2012年12月1日土曜日

地球時代

今は、地球時代。
言語としては、沢山ある中で英語が一番強い。
ヨーロッパ旅行の時も、英語がやはり優勢である。
だから、みんな英語を学びたいと思うのは当然。
ある会社では、社内での私用語も
すべて英語に かえたらしい。
外国との取引が多ければそうなるのもうなずける。

しかし、私達は日本人。
何をおいても先ず、日本語の読み書きを
おろそかにしてはいけません。
日本人である事をしっかり心の支えとして、
日本語は非常に難しいので
きちんと学んでおかねばならない。

機械化の時代から、情報化の時代に
移りつつある現在、便利であるというだけで
生活全般に至って新しい道具だてを揃え、
それを主流にするには考えなくてはならない事が
沢山ある。

近頃、毎日のように、殺した殺されたという情報が
流され通しだが、よーく考えてみると、
情報化時代の道具が使われている場合が
だんだん多くなってきた。
要は、こういう物は使い方次第で
良くも悪くもなるという事を、
私達はしっかり頭の中に入れておかねばならない。

殺人予備軍は、どんどん増えている。
住所不定・無職と、必ず肩書に出る。
仕事は減っているかもしれないが、
人間も減っているのだから、そのつもりになれば
何か仕事はあると思う。
現に、店頭張紙がチョロチョロ見えはじめている。
私は、街を歩きながらいつも 《 求人広告 》 を
注意して見ている。

じっと見ていると、時代の流れを映しているので
今、人間の流れはどうなっているかよく分かるし、
景気の善し悪しを書いてあるようなものに
見えてくる。
30年前の本当に人手不足の時は、
軒並みに張ってあった。

今は、主として飲食関係の店が人手不足らしく
思える。夜中まで開店しているような店は
時給はそれなりに高い。
だから、本当に真摯にコツコツと生きてゆこうと
思えば、無職・住所不定には、ならなくてすむ。
真剣に生きようと考えている人には
他人を殺してまで大金を奪おうとする発想は
思い及ばない。

東南アジアからも稼ぎを目的として
来日している人も多い。
時にして、何かの犯罪の中に巻き込まれたのか
巻きこむのか、あまり珍しい現象ではなくなった。

私達は、日本人であるという事を
しっかり胸に抱いておいて欲しい。
外交は、一番大切な仕事です。
政治家も外交の出来る人が
浮かび上がってくるとくると思う。
しかし、政治家でない私達一般庶民も
世界中の人と素晴らしい競争と、
そして、外交をやる必要があるように
私は思っている。

向う3軒隣りに外国人が混ざっているのは
珍しくない。
一寸つき合うには 難しい面もあるけれど、
時代はそちらに進んでいる。
地球全体が皆ひとつ。
いつの日か(私は勿論生きてないと思うけど)
地球と他の ★星★ が戦争をするような日も
来るかも分からない。

本当に宇宙の果てはどうなっているのだろうか?
先ずは、足元をしっかり踏み込めて
地球の中の選ばれた国家 “ 日本  ”
なれるように、みんな、みんな努力しましょう!
勉強しましょう!本を読みましょう!

人間の幸は、目的に向かって
何度も、何度も再チャレンジしながら
生きてゆく事ではないでしょうか?



  私が今、2度目に亙って読んでいる本 ∞

  『その気の法則』
  ダイヤモンド社 発行
  西田 文郎 著
















面白い本とは申しません。
生きるために役立つ本と云うべきでしょうか。







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2012年11月24日土曜日

やさしさを育てよう

商店街が元気がなくなった。
従来は、同じ商店街の中では
「あの店の御主人は誰、
あの子は どこそこの店員さん。」と
みんな気質も顔もお互い知り尽くしていた。
その中にチェーン店が入ってくると
もう、御主人だ、従業員だと云ってられない。
年中出入りが多いし、本人達もお隣の事など
考えていない。

そして買い物は、スーパー・コンビニで
一通り済ませる。
 ボタンや糸を売っていた店、
茶碗類、瀬戸物ばかり売っていた店などは
いつの間にか消えてしまった。
それでも、スーパーやコンビニで買い物する客は
ひとつひとつ手にとって、さわって眺めて買っている。
私も、野菜や魚、果物類は、手にとって観てから買う。

ところが、今や、ネット商店街が出来て、
パソコン等で写真を見るだけで買う人達が増えて来た。
手にとって見なくても、すべて分かる商品もあるが、
サイズや材質まで見たいものは、私も一寸躊躇する。
唯、動かなくて買い物が出来るという
利便性の方が優る場合もある。

特に老年になると、醤油だ酒だ米だとなると
重いものを届けてくれる良さは見逃せない。
私も、テレビショッピングとかで、
失敗した経験もあるので、すべてOKとは言い難い。

しかし、知らず知らずのうちに、動かなくてよい
商店街での買い物が増えてゆくような気がして来た。
商売をやっていると、お客様とお話出来る喜びは
大きいが、そんな事もだんだん少なくなってきた。

買い物をする喜びは、商品だけではなく、
店の人とコミュ二ケーションも
楽しみのひとつだったけど、世の中は
少しずつ冷たくなってきている。

これは、買い物だけでなく、あらゆる面で
考えるべき大きな問題だと、私は思う。
学校内でのいじめというのも、
昔も全く無かった訳ではないが、
精々「入れてあげない。」と云って、
除け者にされる位だった。
そして、翌日はもう普通の状態になっていた。

いじめも子供を育てている親に問題があると思う。
≪ やさしさ ≫を子供の心の中に
芽生えさせるのは両親とか家族である。
やさしさを育てて欲しいと
世のお母さん・お父さんに申し上げたい。
子供は親の鏡です。
何もかも合理性一点張りではなく、
情を育ててゆかねば、
世の中は決してよくならないと思う。
本を読むという事がいかに大切か
分かっていただけただろうか?












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2012年11月17日土曜日

人生は常にスタートラインに立つ その4

私は、大学進学をずーっと考えていた。
出来れば、京大法学部。
しかし、私の実力では難しいので
一年間浪人しようと思っていた。

「大学へ行きたい。」と
祖母、祖父母に云った。母は何も云えない。
我が家のすべての権限は祖母にあった。
その祖母が、
「若い女の子が一人で京都まで行ってどうするんだ。
大学へなど行く必要ない。洋裁学校へ行くなり、
和服やあみもののけいこをしていればいい。
京都なんてとんでもない。」
祖父は、
「お前一人という訳にも行くまいに
5人の孫全部大学へ行ったら家業が駄目になる。
女が大学へ行ってどうするんだ。」

私は、自分でお金をためて自力で行こうと決意した。
たまたま、中国銀行津田支店で募集している事を
聞き、銀行ならいいだろうと思って受験した。
筆記試験、口頭試問もあったが、一発で合格。
「出来るだけ早く勤務出来るよう考えておくように。」
と指示された。
私の心は他にあり、大学の通信教育で学ぼうと考え、
旺文社の通信教育にも申しこんでみた。

しかし、一年経っても10万円の額にも届かない。
もっと何かで稼ごうとおもったけど時間がない。
銀行に入ってみて、サラリーマンは毎日
同じ事をしてよく飽きないもんだなと思った。
しかし、そろばんは上達した。
特別に時間を割いて習わせてくれた。
数字の書き方、小切手の書き方も覚えた。
そして、それより何より、札勘定が上達した。
あの銀行時代がなかったら、
今でも私はこんなに スムーズに札勘定が
出来なかったと思う。
ちょっとした要領を何百回も練習した。

ある日、町の大きな材木会社の社長がやって来て、
支店長に「名和さんと一寸話をさせて下さい。」と云って
私をそとへ連れ出し、横道の石段の所へ座って
話し出した。
「実は、私の家内の弟が、中央大学法学部を出て、
就職先に思うところがないし、サラリーマンは
向かないと云って、横須賀のベース前の通りで
洋書店をやっています。
今まで妹に手伝わせていたんですが、
妹が “大学へ行きたいので、やめさせてくれ 。
兄さんは結婚して奥さんと一緒にやってくれ。”と
云い出しまして、弟が結婚したいと云ってきたんです。
妹が云うには、津田の名和智子さんなら兄さんに
ぴったりだと思う。と云って来たんです。
名和さんどうでしょうか?」
思いがけぬ質問に、返答のしようがなかった。
「一度、会ってみて下さい。その上で考えて下さい。」
と言い残して帰って行った。

結婚。私は全く考えていなかった。
特に、好きな人もいなかった。
大学の事で頭はいっぱいだったし。
その弟の家は、県下で一番大きい製材店と東讃のバス会社、
高松でタクシー会社を経営している。
父親は亡くなっていたが、長兄が中心になって企業は
どんどん大きくなっていった。
手伝っていた妹は、私の高校の一年下。
私の事は、充分に評価して知っているので、
「兄さん、名和さんとならぴったりだと思う。」
とか云っていたらしい。
早速、田舎の実家へ連絡して、
「結婚相手になりそうな24才以下の女性を
集めておいてくれ。」と頼んだらしい。
当時は、仲人業というのがあって、
似合いそうな男女をとり結ぶ仕事をしていた人がいた 。

そして時代は、池田総理が、
「貧乏人は麦を食え。」と云って問題になった頃だった。






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2012年11月8日木曜日

紙芝居は日本の文化

私は5人兄弟の長女だったので、
小さい頃から母に抱かれて寝るよりは
祖母の横でずっと寝ていた。
私が寝床に入ると(お話して)とせがんだ。
祖母はいつどこで覚えたのか色々なお話を沢山してくれた。
時々(おばあちゃん間違えたよ)と私がいうこともあった。

智子は利口な子だよ、と自慢げに父や母に話していた。

自転車の荷台に紙芝居の舞台を積んで時々、
かみしばいやさんがやってきた。
アメを買わないと見られないと、
いわれ遠くから観ていた子供もいた。

今はそんな紙芝居やさんはどこにもいない。

私はYMCAで、ヨガを習っていたので、
こんなに子供が沢山いるのだから、
本の読み聞かせをさせてほしいとお願いした。
やってみると子供が多すぎてうまくいかない。

ふと(そうだ、紙芝居にしよう)と思い付き
早速、紙芝居会に変更した。
子供達より、お母さん達がとても喜んでくれた。

1年間くらい続けたが私の体調不良で出来なくなった。

以後は店の中で、紙芝居会を行うことにした。
最低月1回は早くから、告知してやってきた。

紙芝居は観るのも楽しいけれど、演ずる喜びも大変大きい。
家庭で手軽にいつでも家族だんらんの主役になれます。

当店の在庫はたぶんニッポンで1番だと思います。

オンラインショップを開いてみて下さい。

さあ 元気に紙芝居を楽しみましょう。













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2012年11月1日木曜日

バーゲンブックの存在を見直そう!

世界は狭くなって日本語だけでは
間に合わない事もいろいろ出て来た。
英語もあれば中国語、フランス語、ドイツ語、
どれも全部という訳にはゆかないだろうが。

先ず、英語が小学校でもとりあげられるようになった。
本当に大変だと思うけど、
先ず日本語を しっかり身に付けて
文章の書き方、又、言葉の話し方、
いずれも日本語はやさしくない。

日本人で生まれてこの方、日本語で育っていながら
それでも100%万全とはいっていない。
特に、私は本屋という商売をやりながら
つくづく思う事は、親が本好きの人は
子供にも買い与える。

絵本の前に、紙芝居という大変貴重な
日本の文化財がある。
それから絵本を自分で読めるようになると
次は、子供用の読み物を欲しがるようになる。
そして、小学校に入っても本の魅力を知っている
子供は次々とほんを読んでゆく。

こういうストーリーならとてもいいんだが、
昨今の20代・30代前後の人達は、
本を読むより、もっと他の事に
時間を使っているように見受けられる。
又、出版社は、次々と新しいものを作ってゆかないと
困るので、大量の新刊に小さな店は、
アップアップしているのが現実だ。

そして、売れ残ったらドンドン返品しないと
請求書通り支払えなくなってしまう。
何の事はない。
新しい本も、本屋に届くと同時に
返品する事も珍しくはない。
雑誌類は裁断されてしまうけど、書籍は別ルートで
「これは残しておいた方がよい、売れる」と判断して、
通常のルート以外に流れてゆく。

確かに、いい本が返品されている。
イセザキ書房では、その大量すぎて
書店に並べられないうちに返された本の中で、
内容を吟味しながら、価格を下げて(定価の半額以下)
読者の目で再度見てもらいたいと思い、
バーゲンブックと題して棚を作った。

全くの新品で、半額以下の値段なら、
一冊買うところ、二冊以上買える価格ですから
読者には喜んでいただけると信じている。

昔はもう40年も前、大量に買って下さる
外地の人達に喜ばれた経験もあるので、
本読み人を一人でも多くしたい為に
吟味に吟味をして、新品で安い本を
並べるコーナーを作った。

ぜひ、一度、のぞいてみて下さい。






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2012年10月27日土曜日

頼りにしています 石原慎太郎様

国民が選んだ民主党だけど、途中で半分壊れ
総理になる人に人物が得られず、
立派な人もいるんだけども、
先ず、内閣は総理を匹頭に、一日も早く
止めて欲しい、というのが
現在の国民の大部分の気持ちだろうと思う。

何も事が進まず、対中国、対韓国の
国境線の問題にしても、
総理は 手の打ちようがないように
私には見えてしまいます。

消費税をあげる事についても、
この不景気の中ではお客さまから消費税を
もらっても、その金を決算期に商人が国へ
支払わないというケースも多分出てくると思う。
私も先日、一年間の消費税を支払ったばかりですが、
本当に苦しい状態です。
私の経理士さんは厳しいので、
「何月何日までに支払う事。」と
はっきりきつく云われますので、先ず、消費税を
支払ってからと考えましたが、
中には支払わない事業者も多いという事を
耳にしました。
そうなると、消費税をあげても国家には
100%入って来ないでしょう。

もっと、他の方法を考えるべきだと思います。
このまま解散もせず、国の仕事はどんどん遅れ、
そうでなくても世界的不景気の中で、
どうなさるつもりですか?
いつまでも総理の椅子にしがみつかないで下さい。

石原さんは、80才。
もう若くはありません。
しかし、若い人の中に人物がいない現在、
石原さんなら野田総理よりは優れていると
私は思っています。
どんな形になるにせよ、
こんなに大きく世界の動いている中で、
日本だけ取り残され、国境線は押し進められ、
それでも何の手も打てない野田総理は、
一刻も早く辞めて欲しいです。
私は、トータルとして石原さんを選びます。

どんな形になるにせよ、
一刻も早く日本国家を立て直さなくては
日本人は現総理ではあまりにもみじめです。
石原氏にもクセがあると思いますが、
それでも 
“ 一日も早く態勢を変えてほしい ”
と大きな声で叫びたい思いです。












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2012年10月20日土曜日

人生は常にスタートラインに立つ その3

父が出征する3日前、夕暮れの波打ち際で
二人きりで話した時、私は、ふと思った。
父は、この海で又泳ぐ事が出来るのだろうか。
この海でなく世界中のどの海でも
泳げなくなるのではないだろうか。
私は、子供心になぜかふとそう思った事を
何十年経っても忘れない。

その時父が、
「智子は大学へ行ってしっかり勉強してくれよ。
お前なら一角の人間になれるよ。」と云った。
この言葉も私は、ずーと忘れずに生きて来た。
香川県でなら高松高女が一番だから、
高松のおばさんの家へ寄宿して、高女へ行こうと
思っていた。
ところが、その時教師をしていた尾島のおじに
「今、高女は空襲で焼けてしまい、元に戻すのは
時間がかかる。津田女へ行った方がいいよ。」
とアドバイスを受けたので、ならばとそう決めた。
受験準備らしきものも学校ではほとんど
してくれなかった。当時の受け持ちの教師は
この方面の力はなかったと、今にして思う。

そして受験当日。
筆記試験と口頭試問。かなり緊張した。
それでも、試験は終わり、発表までに1ヶ月位、
いや、それ以上の時間があったように思う。
私はその間、受かれば  受からなければ
どうしようかと悩みつつ、疎開して来ていた
千賀のおばに、お花とお茶と習字を
教えてもらう事にした。
お花は、それ以来ずーっと、おばが神戸へ
帰るまで10年間位習い、
“ 末生流奥伝 ”  までとれた。おかげで
(仏壇へお花を供える時でも、
自然に手が動くさまになる入れ方が出来る

そして、受験発表の日。
母が見に行ってくれた。受験番号は、18番。
母は、たまたまそこに知り合いの高島先生が
いたので、
「高島先生、うちの娘、受かっとるかしら?」
と聞いた。見れば分かるけど、
母はどきどきしながら聞いたらしい。
高島先生曰く「名前は?」と聞く。
「名和智子。18番です。」と云うと、
「あ、名和智子。一番で入ってますので
入学式の時、誓書を読みますよ。」
と云われた言葉を聞いて、
母は、ほっとするというか、うれしいというか
一番で入学できたので、「よかった、夫が
帰ったら喜ぶだろうな」と思いつつ家に帰り、
祖父と祖母に伝えた。

祖父は「そうか一番か、よかったのお。」と云い
祖母は「智子が受かるのは、分かっていた。
だけど、一番とはやっぱり智子らしいわ。」
云った。 妹・弟達にも話したけど、みんな
まだ、小さくてどんな反応をしたか
よく覚えていない。

入学式には、160名の新入生総代として、
誓いの言葉を読んだ。
物のない最低の時代だったので、
制服も黒の毛糸で編んだセーターを
着ていた子もいた。私は、古い着物を使って、
ちゃんとしたセーラー服を作ってもらった。
普段の日は、黒いネクタイ。
祝日登校の時は、白いネクタイと決まっていた。
今のように、祝日は休むだけでなく
式典があるので登校した時代。

私は、一年一組。
大森先生が、クラスの担当の先生だった。
先ず、教科書は古いのを調達して、いけない所は、
墨で黒く塗りつぶしたものだった。
国語の本沢先生は、教科書のないのを
逆手にとって、毎時間、古事ことわざを
黒板に10件位ずつ書き、その言葉の
成り立ちの説明をしてくれた。

 雨降って地固まる

 画にかいた餅

 得手に帆をあげる

 鳶が鷹を生む

 角をたてて牛を殺す    etc.

私は、この国語の時間がなかったら、
知らない事ばっかりだったと思う。
本沢先生に感謝する。

習字の時間だったと思う。
時間の始めに、一人一人名前を呼ぶ。
そして、樋端英子さんと呼ばれ、「ハイ。」と
返事をした時、先生が、
「樋端大佐とは、何か御親戚ですか?」と聞く。
樋端さんは、すっと立ち上がって、
「私の父です。」と答えた。
びっくりしたのは習字の先生。
「え?貴方のお父さん?」と。
私もびっくりした。それまで知らなかったから。

樋端さんも成績の良い友達で仲が良かった。
驚いたのは、教室の隅に置いてある
オルガンで何でも弾くので
「あ、家にピアノがあるんだな。」と位にしか
思っていなかった。
山本五十六の武官で、山本五十六と共に
南の空に散った有名な樋端大佐。
あれから、日本の敗色はいろ濃くなったのだ。
さすがだなぁと思い、仲良くしていたが、
一年生の終わりに、
「名和さん。私ね、母の実家のある東京へ
行く事になったの。お別れね。」
と云って、たった一年だけで津田高女から
去って行った。
 「又、いつかどこかで会おうね。」と
指きりして別れた。
しかし、「又、いつか」は、半世紀過ぎても
終に再会は、叶わなかった。

地方の高校だけど、疎開したり、
焼け出されたり、引き揚げて来たりした
優秀な先生にもおかげで会う事が出来た。
不幸中の幸いだった。

私達が二年生になった時から、
教育制度が、6・3・3制に変わった。
そのため。私達は、
大川女子高等学校併設中学校二年生になり、
次の年もその次の年も
後輩は入学してこない。
みんな、夫々の地方に新制中学校が
出来て、そちらへ入って行ったので。
三年目に晴れて高等学校二年生になった時、
地方の中学から、高校一年生が入って来た。
その時は、男女共学だから男子生徒も
入って来た。
学校の風景が変わった。
雰囲気も変わった。

一年下と云っても、男と女。
あの子素敵とかいう声もちらほら。
普通科と家庭科とあったので、
家庭科は女子ばかり。
人数の関係から、科目によっては
一年生と二年生が一緒に学ぶ
時間もあった。
小学校の時も男子組、女子組と
男女組というのがあったけど
その時の男女組とは全く異なる雰囲気で
なかなか出来る男の子や、いでたちの好い
男の子は、もてていた。又、その反対もあり。

私が、二年生の時、生徒会が出来た。
会長は、全生徒の投票で決める。
体育の先生が、「名和さん、立候補せよ。」と
云われるので、私は立候補した。
1名のところ、3名立候補し、選挙運動もあり、
立ち合い演説会もあった。
三年生からも一人出ていたので激戦だった。
私が、2位と4票の差で当選。
2位は、三年生の生徒だった。
それから一年間、生徒会長としても活躍した。
学芸会・文化祭などにも大活躍した。
今から考えると、若い先生との年齢差は
5年位。先生の方も、生徒を愛の対象として
見ていた様子。それに応えた生徒もいた。

私は、結局6年間在学した訳だ。
私は、弁論大会にも年に何度も出た。
県大会でもほとんど1位になった。
話す事にそろそろ自信みたいなものも
出て来た。 しかし、体育が苦手であった。
ある時、私が創作ダンスで[祈り]と題して
自作自演したのが、体育の教師の目に止まり、
体育も決して嫌いではなくなった。

6年間公私にわたって、私は大活躍した。
私と1年間でも一緒に学んだ人は、
みんな≪名和智子≫というのは知りすぎている。
楽しい、楽しい6年間だった。進学クラスに入り、
私は大学進学するつもりでいた。
だが、思はぬ事が起きて意のままにならず。
父の戦病死の報は、女学校一年生の時。
学校では、この上もなく活躍し楽しかったが、
家庭では、父を亡くした事で大変だった。

戦争のおかげで、私の人生航路に
くるいが出始めた。卒業も一番で卒業し、
今も、私の卒業式の答辞は、
学校に保存されているらしい。
60年以上も経っているのに。

さて、私は、どうすればよいか、思案に暮れた。








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