2012年11月17日土曜日

人生は常にスタートラインに立つ その4

私は、大学進学をずーっと考えていた。
出来れば、京大法学部。
しかし、私の実力では難しいので
一年間浪人しようと思っていた。

「大学へ行きたい。」と
祖母、祖父母に云った。母は何も云えない。
我が家のすべての権限は祖母にあった。
その祖母が、
「若い女の子が一人で京都まで行ってどうするんだ。
大学へなど行く必要ない。洋裁学校へ行くなり、
和服やあみもののけいこをしていればいい。
京都なんてとんでもない。」
祖父は、
「お前一人という訳にも行くまいに
5人の孫全部大学へ行ったら家業が駄目になる。
女が大学へ行ってどうするんだ。」

私は、自分でお金をためて自力で行こうと決意した。
たまたま、中国銀行津田支店で募集している事を
聞き、銀行ならいいだろうと思って受験した。
筆記試験、口頭試問もあったが、一発で合格。
「出来るだけ早く勤務出来るよう考えておくように。」
と指示された。
私の心は他にあり、大学の通信教育で学ぼうと考え、
旺文社の通信教育にも申しこんでみた。

しかし、一年経っても10万円の額にも届かない。
もっと何かで稼ごうとおもったけど時間がない。
銀行に入ってみて、サラリーマンは毎日
同じ事をしてよく飽きないもんだなと思った。
しかし、そろばんは上達した。
特別に時間を割いて習わせてくれた。
数字の書き方、小切手の書き方も覚えた。
そして、それより何より、札勘定が上達した。
あの銀行時代がなかったら、
今でも私はこんなに スムーズに札勘定が
出来なかったと思う。
ちょっとした要領を何百回も練習した。

ある日、町の大きな材木会社の社長がやって来て、
支店長に「名和さんと一寸話をさせて下さい。」と云って
私をそとへ連れ出し、横道の石段の所へ座って
話し出した。
「実は、私の家内の弟が、中央大学法学部を出て、
就職先に思うところがないし、サラリーマンは
向かないと云って、横須賀のベース前の通りで
洋書店をやっています。
今まで妹に手伝わせていたんですが、
妹が “大学へ行きたいので、やめさせてくれ 。
兄さんは結婚して奥さんと一緒にやってくれ。”と
云い出しまして、弟が結婚したいと云ってきたんです。
妹が云うには、津田の名和智子さんなら兄さんに
ぴったりだと思う。と云って来たんです。
名和さんどうでしょうか?」
思いがけぬ質問に、返答のしようがなかった。
「一度、会ってみて下さい。その上で考えて下さい。」
と言い残して帰って行った。

結婚。私は全く考えていなかった。
特に、好きな人もいなかった。
大学の事で頭はいっぱいだったし。
その弟の家は、県下で一番大きい製材店と東讃のバス会社、
高松でタクシー会社を経営している。
父親は亡くなっていたが、長兄が中心になって企業は
どんどん大きくなっていった。
手伝っていた妹は、私の高校の一年下。
私の事は、充分に評価して知っているので、
「兄さん、名和さんとならぴったりだと思う。」
とか云っていたらしい。
早速、田舎の実家へ連絡して、
「結婚相手になりそうな24才以下の女性を
集めておいてくれ。」と頼んだらしい。
当時は、仲人業というのがあって、
似合いそうな男女をとり結ぶ仕事をしていた人がいた 。

そして時代は、池田総理が、
「貧乏人は麦を食え。」と云って問題になった頃だった。






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