2011年3月15日火曜日

人間は一寸先も分からない

人間の運命なんて、一寸先が分からない。

高山善太郎は殿様に褒められて土地を頂いた。
乃木将軍に耳をつままれて、「こんな所も奇麗にしておけよ」と云われた事も光栄だと皆に話していた。

明治11年1月30日に普通の家に長男として生まれ、蟹甲湾の要所要所の漁場を沢山持っていたのを、ほとんど全部相続し収入は多かったので田畑や土地や山を次々に買い小さな町だけど、その町の名士の一人に数えられていた。

和服姿の正装で出掛ける時等は振りかえられる程、立派な紳士になった。

長男・長女、次女と子供にも恵まれ長男は21才で結婚し、その町でも1.2を争う立派な家も建てた。
大黒柱は桜の太い木で大人が両手で抱えても抱えられない程の立派なもの、玄関の踏台も桜の一本物、廊下は8畳10畳の部屋から、庭が見えるようにして総檜造り。西日が入るとそのつややかな色合いの美しかったこと。
庭の樹も一本一本大金を出して丁寧に買い集めた。
サザン花も見事な物だったし金木犀の香も素晴らしかった。
松の樹も、竹林も立派だった・

息子の嫁をもらい、孫も長女.次女.三女.長男次男と10年間の間に5人生まれた。珍しいのと可愛いので、小さな赤ちゃんを着物の懐の中へ抱え込んで、あちこちへ連れて行った。
少し大きくなって「おじいちゃん、おじいちゃん」と云う言葉を覚えた頃には目の中に入れても痛くない程の可愛がりようだった。
「女の子だけど、この子は利口な子だぞ、何でも一度教えたらすぐ覚える」と云って褒め称えていた。
二女、三女と女が続けて3人生まれて来た時は少々機嫌が良くなかった。「又、女か」と云って見にも来てくれなかったと嫁が嘆いていた。

4人目に待望の男の子が生まれた。

その喜びようは表現の仕様もないほどの大きいものだった。
これで、高山の家は安泰、3代目が出来たと云って親戚中を集めて大きな名付けの宴を持った。
そして5人目も男の子が生まれ、高山善太郎は云う事無しという毎日だった。

次男が生まれたのは昭和18年2月6日。
雪の沢山降った寒い寒い日であった。

家庭は幸だったけど、大東亜戦争は始まっていて戦況は決して良くない方向へ向き始めていた。
二男が二月に生まれたその年の十一月に息子、善一に召集令状が来た。
老両親、妻、5人の子供を残して善一は佐世保海軍に入隊して行った。

出征の日の朝、善一は30年余の人生の中でほとんどを過ごした蟹甲湾を沖から眺めた。胸中は表現し難い熱いものでいっぱいだった。

町の名士の息子であれ、召集令状(赤紙)にはどうする事も出来なかった。

高山善太郎にとって生まれて初めての悲劇の始まりであった

18年11月に出征し、その後、一度も帰還する事もなく昭和20年はじめにフィリピンルソン島へ送られ負け戦の時にのたれ死にさせられた。
その公報が高山家に届いたのは昭和21年の8月だった。
1年以上経っていた。
孫の長女が女学校一年生の時だった。

長男次男は意味すら分からなかった。
嫁は24時間泣き続けた。

その時、高山善太郎は町一番の酒造りやで一番うまい酒「蟹甲湾のしずく」という銘柄を一本買って来て広い床の間の真ん中に殿様から頂いたという掛け物をかけ立派な台の上に乗せて
「高山善一よ、早く帰って来い、酒を準備して待ってるぞ」と半紙に書いて張った。
誰も見た人がいる訳でもなく、遺骨の箱には紙キレ1枚しか入ってないのに死んだなんて信じられるか、必ず善一は帰ってくると云って独り酒を眺めていた。


高山善太郎は毎日その酒を眺めて「善一よ早く帰って来い」と必ず声に出していた。

しかし善太郎も70才すぎるとめっきり力が弱まった。
孫の長男に善一と呼び間違える事が多くなった。
その頃、善太郎の妻が目を悪くして手術したがほとんど見えなくなった。
息子の戦死から高山家は狂いだした。
「とうとう盲目にしてしもた、むごいのを」と何度も云っていたのを孫の長女は聞いて悲しかった。と同時に夫婦の絆というものを思い夫を死なせた母を気の毒に気の毒に思ったけど、どうする事も出来なかった。
孫の長女は高校を卒業すると2年も経たず結婚して家を出た。
「息苦しくて早く出たかった」と云った事があった。
高山善太郎は88才でこの世を去った。


幸そのものだったこの男にとって88年はどんな人生だったのだろうか。

大事にした二人の男の孫に抱きしめられ床の間の「蟹甲湾のしずく」を抱かされて「おじいちゃん、お父さんが待ってるから、このお酒を持って行って、一緒に飲めるよ」と云って送りだした。

高山善太郎はよく働く明治人であった。
妻にも恵まれ子供にも孫にも恵まれたけど肝心の長男に先立たれた悲しみはさぞや云うに云われぬ深いものがあっただろう。

人間の運命は誰にも予言出来ない。
先日の津波にさらわれた人達も運命だったのか。

東北地方太平洋沖地震にて被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。

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