2009年7月18日土曜日

Oh Babysan


私は20代の初め1955年頃、夫と共に横須賀ベース前でアメリカンネービー相手の洋書店を開いていた。時々、将校も来店したけど大部分は若いセーラーが中心であった。
「ユー、ガッタ、ベビーサン」(Have you a Babysan)とは云ってくれない。
2坪程の小さな店で毎日毎日、何十冊も売れに売れた。
単価は当時の1ドル360円だった。
著者は誰か、出版社は?そんな事は全く私の頭の中にはまるでなかった。
(未だ私は書店人ではなかったので)
店の前にはリキシャが並んでリキシャボーイが客の呼び込みをしていた。
セーラーはタクシーではなく人力車に喜んで乗って目的に向っていた。

右隣りにはグランドチェリー(GRAND CHERRY)というキャバレー。
昼過ぎから夜中まで音楽がうるさく鳴り響いていた。
左隣りには真珠やさん。ハワイ生まれの二世の日本人が、たくみな英語で商売をしていた。真珠は日本の土産として大変人気があった。
午後開店して夜9時には閉店。短い営業時間で本はとっても効率よく売れた、ペンギンブックとか、ほとんど今でいうハンディタイプの新書版だったけど。
本以外にライターとかリボン(肩や胸につける記章)くし等もよく売れた。
リボンでよく売れたのはYokosuka Occupation 。
当時は、もう日本は独立していたけれど横須賀へ入港してくる軍艦のセーラー達は得意がって横須賀占領軍という肩章をつけていた。
横須賀に来て夫に、はっきり云われた。
「ここは英語の世界、日本語は何も通じないよ」と。私は毎日英会話学校へ通ったけれど学校で学ぶより客との会話で覚える言葉の方がずっと役に立った。
水はウオーターで通じなかったらウォーラーですぐ分かった。
600円というのもシックスハンドレットイェンでは全くスムーズにゆかないがセックスハンドレットイェンと云ったらすぐ通じた。

ある日、アメリカ人で小学校位の男の子が「コームが欲しい」と云って、くしを買ってくれた。
男の子はすぐに自分の髪の毛を整えはじめた。するとなぜかポキンと折れてしまった。私は慌てた、困った・・・・・・・・・・・。
その時その子は、こう云った「これは今、僕が買ったくしだから僕の物だ。僕が僕の物を壊したのだから君は何も責任はない。もう一つ新しいものを買う」と云ってお金を出し、新しいくしを持って「サンキューベビー」と云ってにこにこしながら帰って行った。

帰って来た夫に事の顛末を話した。夫曰く「アメリカ人はそこははっきりしているよ。自分の買ったものだから、これは僕の責任だという契約観念が子供の時から備わっているんだよ」と。
私は驚いた。アメリカ人の人とはそういう人種なのかと。
ほどなくしてある日、何かベースの中から音楽が響いて来た。
すると、街を歩いている兵隊達が全部歩みを止めてベースの方へ向って挙手の礼の姿で立っている。国旗に向って全員みんな挙手。音楽が終るまで。
私はアメリカ兵が国旗に対して、国歌に対して、これ程厳粛な姿勢をとる姿に感動した。
夫の説明によれば「日本のように単一民族国家でないアメリカが大統領と国旗、国歌というものに対しては日本人には及びつかぬ思いを持っているんだ。そこで国民の心が一つになっているんだ」と教えてくれた。
もう半世紀以上も経った今も私はこのコームの事、国歌、国旗への敬礼の姿は心の中にしっかりとやきついている。
「Babysan」について2年程前あるフランス文学者との話の中で話題になった。
そして、私の為にアメリカから一冊、取り寄せてくれた。
手の上に乗せてみると表紙のベビーさんが私に語りかけてくるような思いになった。
それも、そのはず。私にとって子供から大人への道程を歩んでた頃、私が胸いっぱいの希望にあふれていた頃出会った本ですもの。なつかしいの一言だ。

本を手でさすりながら頁をめくりながら実質的に私の一番の教師だった夫も17年前に他界してしまったけれど、懐かしさでBabysanの上にほろほろと涙がこぼれた。

そしてブログに09/06/29にコメントをくれたkentaさん、ありがとうございました。
Babysanの著者、ビル・ヒューム氏が今年の6月7日に93才で亡くなったという事をコメントを見て初めて知りました。
私はBabysanは沢山、売ったけれどその著者については全く無知でした。

彫刻家、芸術家、俳優、腹話術師、作家、ピエロ、写真家、アニメーター、テレビプロデューサーと何でもできた人だったらしい。
日本へ海軍下士官としてやって来た時に書いた非常によい風刺漫画がBabysan。
一番売れた本だったようだ。
しかし彼はこういっている。
”I didn't invent Babysan、”he says.
「私はBabysanを発明しませんでした。」と彼はいいます。
”I just reported life as it was."
「それは人生でしたが、私はただ報告しました」

片言の英語を話して最新の洋風の衣服をまとい、いかにも背が低くコロコロした日本人らしい可愛い少女の姿であった。

私にとっても少女から大人への時期、そして関東の地をはじめてふんだ時代、夢を体いっぱいにふくらませて。
人生、曙の時期の事、忘れる事ができない。
Babysan、OhなつかしいBabysan・・・・・・・・・。

ビル・ヒュームさん、お世話になりました。
有難う、有難う、有難うございました。




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