
恵まれない人がどんどん増えている事も事実。
どうすればこの現実を政治家に分かってもらえるだろうか。





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2013年8月10日土曜日

80年生きてみて

8月という月は、広島の原爆の日、長崎の原爆の日
そして、8月15日は、敗戦の日。
そして、私の父が野垂れ死に(フィリピンルソン島)
したのは昭和20年6月23日。

私にとって夏は悲しい月。
毎年15日には、お寺か神社の大きなひさしの下で
生きてきた様々の事を神に感謝しながら
思い出す事にしている。

私はまだ小学生だった。
そして今年は80才。
私の世代が戦争の悲惨さを知っている
最後の世代。
やがてその数はどんどん減り、
戦争というものを全く知らない日本人ばかりに
なるでしょう。

戦争は嫌。
戦争だけはやめて欲しいと悲痛の叫びを
出すのも私達の世代で終り。
いくら書かれたものを読んでも
実体験にはかなわない。
その時行き合わせたのが
不幸だったという事になる。

しかし、戦後20年から30年間位は
日本人は恐怖の体験を知っているので
必死にがんばった。
そして、高度成長時代を過ごした。

あれも時の流れ・・・であるのにも拘らず
それが普通になってしまって
日本人ははっきり分かり易く表現すれば
ダラダラした人間になってしまった。
一等国にならなくてもよい。
そこに住む国民が人間として立派で
且つ、幸であればそれこそが
世界一の国家である。

話は変わるが、今回の国会の参院選の結果
「ねじれがなくなってよかった」
と何度も聞いたり読んだりした。
ねじれがそんなに不都合なら
それこそ憲法改正をして一院制に
すれば良いではないか。

私がうんと小さい時には、女性は勿論、選挙権なし。
ある一定以上の納税者のみの選挙であった事を
うっすら覚えている。
祖父が私服から正装して出かけていた事を
おぼろげながら私の頭の中に残っている。
そして、その時の参院選は
何か立派な事をしたとか、国家の為に貢献した
人達の中から選ぶと私は教えられていた。
今は、参議院も衆議員も
一般の人の教養レベル以下の人も
混ざっているような気がする。

それはともかくとして、
一院制にすればねじれは起こりようがないし、
参議院の人件費、他、金が出てくるではありませんか。
消費税云々と云って、総理が苦悩する事も必要なし。
政治に素人の80年生きた一老人の考えです。

更に、消費税を上げると簡単に云わないで下さい。
例え1%上がっても景気は落ちると思います。
庶民はみんなギリギリの生活です。
かといって物品によって税率が異なるのは
もめ事の素です。
それより何百万もする車とか宝石とか買える人達に
物品税を払ってもらえば一番いいと思います。
お金のある所にはあるんです。
と同時にカラッケツの人達も大勢います。

子供の名前で親から金をとる話にしても
私はよくあんな大金、銀行から出せる人も多いのかな
やっぱり、金持ちはいっぱいいるんだな。
私だったら10万円と云われてもすぐに出せません。

物品税こそ真の意味の公平だと思います。
そうなると、又、車の会社とか色々な所から
政府の要人へ働きかけ、変な事が起きるかも
分かりませんが、そういう事は総理が
きちんとしっかりしていれば大丈夫です。

私はささやかな本屋です。
本は売れなくなってきました。
売れないような仕組みが沢山出て来てしまったし
つらい、苦しい。
でも、私はやっぱりこのささやかな店を
持ち続けたい。子供達に読書の喜びを
体得して欲しいから。
紙芝居はそのスタートです。






★★ 『イセザキ書房TV④ 前半・後半』 ★★
夏休みスペシャル!
佐藤が戦争体験について語っております。
大変貴重な話ですのでぜひご覧ください。
よろしくお願い致します。









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2013年7月20日土曜日

憲法96条の改正は反対です


私は先週も書きましたが、33歳にもなって
10才以下の子供が5人もいる男にも
召集令状がきて、海軍に入隊させられ
最終的にフィリピンの負け戦の中で
戦病死(野たれ死にだと思います)
してしまった私の父。

私は、父の仇は一体誰だろうと
ずーっと本を探りながら探しました。
どの日本史の本も明治維新までは
詳しく書いてあります。
大正は短かったせいもありほとんどなし。
そして、昭和はポンと戦後になります。
大正の終わりから昭和20年の敗戦までは
何もありません。

そう思いつつも、第2次世界大戦が
なければ私の父は34か35才で
訳の分からぬ死に方はしなかったはずです。
一生懸命探していたら、ありました。ありました。

『「昭和史の大河を行く」第2巻
      ~開戦、東条英機が泣いた~』

発行は毎日新聞社で
3年余りしかたっていません。
著者は保坂正康。

第1巻は
『「昭和史の大河を行く」
      ~靖国という悩み~』

これは私は、未だ入手しておりませんが
来月には何とかなると思っております。

明治維新の事は詳しく書かれ、
一寸考えのある日本人なら
みんな様々の事を知っております。
ところが、昭和時代はなぜか敗戦まで
何もありません。

東条英機という名前は
私は昭和8年生まれですから
子供の時代ながら毎日毎日聞いた名前です。
すでに日支事変は始まっていました。
それを片付ける事もせず、
日・独・伊、三国同盟を結び
米英を相手に昭和の初めから
様々な事情があったにせよ、
米英を相手にして勝てると思っていたのだろうか。
あまりにも他国の事情を知らなすぎだと思います。

日清、日露に勝利をおさめたという事で
自国の力を冷静に観る事が出来なくなった
軍部だったんだと思います。
そして、軍部は国会官邸と権力闘争が
どんどん大きくなりました。
国会議員も軍に不利な事を云おうものなら
命が危ないというような側面もあり、
もうその力の勢いはとどまる事を知らず
大きくなってゆくばかりでした。
元老の西園寺公希は、首相奏請の役を
務めていたが、この広田内閣を以って
その役目を実質的に辞めております。

こうして、国会の周辺からは
次第に気骨が消えていった。
軍服姿の将兵たちが闊歩する時代に
変わって行った。

私は、当時の時代の歴史を
説明しているのではありません。
昭和初期は、軍がどんどん大きくなり
昭和天皇でさえ御心配をなさるまでに
軍の力は大きくなってしまったのです。

現総理は、≪憲法改正≫という事を
云い出しましたが、国会の反発が大きかったので
今選挙中は云わないつもりらしい。
私は、血は争えないなと思いつつ、
この文章を書いております。
現総理は、岸信介の孫にあたる方ですね。
この辺になってくると
大分身近になるので、年令の高い方々は
思い出す事があろうと思います。

私は今思います。
大きな犠牲を払ったけど
太平洋戦争に負けて
本当によかったと思っています。
絶対にないけれど、もし勝っていたら
今頃日本人はどういう事になっていたでしょう。

色々問題は残っていますが、
又、本当の民主主義国家かどうかも一寸?ですが、
少なくとも軍の力まかせにしていたら
こんなに60年余も平和が続いたかどうか分かりません。

太平洋の周囲をぐるりと
支配しようとしたんでしょうが、
当時も現在もそんな力は
日本にはないと私は思っています。
国民に犠牲をしっかり払わせて大国になるより、
国民一人一人がみんな元気に幸に
生きる方が、私は素晴らしいと
思っています。
人生なんて短いものです。
自衛隊は、装備を万全にして力をつけておく必要は
あると思います。
あくまで自衛隊です。

この件以外については
私は勉強不足ではっきりと申し上げられません。
もっと勉強しなくてはいけないと痛感しています。


八十という 年令(とし)重ねても
      学ぶ事 次から次へと 
               両手(もろて)にいっぱい





















  





『イセザキ書房TV③』 



YouTubeで過去の動画をすべて観る事ができます。
よろしくお願いいたします。











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2013年6月1日土曜日

私は幸せでした

私が成人して、80才になるまでの約60年間、
ほとんど働く時間でありました。
決して生易しい生活ではありませんでした。
特に、横浜に出てきて、
昭和31年にイセザキ書房を開店してから
20年間位は先ず順調に生きてまいりましたが、
昭和の時代が終わり、平成になってからは
次々に新しい仕組みがあらゆる分野に
出てきて、零細書店も一日一日苦しい道を
歩まなくてはなりませんでした。

色々な人々にお世話になったり、
協力したりしていただきながらも
前進しているという実感が薄れてまいりました。
私自身も年齢を重ね、楽しい毎日では
なくなりました。

だけど、だけど、私はとても幸せだったと
今、思います。
それは60年間、戦争がなかった事です。
日本に関わる戦争がなかった事です。
苦しい道は色々あるけど、
戦争ほど酷いものはありません。

60才以下の方には理解が難しいと思いますが、
空襲の中で火の中を防空頭巾かぶり
「もう死んだ、もう死んだ。」と思いつつ
逃げまどった本土空襲。
そして、父を召集兵にとられ、
戦病死という事になり、母一人に五人の兄弟は
育てられた日々。

戦争とは第一線だけではありません。
国民という人間全体が苦悩のるつぼに
投げ込まれる事です。
その戦争が一度もなかった事は
日本人は幸福であったと思うべきだと
80才になった今、静かに考えております。

何が怖いと云っても、
戦争は一番苦しい、苦しい生き様です。
戦争には勝者も敗者もありません。
戦争がなかった事に、私はいつも神に深く
感謝しております。






~ 『原色魚類大図鑑』好評発売中! ~








YouTube『イセザキ書房TV①』
今回は、京浜急行「黄金町駅」からイセザキ書房への道案内と、
社長の佐藤による店内のご案内(前半)です!
毎月1回、様々な情報をお届けします。
よろしくお願い致します。













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2013年1月12日土曜日

私を鍛えた36年間

  昭和50年 このノート幸あれと祈りつつ
              筆をおろして書き初めたし


取り返しのつかないことというのは、
生きている間に次々あるものだと分かった。

亭主が厳しいという事は、妻の人間を鍛えることだと、
母が云った事がある。そうだと思う。
私の夫がやさしい人だったら、
叩かれ、殴られなかったら、
ここまで来られなかったかも分からない。

あれもしよう、こうもしてあげよう、あの本を読もう、
あの映画を観ようと思ったけど、
なかなか現実は難しかった。
人生は、こんなことで終わってしまっては
本当に困る、つまらない。


  朝顔のカットの中に
       過ぎゆきし 幼き夏の想い出わき出す

  ショックあり 悩みも過ぎて来たけれど
                 悔しさ残り諦めきれず

  見事なる 割り切りの前に 
                悲しさも悔しさも減らず時すぎぬ

  傷深く 心痛めしい小半月
            時の流れのありがたきを知る

  重ねられる この苦しみを いかにせん
            我が心との戦い 打ち克たん

  果てしなき 奈落へ落ちる心地して
            昨夜も今宵も 浅きまどろみ

  あの夏の苦しがりし日 
         この春の嘆きは深く 又我を失う

  おととしの嘆きの春も こぞの春も心いためて
            苦しき春ばかり

  こんなにも 苦しい事があるものか
              去年の嘆きも 今年も苦しく

  ゆとりある暮らしを 我は望むれど 
           生き様厳し 又も夫に殴られる


36年間、楽しい事もあったけど、
苦しい日ばかり続いた。
独りになってみて、夫の写真をあちこちに飾り、
今も私を叱咤激励してもらっている。

夫婦とは、甘いばかりではないと思った。
私の場合は、いつ破裂するか分からない爆弾を
かかえていたような36年間だった。
そして、一年一年歳を重ねて今日という日に。

  
  父さんだよ 覚えておけよ
        0才の息子に微笑みて 戦場に発つ 

私の父と弟との別れ



戦争とは、こんな光景もあるんです。
 それを思って生きてゆきたし。

  







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2012年10月20日土曜日

人生は常にスタートラインに立つ その3

父が出征する3日前、夕暮れの波打ち際で
二人きりで話した時、私は、ふと思った。
父は、この海で又泳ぐ事が出来るのだろうか。
この海でなく世界中のどの海でも
泳げなくなるのではないだろうか。
私は、子供心になぜかふとそう思った事を
何十年経っても忘れない。

その時父が、
「智子は大学へ行ってしっかり勉強してくれよ。
お前なら一角の人間になれるよ。」と云った。
この言葉も私は、ずーと忘れずに生きて来た。
香川県でなら高松高女が一番だから、
高松のおばさんの家へ寄宿して、高女へ行こうと
思っていた。
ところが、その時教師をしていた尾島のおじに
「今、高女は空襲で焼けてしまい、元に戻すのは
時間がかかる。津田女へ行った方がいいよ。」
とアドバイスを受けたので、ならばとそう決めた。
受験準備らしきものも学校ではほとんど
してくれなかった。当時の受け持ちの教師は
この方面の力はなかったと、今にして思う。

そして受験当日。
筆記試験と口頭試問。かなり緊張した。
それでも、試験は終わり、発表までに1ヶ月位、
いや、それ以上の時間があったように思う。
私はその間、受かれば  受からなければ
どうしようかと悩みつつ、疎開して来ていた
千賀のおばに、お花とお茶と習字を
教えてもらう事にした。
お花は、それ以来ずーっと、おばが神戸へ
帰るまで10年間位習い、
“ 末生流奥伝 ”  までとれた。おかげで
(仏壇へお花を供える時でも、
自然に手が動くさまになる入れ方が出来る

そして、受験発表の日。
母が見に行ってくれた。受験番号は、18番。
母は、たまたまそこに知り合いの高島先生が
いたので、
「高島先生、うちの娘、受かっとるかしら?」
と聞いた。見れば分かるけど、
母はどきどきしながら聞いたらしい。
高島先生曰く「名前は?」と聞く。
「名和智子。18番です。」と云うと、
「あ、名和智子。一番で入ってますので
入学式の時、誓書を読みますよ。」
と云われた言葉を聞いて、
母は、ほっとするというか、うれしいというか
一番で入学できたので、「よかった、夫が
帰ったら喜ぶだろうな」と思いつつ家に帰り、
祖父と祖母に伝えた。

祖父は「そうか一番か、よかったのお。」と云い
祖母は「智子が受かるのは、分かっていた。
だけど、一番とはやっぱり智子らしいわ。」
云った。 妹・弟達にも話したけど、みんな
まだ、小さくてどんな反応をしたか
よく覚えていない。

入学式には、160名の新入生総代として、
誓いの言葉を読んだ。
物のない最低の時代だったので、
制服も黒の毛糸で編んだセーターを
着ていた子もいた。私は、古い着物を使って、
ちゃんとしたセーラー服を作ってもらった。
普段の日は、黒いネクタイ。
祝日登校の時は、白いネクタイと決まっていた。
今のように、祝日は休むだけでなく
式典があるので登校した時代。

私は、一年一組。
大森先生が、クラスの担当の先生だった。
先ず、教科書は古いのを調達して、いけない所は、
墨で黒く塗りつぶしたものだった。
国語の本沢先生は、教科書のないのを
逆手にとって、毎時間、古事ことわざを
黒板に10件位ずつ書き、その言葉の
成り立ちの説明をしてくれた。

 雨降って地固まる

 画にかいた餅

 得手に帆をあげる

 鳶が鷹を生む

 角をたてて牛を殺す    etc.

私は、この国語の時間がなかったら、
知らない事ばっかりだったと思う。
本沢先生に感謝する。

習字の時間だったと思う。
時間の始めに、一人一人名前を呼ぶ。
そして、樋端英子さんと呼ばれ、「ハイ。」と
返事をした時、先生が、
「樋端大佐とは、何か御親戚ですか?」と聞く。
樋端さんは、すっと立ち上がって、
「私の父です。」と答えた。
びっくりしたのは習字の先生。
「え?貴方のお父さん?」と。
私もびっくりした。それまで知らなかったから。

樋端さんも成績の良い友達で仲が良かった。
驚いたのは、教室の隅に置いてある
オルガンで何でも弾くので
「あ、家にピアノがあるんだな。」と位にしか
思っていなかった。
山本五十六の武官で、山本五十六と共に
南の空に散った有名な樋端大佐。
あれから、日本の敗色はいろ濃くなったのだ。
さすがだなぁと思い、仲良くしていたが、
一年生の終わりに、
「名和さん。私ね、母の実家のある東京へ
行く事になったの。お別れね。」
と云って、たった一年だけで津田高女から
去って行った。
 「又、いつかどこかで会おうね。」と
指きりして別れた。
しかし、「又、いつか」は、半世紀過ぎても
終に再会は、叶わなかった。

地方の高校だけど、疎開したり、
焼け出されたり、引き揚げて来たりした
優秀な先生にもおかげで会う事が出来た。
不幸中の幸いだった。

私達が二年生になった時から、
教育制度が、6・3・3制に変わった。
そのため。私達は、
大川女子高等学校併設中学校二年生になり、
次の年もその次の年も
後輩は入学してこない。
みんな、夫々の地方に新制中学校が
出来て、そちらへ入って行ったので。
三年目に晴れて高等学校二年生になった時、
地方の中学から、高校一年生が入って来た。
その時は、男女共学だから男子生徒も
入って来た。
学校の風景が変わった。
雰囲気も変わった。

一年下と云っても、男と女。
あの子素敵とかいう声もちらほら。
普通科と家庭科とあったので、
家庭科は女子ばかり。
人数の関係から、科目によっては
一年生と二年生が一緒に学ぶ
時間もあった。
小学校の時も男子組、女子組と
男女組というのがあったけど
その時の男女組とは全く異なる雰囲気で
なかなか出来る男の子や、いでたちの好い
男の子は、もてていた。又、その反対もあり。

私が、二年生の時、生徒会が出来た。
会長は、全生徒の投票で決める。
体育の先生が、「名和さん、立候補せよ。」と
云われるので、私は立候補した。
1名のところ、3名立候補し、選挙運動もあり、
立ち合い演説会もあった。
三年生からも一人出ていたので激戦だった。
私が、2位と4票の差で当選。
2位は、三年生の生徒だった。
それから一年間、生徒会長としても活躍した。
学芸会・文化祭などにも大活躍した。
今から考えると、若い先生との年齢差は
5年位。先生の方も、生徒を愛の対象として
見ていた様子。それに応えた生徒もいた。

私は、結局6年間在学した訳だ。
私は、弁論大会にも年に何度も出た。
県大会でもほとんど1位になった。
話す事にそろそろ自信みたいなものも
出て来た。 しかし、体育が苦手であった。
ある時、私が創作ダンスで[祈り]と題して
自作自演したのが、体育の教師の目に止まり、
体育も決して嫌いではなくなった。

6年間公私にわたって、私は大活躍した。
私と1年間でも一緒に学んだ人は、
みんな≪名和智子≫というのは知りすぎている。
楽しい、楽しい6年間だった。進学クラスに入り、
私は大学進学するつもりでいた。
だが、思はぬ事が起きて意のままにならず。
父の戦病死の報は、女学校一年生の時。
学校では、この上もなく活躍し楽しかったが、
家庭では、父を亡くした事で大変だった。

戦争のおかげで、私の人生航路に
くるいが出始めた。卒業も一番で卒業し、
今も、私の卒業式の答辞は、
学校に保存されているらしい。
60年以上も経っているのに。

さて、私は、どうすればよいか、思案に暮れた。








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