2011年6月12日日曜日

幸せとは

紀子は還暦を過ぎ、古希を過ぎた頃から、父方の祖父母の事が思い出されて、たまらない。
父は小学四年生の時、召集され終戦の年の6月、フィリピンのルソン島で戦病死(のたれ死に)した。

妹二人、弟二人の五人兄弟の長子である紀子は何かと小さい時から初めての孫という事で両親というより祖父母に大事にされた。

足に出来たおできがどんな薬を付けても治らなかった時、T市の赤十字病院へレントゲンにかかる為祖母に連れて行って貰った。
紀子はレントゲン室に入るや否やその、ものもしさに、おじけづいてしまい「嫌だ、嫌だ」と云って中に入ろうとせず、祖母も仕方なく折角 汽車に乗せて連れて来たのに・・・・と思いつつ従来の太陽灯をかけただけで帰ってきた事があった。

祖母の実家は徒歩10分位の所なので未だ祖母の母が生きていた頃は何事かと云えばすぐにとんで出掛けていった。

祖母も長子で下に7、8人弟・妹がいた。
結婚式だ法事だ 、何かというとすぐに呼ばれて駆けつけていた。
エプロン片手に行く途中で体につけて、着いたらすぐに全員を指揮して動かしていたようだ。
とても才覚のある女だったから皆が「カナさんカナさん」と当てにして待っていたようだった。

頭の良い血筋であったらしく末弟は大正時代の初期に生まれ、家にも大した金も無かったのに、中学校(当時は6・3・3制では無かった)の先生が「三谷君は東大を受けてみろ、受かると思うから」と家では反対だったけど兄姉達が少しづつお金を出し合ったりして受験し医学部へ入った。
何十年か経った頃だと思うが和歌山の国立大学病院の院長を務めて終わった。 あの当時、特に勉強の出来るような環境の家でも無く、朝4時に起きて漁師の仕事を終えギリギリに登校し、帰って来てからも家業は、はずせず夜1時間位と汽車の中だけが自由に学べる時間だったようだ。

他の弟や妹も皆、成績のよい人ばかりであったのに祖母は小学校三年生までしか学校に行っていない。家業の手伝いをさせられていたらしい。
義務教育は小学校3年生までであった。

でも漢字もよく知っているし仏教には念厚く、毎朝、毎夕、お経をあげていた。
紀子はそれを毎日聞かされて覚えるまでになっていた。

ある時、紀子が高松熱にかかって10日間以上も寝ついてしまい高熱にうなされ、町の医者が毎日訪問してくれていた事があった。
少し快くなった頃、祖母が絵本を10冊位持ち帰り、寝ている横で読んでくれた。
そのうち「自分で読みたい」と云って紀子は体が良くなるにつれ、絵本を読むのがとても楽しみになった。
祖母は実家から借りて来たらしい。

妹二人が氏神様のお祭り用の奇麗な着物を着て紀子の枕元に着た姿を見せているので秋祭りの頃だっただろうか。
小学校に入る前だったと思うけど、紀子はいつ覚えていたのか小学校一年入学する時には、カタカナもひらがなも全部読めるようになっていた。
叔母から貰った積木(表にカタカナ、裏にひらがな)で覚えてしまったようだ。

紀子の祖父は毎晩、単刀箱という、ものものしげな書類箱を重々しく開いて大きなそろばん(幅、15cm厚さ5cm長さ35cm位ある)をおもむろにはじく。
そして日付を入れて押し入れの奥の棚へ大事そうにしまっていた。
必ず毎晩の行動なので紀子は覚えてしまった。

そして時々、40代、50代以上のおじさんが入れ代わり立ち代わりやって来て何か難しそうな話をして帰って行く事が良くあった。
その時、タバコ盆を用意するのは祖母の仕事であったがいつの間にか紀子の仕事になった。

「紀ちゃん学校がよう出来るんやってね今度お土産持ってきてあげるよ」とか云ってくれたりした。
お正月が来るとこの人達が紀子達三人姉妹の色塗りの上等の下駄をいただけるのを紀子は知っていた。
楽しみにしていた。
そろばんを使っている祖父が何か口の中でムニャムニャ云っているので。「おいちゃん、何云ってるの?」と紀子は尋ねた。
「九九だよ」という返事。
九九って何?教えて?」と紀子が云うと祖父は2・2が4、2・3が6・・・・・と歌うように長い言葉を聞かされた。
紀子は「のりこにも教えて」と云ってそれから毎晩九九を学び始めた。
先生は祖父か祖母、紀子は小学校へ入る前に九九は全部覚えてしまった。

父が居て、母が居て祖父母が居て弟妹達が居て全部で九人家族の時が八ヵ月間あった。
大きな食台の周りに大したご馳走が無くても、家族全員でとる夕食は幸福という大きな素敵な何物にも優るご馳走であったと70年以上経った今、紀子は懐かしくて涙が出そうになる。一番楽しかったなあ。幸せだったなあ。

もうあんな日は再び来ない。

大家族も決して決して悪くない。

家族、みんなが謙虚に生きて行けば、とても幸せな生き方であり、人生の歩み方として合理的な生き方だと今つくづく人間らしい思いに紀子は、胸をあつくする。

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