2012年8月9日木曜日

私の広島

 広島市へ原爆が投下されたのは、
昭和20年8月6日午前8時15分。
一つの市が、丸ごとなくなってしまい、大勢の人が死んだ。
又、病気になったまま亡くなっていった人もいた。
当時の事を知っている人は、日本国民の中でも
もう、1割くらいかなと思う。
随分、昔の事のように思うけど、
日本の歴史の上では、大変重要な事件であった。

私は、幸いにして四国 に住んでいたので
何の被害も受けてはいない。
しかし、毎年8月の初めになると、
広島・長崎の原爆の日は、必ずやってくる。
そして、ニュースとして扱われる。

なぜ、ここまでくるまで白旗を上げなかったのか?
沢山の犠牲を出し、なぜこんなところまで戦を
進めたのか?腹が立つ。

私は、毎年8月15日は、終戦の日ではなくて
” 敗戦の日 ”
として、私なりに祈りを捧げて来た。68年間。

私には、原爆の被害はなかったが、
その前年、昭和19年8月に広島の駅で
父と永遠の別れをした。

母・祖母・上の妹・下の弟、そして私と5人で
広島へ面会に行った。
電報が来て、準備もそこそこに弁当だけは
しっかり造って5人は列車に乗り込んだ。
それから、米を持って、米は旅館へ。
下の弟は1才。母の背中にずっと背負われていた。

指定された旅館で待っていると、まもなく父がやって来た。
「お父ちゃん」妹がとびついた。
私は、父の顔を見て、笑っていたので安心した。
母も祖母も涙を流す。
下の弟だけがキョトンとして赤ちゃん座りをしていた。

あぁ、あの瞬間のあの光景は、忘れる事が出来ない。
旅館と云っても、食事はほとんどなく 、
持参した弁当を拡げ、父が、おいしそうに食べているのを
私は、じっと見ていた。
ふるさとの味、祖母が懸命に作った巻きずし、
煮魚などなど。

父は、下の弟と別れて1年位経っていただろうか。
「敏延よ。父ちゃんだよ。こっちへ来い。」
と何度云っても、唯、顔を見ているだけで
近寄ろうとしない。無理もない。
別れた時は、生後10カ月。
父だと分かるはずがない。
父が、少しずつ寄ってきて、扇子の先で
「父ちゃんだよ、敏延。」と何度云っても、
唯、じっとしていた。
そして、父の手に持っていた扇子の先に
一寸さわって、父の顔を見て
後ずさりした。

父は抱きたかったのに、下の弟は全く動かない。
そうこうしているうちに、食事も一段落した時、
祖母は、帰りの切符を並んで買わなければならない
と云って席を立った。
大きな蚊帳の中に布団が敷かれ、
私も妹も弟も疲れてしまったのと、
父と会えた安心感で、多分眠ってしまった。
父と母の話声もかすかに聞こえてきたが。
祖母は、夜明け近くに切符を持って帰って来た。
「そんなにかかったの?おばあさん。」
と私が云うと、
「大勢だもの、時間はかかるよ。」
と答えた。
私は、自分が成人してから、
あぁ、あの時祖母は、父と母の2人の時間を
少しでも長くしてやるべく駅で寝たんだと分かった。
祖母は、そんな事は一口も云わなかったけど。

それから、昼すぎまでどうして過ごしたか
書く事は出来ないが。
もうじき何時間。もうじき何時間と思いながら、
私は、父の体のあちこちにさわったり、
ふざけたりした。
時は、刻々と過ぎる。

昼すぎ、身支度を整え、6人は駅へ向かった。
父の乗る列車のホームと、私達の乗るホームは、
線路を挟んで並んでいた。

妹がいち早く父を見つけ、「お父ちゃーん。」 と
大きな声で叫んだ。
聞こえたかどうか分からないけど、
妹は、「お父ちゃんが泣いている。」と云って
オイオイ大声で泣き出した。
見ると父も確かに泣いていた。
私も胸から込み上げてくるものを
おさえる事が出来なかった。
母の眼にも祖母の眼にも涙、涙。
背中の弟だけは、眼をくるくるさせて
不思議そうな顔をしていた。

そして、この瞬間が、父との永遠の別れになった。

父はその後、南の島フィリピンのルソン島へ送られ、
昭和20年6月23日、戦病死となった知らせが
昭和21年に来た。
何が戦病死だ。きれいごと云うな。野たれ死にやないか。
あるいは、共食いだったかも分からない。
食べ物も何も持たせずに兵隊だけを送りこんで
どうするつもりだったのか?

私は、私の父を殺した人間を探し出して必ず仇を討つ。
79才の今でも未だにそう思っている。
誰なんだ、父を殺したのは。

私のような思いの人間は、日本に沢山いる。
そして、毎日、毎日、無念を晴らす事なく
年老いて死んで行ったんだろう。
歴史の上では、広島・長崎の原爆被害とされているが、
そんな単純なものではない。
よくもアメリカ相手に戦争をしたもんだ。
今頃、地獄の200℃の中で苦しんでいろ。
日本の都市のほとんどが空襲を受け、
東京も焼け野原になったあの3月の日。

戦争を止めさせて欲しかった。
出来なかったのだろうか。
いや、そんな事はない!
運命として片づけるには、あまりにも悲しすぎる。

私は、あの世にまでこの恨みを持って行く。
お父さん、5人の子供はみんな立派に成人して
夫々社会に貢献しています。






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